カフルエルとシエル
サクラ村から数キロほど離れた場所に、かつて人々が暮らしていた集落の跡地があった。
今では建物の大半が崩れ落ち、人の気配もない。
その廃墟の一角に残された古びた小屋の中で、カフルエルはシエルと合流した。
「おかえりなさい」
椅子に腰掛けていたシエルは、穏やかな笑みを浮かべる。
「……どうだった?久しぶりのサクラ村は?」
問い掛けられたカフルエルは、小屋の中央付近に置かれた椅子へどかりと腰を下ろした。
足を組み、頬杖をつく。
「これといった感想はないな」
「そう」
シエルは微笑んだまま頷く。
「……彼女には会えた?」
「……ああ」
「"仕込み"も?」
「滞りなく」
短い返答だった。
カフルエルは目を閉じる。
その言葉を聞いたシエルは満足そうに口元を緩ませ、静かに彼へ近付いた。
床へ腰を下ろし、彼の膝にそっと手を添える。
肩を預けるように身を寄せながら、彼女もまた目を閉じた。
「これで、あとは結果を待つだけね」
「結果など待たなくともわかる。一週間と経たずとも、奴の心は闇に囚われるだろう。そうなれば、奴は必ず仲間を裏切り孤立する」
カフルエルの声は淡々としていた。
「その時が彼女の最期ってわけね。……でも、そう上手くいくかしら?あっちには彼がいるのよ?」
シエルはゆっくりと目を開く。
赤い瞳がカフルエルを映した。
彼。刻印を持つ王。
フィルの存在を指していることは明白だった。
しかしカフルエルは動じず、薄く目を開く。
「刻印持ちの王か。問題はない。いくら奴の刻印が強大な力を持っていようとも、"花"の力には勝てん」
「……貴方のいた世界で、様々な脅威を生んだ"呪いの花"」
シエルは静かに呟いた。
その名には重みがあった。
多くの悲劇を生み、多くの者を狂わせた存在。
「その花が体内にあれば……」
シエルは彼を見上げる。
「私の呪いも、もうずっと渇かずに済むのかしら?」
「……お前の体を巡る呪いは、俺がまだ未熟だった頃に植え付けたものだ。花があってもなくても変わらん」
カフルエルはそう答え、シエルの手を取る。
軽く引き寄せるとシエルの身体は抵抗なく彼の方へ傾いた。
服越しに伝わる体温は、生者のものとは思えないほどに冷たい。
「……寒いか?」
しばし沈黙が流れ、カフルエルが尋ねる。
シエルは小さく首を振った。
「いいえ」
そして静かに目を細める。
「貴方がこうして抱き締めてくれているから寒くないわ」
彼女は腕を回し、さらに身を寄せた。
その頃には小屋の外では雨が降り始めていた。
窓を打つ雨音と風の音だけが、静かな空間に響いている。
「私を、"欲張り"だと思う?」
不意にシエルが口を開いた。
カフルエルは眉をわずかに動かす。
「私の頭の中には常に彼の存在があって、…今、貴方とこうしている間でも、ずっと彼のことばかり考えているの」
シエルは目を伏せる。
声は静かだった。
「ここにいるのが貴方じゃなくて彼だったらって考えただけで、どうにかなってしまうんじゃないかっていうくらいにあの人が欲しいの」
「…………」
「でも、それと同じくらいに」
彼女は顔を上げた。
「貴方のことも欲しているのよ、カフルエル」
赤い瞳が揺れる。
「貴方のことも欲しくて堪らない」
その言葉に偽りはなかった。
「……これって、おかしいのかしら」
「……呪われた者は、みな等しく貪欲になる」
しばらく沈黙した後、カフルエルは静かに口を開く。
そう言いながら、彼はシエルの髪へ手を伸ばした。指先で髪を梳くように撫でる。
シエルは目を閉じ、その感触を受け入れた。
「その中でも"憎しみ"は闇に染まりやすく、壊れやすい」
「壊れやすい?」
「箍が外れる」
遠くを見るような目。
「何でもかんでも壊したくなる」
低い声。
「……今の俺の状態がそうだな」
シエルは黙って彼を見つめた。
カフルエルは髪から手を離し、そのまま彼女の頬へ触れる。
冷たい指先。シエルの頬がわずかに赤みを帯びた。
「……そして、"愛"もそうだ」
「あい?」
「愛も憎しみと同じだ」
カフルエルは淡々と続ける。
「箍が外れ、壊れる」
静かな言葉だった。
「だから、お前のその欲張りは正常だ」
シエルはしばらく彼を見つめ、安心したように微笑む。
「………よかった」
雨音はさらに強くなり、外の世界を遮断するように小屋の屋根を叩いていた。
二人は言葉を交わさず、ただ静かに互いを見つめる。
やがて、距離が少しだけ縮まった。
それは愛情なのか、執着なのか。
あるいは呪いによって歪められた感情なのか。
それは誰にもわからない。
小屋の中には雨音だけが響き続け、二人の影は薄暗い室内に静かに揺れていた。




