ダークエルフ
部屋の中は静かだった。
壁の向こうでは悲鳴が響き、何かが激しくぶつかり合う轟音が何度も鳴り渡っている。
けれど、その騒ぎは分厚い扉に遮られ、ここだけがまるで別世界のような静寂に包まれていた。
その静けさの中で、ルーンは一冊の本へ視線を落としている。ページをめくる音だけが、規則正しく響く。
彼女の足元には読み終えた本が無造作に積み重なり、小さな山を作っていた。積み上がる本の数だけ、彼女の頭には新たな知識が蓄えられていく。
現在、彼女が目にしているのはダークエルフ…その起源だった。
「……………」
次のページを開く。
そこに記されていた歴史は、想像をはるかに超えるほど古いものだった。
ダークエルフは、世界樹がこの世界を創造したその時に生み出された種族である。
だが、それは祝福のためではない。彼らに与えられた命は、旧世界で犯した罪を償わせるためだった。
旧世界。
それは現在の世界より以前に、世界樹が創造した最初の世界。
そして今、自分たちが暮らす世界は"新世界"と呼ばれている。
「新世界……」
ルーンは静かにページをめくる。
そこには、さらに意外な一文が記されていた。
ダークエルフという名は、新世界で与えられた呼び名。
彼らはかつて、"シーカ"という名で呼ばれていた。
「……シーカ」
小さく呟き、その名を胸の内で反芻する。
シーカは世界樹を憎んでいた。
本来、この世界に生まれた命は皆、世界樹から恩恵を授かる。その力は命を育み、世界を循環させる源でもあった。
しかし、シーカはその恩恵を何一つ与えられなかった。もちろんそれには理由があったが、世界樹はその理由を彼らへ語ることはなかったという。
理由を知らされぬまま拒絶された彼らの胸には、やがて深い憎しみだけが残った。
その憎しみは日に日に大きくなっていく。
やがて彼らは"世界樹を滅ぼす"という強い願いを抱き始めた。
世界樹を失えば、この世界もまた滅びる。
それでも彼らは止まらなかった。
「………」
最初の計画は失敗に終わる。
未遂。
その敗北は彼らの憎悪をさらに膨れ上がらせ、シーカは闇の奥底へと堕ちていった。
世界樹を滅ぼすにはどうすればいいのか。
彼らは考え続けた。
考えて。考えて。
何度も考え抜いた末に、一つの答えへ辿り着く。
それが、"呪い"だった。
シーカは長い年月をかけて研究を重ねる。
失敗と改良を繰り返す。
失敗。改良。
失敗。改良。
終わりの見えない実験を繰り返しながら、少しずつそれを完成へ近付けていった。
そして、ついに生み出されたのが"呪いの種"である。
その種は生き物の体内へ寄生し、黒い花を咲かせる。
咲いた花は胞子を撒き散らし、それが全身へ行き渡ると宿主は感情を制御できなくなる。
怒り。憎しみ。悲しみ。
負の感情だけが増幅され、自我は失われる。
やがて宿主は、ただ殺戮だけを繰り返す兵器へと変わっていく。
「………」
ルーンの表情が僅かに曇る。
シーカは、この呪いの種を世界樹へ植え付けることで世界そのものを滅ぼそうと考えた。
もう失敗するわけにはいかない。
そのために彼らは実験を始める。
世界樹が愛した、この世界の住人たちを使って。
人々の体内へ呪いの種を植え付ける。
花は咲き、胞子は広がる。
自我を失った者たちは周囲を襲い始め、世界は瞬く間に混沌へ飲み込まれていった。
崩れゆく世界を前に、世界樹は絶望した。
自ら創り出した命が、自らの愛する世界を壊していく。
止めることもできず、見守ることしかできない。
その無力さに、世界樹は深い怒りを抱いた。
そして、その怒りは怨みへと変わる。
世界樹は世界そのものへ"情報"を書き込んだ。
シーカは悪である。
シーカは忌むべき存在である。
その情報は世界中へ広がり、人々の認識となって刻み込まれていく。
それ以来、シーカは世界から嫌われる種族となった。
だが、彼らは意に介さなかった。
自分たちもまた世界樹を憎んでいる。
ならば、嫌われようと構わない。
シーカは研究を続けた。
呪いの種を植え付け。
花を咲かせ。
実験を繰り返す。
いつか世界樹を滅ぼす、その日のためだけに。
そして。
長い時を経て。
積み重ねられた憎悪は、ついに結実する。
彼らはついに、目的を成し遂げた。
「…………」
その一文を読み終えたルーンは、静かにページを閉じた。
図書室には再び静寂が戻る。
彼女の胸に、重く沈む疑問が残った。
「……どうして世界樹は理由を話さなかったの?」
世界樹は、なぜシーカだけに恩恵を与えなかったのか。
なぜ、その理由を最後まで語らなかったのか。
ルーンは閉じた本を足元に捨て、また新たな本を本棚から抜き取る。
パラパラとページをめくる手は、それからも止まらなかった。




