心配
いつもの学び舎。いつもの授業。いつもの時間。
窓から差し込む柔らかな陽射しが教室を照らし、生徒たちは教師の話に耳を傾けていた。
廊下には笑い声が響き、校庭では運動をする生徒たちの元気な声が聞こえている。
今日も、平和な一日がやって来ていた。
+
「桃華、本当にいいのか?」
授業と授業の合間の休憩時間。
フィルと桃華は二階から一階へ続く階段の踊り場で向かい合っていた。
フィルの表情は真剣そのもの。その問いに、桃華は迷うことなく強く頷く。
「うん」
小さく息を吸い込み、静かに続けた。
「……家を出る時、清にも言われたの。"今日は学び舎を休んでほしい"って。でも、それだとなんか……逃げるみたいじゃない」
一瞬だけ目を伏せ、拳を握り締める。
「今日、この学び舎で何が起こるのかは分からない。でも、私もフィルさんたちと一緒に戦う。フィルさんもルーンさんも大切な友達だから。友達のために協力したいの。きっと依千蔵くんも私と同じ気持ちだよ」
その瞳には揺るぎない決意が宿っていて、真っ直ぐにフィルを見つめていた。
「……」
その言葉を聞いたフィルは少しだけ口元を緩め、優しく笑う。
「……ありがとう。わかった。でも、無理はするなよ」
「うん!」
桃華も笑顔で頷いた。
しばらく話し続けていると、やがて授業開始を告げる鐘が学び舎中へ響き渡る。
正直なところ授業を受けている場合ではないが、授業も受けずに学び舎の周囲をウロウロしていたら教師や他の生徒たちに怪しまれてしまう。
今、この学び舎にいるほとんどの人は何も知らない。いつも通り授業を受け、いつも通り友達と笑い合い、いつも通り平穏な日常を送っている。
だからこそ自分たちも胸に残る不安を押し殺して、皆と変わらず平然といつも通りに過ごさなければ。
「……ルーンさん、大丈夫かな?」
ふいに桃華が呟く。
「朝、少しだけ機嫌が悪かったみたいだし、体調もどこか悪そうだったし……」
心配そうに眉尻を下げる。
桃華と依千蔵には呪いの花については知らせていない。清龍が「心配させたくない」と判断したためだ。
現在、学び舎の外ではシオンとターナ、エーと清龍が見回りを続けている。フィラーラとホワイト、グリーンも、いつ何が起きても動けるようにと家で待機していた。
ブルーテイルは今回に限りフィルと一緒に学び舎へ来ている。今は鞄の中で静かに身を潜めていた。百虎と玄武も学び舎にいる。
「午前の授業が終わったら様子を見に行こう」
「そうだね……」
二人は頷き合うと、それぞれの教室へ戻る。
そして昼休みまでの時間を、何事もないかのように過ごした。
+
昼休み。
教室では弁当を広げる生徒たちの賑やかな声が飛び交っていた。
「ルーンちゃん。本当に大丈夫?」
その中で、マキノは今日だけで何度目かになる問いを口にする。
彼女の向かいで弁当を食べていたルーンはその問いに眉をひそめた。
「大丈夫よ。心配しすぎ」
少し鬱陶しそうな声音。
マキノは思わず身を乗り出した
「だって、その目!絶対におかしいって!コンタクトも入れてないのに、いきなり紫から赤に変わるなんて、絶対何かの病気だよ!保健室行こうって!」
「問題ないって言ってるでしょ。……少ししつこいわよ」
ルーンは深く息を吐く。
やはり、今日は食欲が湧かない。
弁当は半分以上残ったままだったが彼女は静かに蓋を閉じた。
「ほら、ご飯もちょっとしか食べてないし!」
「大丈夫だってば」
弁当を布で包み、鞄へしまう。
そして席を立った。
「図書室に行くわ。気になる本があったから借りてくる」
「あっ、ルーンちゃん!」
マキノの声を背に受けながら、ルーンは足早に教室を出ていく。
逃げるようなその後ろ姿を見送り、マキノは不安そうに眉尻を下げた。
+
「え、ルーンいないの?」
その数分後。
教室の前にフィルと桃華がやって来る。
「はい。図書室に行くって言ってました」
「そっか……」
フィルが尋ねると、マキノは頷く。それを聞いた彼は桃華と顔を見合わせ、少し考え込んだ。
「どうする?」
「んー……。ここで待つのもありだけど……まぁ、状況が状況だし、行くしかないよな。図書室に」
「入れ違いにならないといいけど……」
二人はそう話し合い、桃華が先に歩き出す。
「教えてくれてありがとう」
「あの、フィルさん!」
「ん?」
礼を言い、桃華の後を追おうとしたフィルをマキノは止めた。
呼び止められ、振り返る。
「ルーンちゃん、大丈夫ですか?」
「え?」
「えっと……なんか今日のルーンちゃん、様子がおかしいっていうか……いつもと違う気がするんです。目だって赤くなってるし……。もしかして、本当に病気なんじゃ……!」
不安そうに胸の前で手を握る彼女は今にも泣き出しそうな表情をしていた。
フィルはそんな彼女の前まで歩み寄り、安心させるように優しく微笑む。
「大丈夫だよ」
「!」
「今日のルーン、ちょっとだけ機嫌が悪くてさ」
穏やかな口調。
「最近眠れないって言ってたから、たぶんそのせいだと思う。目が赤いのも……そのせいなんじゃないかな」
「…………」
少しだけ視線を逸らし、頬を掻いた。
マキノは何も言わない。
フィルはもう一度笑みを浮かべた。
「だから、何も心配しなくていいよ」
その言葉は、自分自身にも言い聞かせているよう。
「大丈夫。なんとかなるから」
そう言い残し、フィルは桃華の後を追って教室を後にした。
小さくなっていく背中を見つめながら、マキノは胸元をぎゅっと押さえる。安心しようとしても、不安は消えない。
「…………」
胸の奥でざわめく嫌な予感だけが、静かに大きくなっていった。




