呪い
「……花って?」
フィルが戸惑ったように首を傾げる。エーは小さく頷き、掌の上に乗っていたクロコへ視線を向けた。
「クロコ、お願い」
「!」
その言葉を聞いたクロコは元気よく頷くと、ぴょんと透明な箱の中へ飛び戻る。そして、「えいっ!」と言わんばかりに箱の中に入っていた種を両手で持ち上げてそれを外へ放り投げた。
ころころと種はシオンたちの足元まで転がり、次の瞬間。パキッ。と乾いた音が響いて種にひびが入る。
「!」
フィルは目を見開いた。
割れた種から小さな芽が顔を出し、かと思えば、それは目に見える速さで成長を始める。
茎が伸び、葉が広がる。成長は止まらない。やがて、その先端には黒い花が静かに咲いた。花弁は墨を流し込んだような漆黒で異様な存在感を放つ。
エーはすぐさま魔法を発動し、花の周囲を透明な結界で包み込んだ。花弁はゆらゆらと揺れ、中心からは煙のような黒い靄がゆっくりと立ち上る。
「これは……」
フィルは息を呑み、黒い花を見つめた。肩にいたブルーテイルが床へ飛び降り、結界へと近づく。
「きゅう?」
てくてくと歩いていき、小さく鳴きながら鼻先で結界をつついた。
コツン。
その時、黒い花がまるで生き物のように反応する。茎が勢いよく伸び、鋭い勢いでブルーテイルへ襲いかかった。結界に激しく衝突する。
「きゅっ!?」
驚いたブルーテイルは悲鳴を上げ、慌ててフィルの足元へ逃げ帰った。
「っ……!」
胸に飛び込んできたブルーテイルを抱き上げた瞬間、フィルの右手に鋭い痛みが走る。刻印が熱を帯びるように反応していた。
「これは、『呪いの花』と呼ばれているものよ」
エーは静かに黒い花を見つめながら口を開く。その声は重かった。
「一種の寄生生物だと思ってくれればいいわ」
「呪いの、花…?」
「……この花が体内にあると、感情のコントロールができなくなって、自我を失ってしまうの」
一拍置き、エーは目を伏せる。
「……私たちは、そのせいでおかしくなってしまった人を何人も見てきた」
静かな言葉だったが、その重みは十分に伝わった。エーは魔法を使って黒い花を再び種へ戻す。
結界も解除され、クロコがぴょこぴょこと歩いて種を拾い上げると箱の中へ丁寧に戻した。
「この世界の人たちの体内には種は存在していないの」
箱を閉じながら、エーは続ける。
「だから、この花が咲くなんてことは本来あり得ないわ。なのに何故、ルーンちゃんの中には花が……?」
表情が曇り、顎に手を添えて考え込む。少しの沈黙のあと、その問いにはシオンが答えた。
「……考えられるのは一人しかいないだろう」
低く冷たい声が響く。
「カフルエル。奴は前にルーンと接触している。その時に何らかの方法で奴はあいつの体内に種を仕込んだ。そう考えるのが自然だ」
「ルーンと接触。あ……あの時か」
フィルはその言葉を聞いて目を見開く。脳裏に浮かぶのは数日前の噴水広場。
ルーンは「あの男とは何もなかった」と言い切っていた。だが実際には、カフルエルと接触していたのは間違いない。あの短い時間に何かをされたのだとすれば……。
「…………」
フィルは無意識に拳を握り締める。
「どうしてカフルエルはルーンちゃんに種を……?」
エーが小さく呟く。
考えても答えは出ず、三人の間に重苦しい空気が流れた。その時、玄関の引き戸が開く音が聞こえる。ルーンが帰ってきた。
靴を脱ぎ、廊下を歩いて客間の前まで来ると、そこに集まるシオンたちを見て彼女は不思議そうに眉をひそめる。
「貴方たち、何してるの?」
静かな声。
その瞳は昨日と変わらず赤く染まったまま。
「きゅ……」
ブルーテイルは小さく震え、フィルの服へしがみつく。
エーはいつも通りの笑顔を作った。
「お邪魔してます、ルーンちゃん。少しシオンくんたちに話があって」
ルーンは彼女の顔を見つめ、それからシオン、フィルの順番に視線を移す。
「そう……」
そして興味を示す様子もなく小さく頷くと、そのまま彼女たちの間を通り抜け、歩みを進めた
「……っ」
すれ違うその瞬間、フィルの右手が大きく強く震える。
「ルーン……!」
思わず彼はルーンを呼び止めた。
足を止めるが、振り向こうとはしない。
「何かしら?」
淡々とした声だけが返ってくる。
「えっと……」
言葉に詰まる。
呼び止めたはいいが何を言えばいいのか分からなかった。
「……大丈夫か?」
考えた結果、そんなありふれた一言が口から出る。
「…………」
ルーンはしばらく黙る。
静寂が流れ、やがて彼女は小さく口を開いた。
「………ええ。問題はないわ」
そして、それだけ答えると再び歩き出す。
遠ざかっていく背中を見つめながら、フィルは寂しそうに眉尻を下げた。ブルーテイルも小さく鳴き声をあげる。
その様子にエーとシオンは、互いに視線を交わした。
どちらも口は開かなかった。




