騒動
その頃、学び舎の門前には異様なざわめきが広がっていた。
何事かと集まった生徒たちは皆、門の前で足を止め、不思議そうな表情で一点を見つめている。
その人だかりの中には、依千蔵と修介、ショウコの姿もあった。
「なんだ、これ……?」
修介が眉をひそめる。
彼らの目の前には何もない空間を遮るように透明な壁が立ちはだかっていた。
光を受けてかすかに揺らめくそれは、まるで巨大なガラス板のようでもある。
事の発端は、一人の男子生徒だった。
彼は昼休みに友人たちとサッカーをしていて、勢いよく蹴ったボールが門の外へ飛んでいきそうになったのだという。しかし門を抜ける直前でそれは不自然にぴたりと静止し、不思議に思って駆け寄ると、そこには見えない壁が張られていた。
その話はあっという間に学び舎中へ広まり、生徒たちは次々と門へ集まってきたのである。
「誰がこんなことしたんだ?」
「知らねぇよ」
「魔法?」
「でも、こんなの見たことないよ?」
困惑と好奇心が入り混じった声が飛び交う。
「みなさん!少し通してください!」
「みんな、下がって!」
その時、人混みをかき分けながらケインと一人の女性教師が前へ出てきた。
生徒たちは道を開け、二人は透明な壁の前へ立つ。
「これは……」
ケインはゆっくりと手を伸ばし、壁へ触れた。つるりとした感触が掌へ伝わる。
軽く叩くと、コンコンと乾いた音が返ってきた。
「何でしょうか、これは?」
女性教師が尋ねる。
「うーん……」
ケインは顎に手を添え、壁を見つめる。
「結界のようにも見えますが……少し違うようですね」
そう呟きながら視線を下ろす。
「……?」
すると壁の根元に、小さな花が咲いているのを発見した。風に揺れるその花は、花弁が黒く染まっている。そんな花は見たことがなかった。
「(黒い花……?)」
ケインが不思議そうに眺めていると、近くにいた一人の女子生徒もそれに気付く。
「わぁ、こんなところに花がある。可愛い」
何の疑いもなく、その花へ手を伸ばした。
「待ってください。無闇に触っては──」
ケインが制止するより早く、女子生徒の指先が花弁へ触れる。
その瞬間。ぼふっ、と花の中心から黒い煙が噴き出した。
「きゃあっ!?」
煙は女子生徒の顔へ降りかかる。
彼女は悲鳴を上げて飛び退き、両手で顔を覆った。
「大丈夫ですか!?」
ケインと女性教師が慌てて駆け寄る。
煙を浴びた女子生徒は身体を小刻みに震わせていた。
「うっ……うぅ……」
苦しげな呻き声が漏れる。
その場にいた生徒たちは不安そうに顔を見合わせた。
やがて女子生徒はゆっくりと顔から手を離し、腕を力なく垂れさせて動かなくなる。
「どうしたの?大丈夫?」
女性教師が心配そうに一歩近付く。
すると、女子生徒は首だけを女性教師へ向けた。その動きは人形が糸で操られているかのようにぎこちない。
「っ!?」
次の瞬間、女子生徒が勢いよく女性教師へ飛びかかった。
「なっ……!」
女性教師の首を両手で掴み、そのまま力任せに締め上げる。
「や、やめ──っ!」
「何をしているのです!」
ケインが慌てて女子生徒の腕を掴んて引き離そうとするが、しかし、まるで岩でも掴んでいるかのようにびくともしない。細い身体からは考えられないほどの力だった。
女性教師は苦しそうにもがき、やがて力なく身体を垂らす。
「きゃああああっ!!」
生徒たちの悲鳴が学び舎中へ響き渡る。
女子生徒はゆっくりと教師から手を離し、そして口元にうっすらと笑みを浮かべた。
ゆらり。ゆらり。肩を揺らしながら立ち上がった彼女の瞳は血のように赤く染まっている。
「……!」
その瞳を見た瞬間、ケインは息を呑んだ。
「みなさん!教室へ戻ってください!早く!!」
鋭い声が響く。
その一言で、生徒たちは我先にと校舎へ向かって走り出した。しかし依千蔵と修介、ショウコの三人だけはその場から動かない。
ケインは振り返り、焦ったように再び叫んだ。
「貴方たちも早く教室へ戻って!」
その声を聞きながら、依千蔵は女子生徒の足元へ視線を落とす。
黒い花。その花弁の中心からは、なおも黒い煙がまるで生き物の呼吸のように絶え間なく噴き出していた。
「っ、」
胸の奥がざわりと波立つ。
これから、もっと恐ろしい何かが始まる。
そんな確信にも似た感覚を抱きながら依千蔵は眉をひそめ、ケオンたちを背に校舎へ向かって駆け出した。




