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ブルーテイル・ハピリス  作者: aki.
3、ダークエルフ
211/263

わずかな変化





「ルーン!」


 その時。鋭く名前を呼ぶ声が広場に響き、ルーンはハッとして顔を上げる。

 視線の先では、フィルたちが慌てた様子でこちらへ駆けてきていた。


 先頭を走るのはフィル。

 その後ろにはシオン、フィラーラ、ターナの姿もある。


「ルーン!」


 駆け寄るなり、フィラーラが両手を広げて飛びつくように抱きついてきた。


「わっ……どうしたの?」


 予想外の勢いにルーンは目を丸くする。

 問い掛けると、ターナが腕を組みながら周囲を見渡した。


「さっき、ここに誰かいなかったか?禍々しい気配を感知したんだが」

「……誰かって?」


 ターナの表情は真剣だった。

 隣ではフィルも険しい顔をしている。


「フィルの刻印も反応した。……かなりデカい奴だ」


 眉をひそめながら尋ねられ、ルーンは一瞬だけ言葉を失う。

 脳裏をよぎるのは、つい先ほどまで隣に座っていた男の姿。


 鋭い赤い瞳。

 黒いコート。

 不気味な笑み。


「…………」


 しかし彼女は何事もなかったかのように首を横へ振り、優しくフィラーラの肩を押して抱擁を解いた。


「いいえ。ここには誰も来ていないわ」

「本当か?」

「ええ」

「嘘はすぐにバレるぞ?」

「私が何故貴女たちに嘘を言わないといけないのかしら」


 ルーンは平然と言い返す。

 ターナは黙り込み、もう一度周囲へ視線を巡らせた。


 確かに感じる、邪悪な気配の残滓。

 薄れてはいるが、決して気のせいではない。

 おそらくはカフルエル。

 あの男がここにいた痕跡だ。


「……本当に、ここには誰も来ていないんだな?」


 再び確認するように問い掛けると、ルーンは少しだけ眉をひそめる。


「だからそう言っているでしょう。周りでは何も起きていないわ」


 その返答に、シオンとフィル、そしてターナは互いに顔を見合わせた。


「………」


 違和感が残る。

 ターナの感知能力も、シオンの察知能力も外れたことはない。

 フィルの刻印だって同じだ。

 三人が揃って反応している以上、この場に何かがいたことは間違いない。

 つまり、ルーンの「誰も来ていない」という言葉は明らかな嘘なのだ。


「ところで、フィラーラ。何持ってるの?」


 そこで、不意にルーンが話題を変える。


「あ、うん!これ、ルーンの着替えだよ」


 フィラーラは抱えていた荷物袋を掲げた。


「着替え……?」

「うんっ」

「……ああ、温泉に行くのね」


 一瞬首を傾げたルーンだったがすぐに思い出したように小さく呟き、フィラーラは満面の笑みで頷く。


「温泉に行く時間になっても帰ってこなかったから、みんなで探しに来たんだよ」

「そう」


 ルーンは荷物袋を受け取り、少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。


「ごめんなさい、フィラーラ」


 柔らかな笑顔。

 けれど、その笑顔にフィルは違和感を覚えた。

 説明はできないが、ほんの少しの違和感。いつもと変わらない彼女だが、何かが違う。


「……ってことは、貴方たちも温泉に?」

「……ああ」


 シオンが短く答える。


「そう。なら行きましょうか」


 そして、そう言ってルーンはくるりと彼らに背を向けた。

 先に歩き出していくその背中を見送りながら、シオンとターナは再び顔を見合わせる。


 言葉はない。

 だが互いに同じ疑問を抱いていることだけは伝わっていた。



+


「温泉っ、温泉っ。シオンと温泉っ」

「私たちもいるぞ」

「…………」


 温泉小屋へ向かう道中、フィラーラは上機嫌だった。

 隣を歩くシオンの腕に絡みつきながらターナの呆れた声もどこ吹く風で鼻歌まで歌っている。


 やがて温泉小屋へ辿り着き、湯気が立ち上るその建物へシオンたちは他愛のない会話を続けながら入っていった。


「ルーン」


 ルーンも後に続こうと足を踏み出すが、不意に腕を掴まれる。

 振り返ると、フィルが険しい表情で立っていた。


「何?」


 首を傾げる。

 フィルは少しだけ迷うように視線を揺らした。


「………いや。本当に、何もなかったのかなって思って」


 掴んでいる右手に刻まれた紋様が、まだ微かに痛みを残している。

 刻印は確かに反応を示した。何もないはずがない。あの気配は本物だった。

 フィルは知りたかった。本当のことを。


「さっきも言ったでしょう。私の周りでは何も起きていないわ」

「"周りでは"ってことは、ルーンには何かあったんだよな?」

「…………」

「どうして隠すんだよ。言ってくれ」


 フィルの声に焦りが滲む。


「あいつが……カフルエルが君のところに来たんだろ?」

「………本当に、何もないわ」


 ルーンは少しだけ目を伏せた。

 だが次の瞬間にはいつもの表情へ戻り、そう言い切る。

 そして、またも彼女は話題を変えた。


「それより、私……貴方に謝らないと」

「え?」


 突然の言葉にフィルは目を瞬かせる。


「今日一日、ずっと顔を合わせなかったから」


 ルーンは小さく笑い、少し困ったように眉尻を下げた。


「……少し考え事をしていたのよ。ごめんなさい」


 そう言って、真っ直ぐフィルを見つめる。


 真剣な瞳。

 それを見て、一瞬だけフィルは言葉を失った。

 掴んでいた右手の力が自然と緩む。


「……許してくれるかしら?」


 静かな問い。

 フィルはしばらく黙り込んだ後、戸惑いながらも小さく頷いた。


「……あ、ああ」


 その返事を聞き、ルーンは安心したように微笑む。


「……ありがとう、フィル」


 柔らかな笑顔だった。

 そして彼女は背を向け、温泉小屋の中へと入っていく。

 扉が閉まる。

 同時に、フィルの右手から痛みが消えた。


「…………」


 彼はゆっくりと刻印を見つめる。

 沈黙。何かがおかしい。

 胸の奥に引っ掛かる違和感。

 ルーンは確かに何かを、カフルエルの存在を隠している。

 それだけは間違いない。


 だが、その理由が分からなかった。


「…………」


 微かに湯気の匂いが漂う。

 フィルは眉をひそめたまま、しばらくその場から動くことができなかった。



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