呪いを祓う力
依千蔵たちは、なおも戦いの最中にいた。
廊下には黒い煙が立ち込め、呪いに支配された生徒たちが次々と襲い掛かってくる。
「依千蔵くん!そのまま動かないで!」
エーの声が響いた。
依千蔵が目の前の生徒の動きを押さえ込むと、エーは素早く距離を詰める。
掌に小さな魔法陣が展開され、淡い光が彼女の手を包み込んだ。
「浄化!」
ぱん、と軽い音が鳴る。
掌が生徒の胸に触れた瞬間、その体から力が抜け、糸が切れた人形のようにその場へ倒れ込んだ。意識を失った生徒の胸元から、小さな黒い影がふわりと姿を現す。
人型にも見えるその影は、慌てたように辺りを飛び回り、逃げようとした。
「逃がすか!」
依千蔵が拳を振るう。
反対側では朱咲が札を放ち、百虎と玄武もそれぞれ黒い影へ飛び掛かった。
影は悲鳴にも似た甲高い音を残し、光となって消えていく。
「はい、次!」
エーは休むことなく次の生徒へ駆け寄った。
呪文を唱え、掌で触れる。
倒れる。黒い影が現れる。
依千蔵たちがそれを消し去る。
その連携は何度も何度も繰り返された。
「あああああっ!!」
突然、一人の男子生徒が背後からエーへ飛び掛かった。
「エー!」
依千蔵が叫ぶより早く、一筋の青い影が走る。
細長い体を大きくしならせ、そのまま男子生徒を横から弾き飛ばしたのは清龍だった。
生徒は壁へ激突し、その場へ崩れ落ちる。
「ありがとう、清龍さん」
エーは息を整える暇もなく駆け寄り、その生徒の体へ再び掌を当てる。
魔法陣が輝く。黒い影が現れ、それもまた依千蔵たちによって消滅した。
誰一人立ち止まることなく戦い続ける。
どれほど時間が過ぎただろうか。
最後の一人から呪いを取り除いた頃には、誰もが肩で荒く息をしていた。
廊下には気を失った生徒たちが横たわり、黒い影は一つも残っていない。しかし、黒い花だけはまだ不気味に煙を吐き続けていた。
エーは最後の力を振り絞るように花へ手を伸ばす。
「もうあなたたちの役目は終わりよ。大人しく戻って」
淡い光が花を包む。
すると黒い花はゆっくりと縮み、小さな種へ姿を変えていった。
一輪。また一輪。見える範囲の黒い花すべてが種へ戻ると、エーはその場へ崩れ落ちるように壁へ寄り掛かり、力なく座り込む。
「ごほっ……」
激しく咳き込む。
頭がぐらりと揺れ、視界が滲む。
体の奥にある白い羽根が悲鳴を上げていた。これほど大量の呪いを浄化したのは久しぶりだ。
胸が苦しい。吐き気が込み上げる。少し体を動かしただけで胃がひっくり返りそうになる。
「エー、大丈夫?」
朱咲が慌てて駆け寄ってきた。
「だ、い…じょうぶ…って言いたいけど……ごほっ」
エーは苦笑しながら両膝を抱え、そこへ顔を埋める。
「凄い吐きそう……」
それを聞いて朱咲はしゃがみ込み、エーの肩へそっと手を添えた。
優しい光が掌から溢れ、淡い緑色の魔法陣が浮かび上がる。
「気休め程度にしかならないけど」
柔らかな光がエーの体を包み込んだ。
背中に広がっていた純白の羽根は静かに消え、衣装も元の姿へ戻っていく。
「……ありがとう、朱咲さん」
少しだけ呼吸が楽になり、エーは微笑んだ。
「とりあえず、ここにいる奴らは助けられたのか?」
依千蔵が周囲を見回しながら尋ねる。
エーは小さく頷いた。
「……ええ。そのはずよ。黒い花も、見えているものは全部種に戻したから、再び彼らが呪われることはないわ」
その言葉に全員が安堵する。
だが、エーはすぐに表情を引き締めた。
「……でも、まだ終わってない」
壁へ手をつき、ゆっくり立ち上がる。
体がふらつき、倒れそうになったところを朱咲が慌てて支えた。
「気配はまだ消えてないわ……っ。消えるどころか、どんどん増大してる」
エーは目を閉じる。
その声は震えていた。
「この気配を生み出している元凶をどうにかしないと終わらないっ」
「元凶……」
朱咲が呟く。
この学び舎へ黒い花をばら撒き、生徒たちを呪いに飲み込んだ存在。考えるまでもなく、その正体は明らかだった。
エーは眉をひそめ、小さく息を吐く。
「依千蔵!」
その時、聞き覚えのある声が廊下へ響いた。
一同が振り向くと、図書室の方角からフィルとルーンが歩いて来る姿が見える。二人とも傷だらけだった。
フィルは男子生徒を、ルーンは女子生徒をそれぞれ抱えている。
「きゅう!」
ブルーテイルが嬉しそうに鳴きながら百虎と玄武へ駆け寄り、二匹も無事な姿を見つけ小さく鳴き返す。
「そいつらは?」
依千蔵が尋ねる。
フィルとルーンは二人を壁際へ寝かせ、これまでの出来事を手短に説明した。
シエルと対峙し、彼女と共に彼らが正気を失った状態で襲い掛かってきたこと。やむを得ず戦い、気絶させてここまで連れてきたこと。シエルが言った実験のことと、去り際に言った"全員の死亡"という言葉。
「っ……」
話を聞いたエーは静かに彼らへ近付く。
掌へ魔法陣が浮かび上がり、そっと胸へ手を当てると、淡い光が二人を包み込んだ。やがて体から小さな黒い人型の影が飛び出す。
影は驚いたようにくるくると飛び回り、逃げ場を探していた。それをエーは魔法で消し去る。
「……!」
その光景にフィルとルーンは目を見開いた。
「貴女、今何をしたの?」
ルーンが驚きを隠せず尋ねる。
「呪いを取り祓ったのよ。私の力でね」
エーは静かに立ち上がる。
揺れる視界の中で彼女の目は、ルーンの胸元へ向いた。
そこには銀色のペンダントが淡く輝いている。それを見ると、エーの表情がふっと柔らかくなった。
「ちゃんと渡してくれたのね……」
安心したように微笑んだその直後、足元が大きく揺らぐ。
倒れそうになった体を朱咲が支えた。
「…っ、でも、彼女の中にある花を取り除くのはちょっと待って。……今の私の状態だと、倒れるだけじゃすまないかもしれないから」
「ルーンにも、同じことができるのか?」
「ええ……っ」
胸へ手を当てながら苦しそうに息を吐き、エーは笑う。
その時、ゴゴゴと地鳴りのような轟音が学び舎全体を揺らした。床が震え、窓ガラスが激しく音を立てる。
「何だ!?」
依千蔵が身構える。
微かに気配を感じ、ルーンは鋭く窓の外へ視線を向けた。
「………!」
そこには、黒く、どろりとした塊のようなものがあった。
生き物のように気味悪く蠢きながら、それは窓の外を這っている。
一つ。また一つ。次々と現れたそれらはあっという間に数を増やしていき、やがて窓という窓を覆い尽くして外から差し込んでいた光を完全に遮った。
廊下が一気に闇へ包まれる。
その直後。遠くから生徒たちの悲鳴が幾重にも重なって響き、学び舎全体を押し潰すような禍々しい気配が重力そのもののように一同へとのしかかった。




