しつこい人
昼食を終えた後の学び舎は、どこか気だるい空気に包まれていた。
広場のベンチに腰掛けたルーンは、膝の上に開いた本へ静かに視線を落としている。木々の葉を揺らした風がページを撫で、彼女は指先でそれを押さえながら文字を追っていた。
「なぁ、ルーン。図書室の秘密の部屋、入りたくないか?」
そんな穏やかな時間は不意に終わりを迎え、聞き慣れた声にルーンはページをめくる手を止める。
顔を上げると、いつの間にか現れた修介が隣にどかりと座り、ルーンは小さく眉をひそめた。
「………」
体育の授業でペアを組んだあの日以来、修介は何かと彼女に話しかけてくるようになっていた。最初こそはっきり断っていたものの、最近では相手をすることすら面倒になりほとんど無視している。
だがそれでも彼は諦めず、こうして毎日のように現れては話しかけてきてアプローチを続けてきていた。
その執念深さにはある意味感心するが、いい加減にしてほしいというのがルーンの本音だった。
「秘密の部屋って、あの鍵の掛かった部屋のこと?」
「そうそう。俺、あの部屋の合鍵持ってるんだよね」
そう言うと修介は制服の内ポケットへ手を入れ、鍵束を取り出す。じゃらり、と金属音が鳴った。
いくつもの鍵が取り付けられたキーホルダーを見て、ルーンはさらに眉を寄せる。
「合鍵って……。確かあそこには司書と教師以外入れないんじゃなかった?」
「普段はな。でも、一部の生徒は入れちゃうんだなこれが。司書姉さんの目を盗んで無断で合鍵を作っちゃった奴なら」
修介は得意げに口元を緩める。
その言葉を聞いた瞬間、ルーンの視線が冷えた。彼女は素早く手を伸ばし、修介の持っていた鍵束を奪い取る。
「あっ」
「こんなの作ってどうするつもり?」
「どうするも何も。あの部屋に入りたいんだろ?協力してやろうと思って」
「余計なお世話よ。今すぐこの鍵は破棄して」
「嫌だ」
修介は苦笑しながら鍵束を取り返そうと手を伸ばした。しかしルーンはそれをひらりとかわし、そのままキーホルダーから鍵を一つずつ外し始める。
「あの部屋の鍵はどれ?」
「おい、乱暴に扱うなよ。その中には家の鍵もあるんだから」
「どれ?」
有無を言わせない声音だった。
修介は諦めたように肩を落とす。
「……右から二番目」
ルーンは掌の上の鍵を見比べ、指定された一本を取り上げた。残りはそのまま修介へ返す。
彼が鍵を受け取るのを確認すると、ルーンは取り上げた鍵を胸ポケットへしまった。
「この鍵はもらっておくわ。代わりに処分しておく」
そう告げると、彼女は何事もなかったように本へ視線を戻す。ページをめくる音だけが静かに響く。
修介はキーホルダーへ鍵を付け直しながら、横顔を見つめた。
「そんなこと言って、自分で使うつもりだろ」
「そんなことしないわ。私は貴方みたいに“悪い人”じゃないもの」
ルーンは本から目を離さない。
一瞬の沈黙。修介は小さく笑った。
「……ははっ。やっぱりいいなぁ、君は」
頬杖をつきながら向けられる視線に、ルーンはうんざりしたように息を吐く。
「それより、いい加減私に付きまとうのはやめてくれないかしら」
「どうして?」
「言ったでしょ。私は貴方の気持ちには答えないって。しつこい人は嫌われるわよ。既に嫌っているけど」
「言っただろ。俺は諦めないって」
ぱたり、と本を閉じてルーンは真っ直ぐ修介を見る。しかし修介は少しも堪えた様子を見せず、彼は自然な仕草でルーンの手を取った。その動きがあまりにも突然で、彼女は反応が遅れる。
「君が振り向いてくれるまで、俺は積極的に君に付きまとって、こうやってアプローチを続けていくつもりだよ」
そして、修介は彼女の指先へ軽く口付けた。その瞬間、ルーンの背筋を冷たいものが駆け抜ける。
胸がどくりと大きく脈打ち、彼女は反射的に手を引き抜いた。
「やめて。気持ち悪いわ」
声が低くなる。
修介は苦笑して肩をすくめた。
「そんな顔すんなよ。傷つくだろ」
その時、広場の向こうから修介を呼ぶ声が聞こえてくる。顔を向けると友人たちが手を振りながらこちらを見ていた。
「ほら、呼んでいるわよ。さっさと行って」
「……」
ルーンは視線を本へ戻す。
修介は少しだけ名残惜しそうに彼女を見たが、やがて立ち上がり、遠くで待つ友人たちへ手を挙げた。
「仕方ない。もったいないけど、その鍵はルーンに渡すよ」
歩き出しながら振り返りもせず言う。
「溶かすなり壊すなり、お好きにどうぞ」
そして、ひらひらと手を振り、そのまま去っていった。ルーンは無言でその背中を見送る。
姿が人混みに紛れて見えなくなり、そこでようやく彼女は深く息を吐いた。
「…………」
本当に気持ち悪い。
胸の奥に広がる嫌悪感は消えない。
ルーンはそっと自分の指先を見つめた。先ほど修介が口付けた場所。指先に触れてみても、何かが残っているわけではない。
それでも不快感だけは確かにそこにあった。
やがて昼休みの終わりを告げるベルが校内へ響き渡る。
生徒たちが次々と教室へ戻っていく中、ルーンはしばらくその場から動かなかった。




