接触
"マキノの腕が動かない"
その一言によって、本日のウェディングドレスとタキシードの製作作業は中止となった。
想定外に空いた時間をどう使うべきか少し考えた末、ルーンはひとり噴水広場へ足を運ぶ。広場の中央では、陽の光を受けた噴水がきらきらと輝いていた。
子供たちの笑い声が聞こえ、道行く人々は思い思いに休日の時間を過ごしている。
そんな賑やかな景色の中でルーンはベンチに腰を下ろし、小さく息を吐く。
頭の中に浮かぶのは、昼に聞いたマキノの言葉だった。
胸にそっと手を添え、空を見上げる。
「…………」
自分はどうやら、自分が思っている以上にフィルのことが好きらしい。
そう思った瞬間、少しだけ頬が熱くなった。
目を閉じる。
フィルの姿を思い浮かべると、胸がとくりと鳴いた。
ルーンはゆっくりと目を開く。
「帰ったら謝らないと……」
ぽつりと呟く。
今日一日、フィルとはほとんど顔を合わせていない。
自分の感情に整理がつかず避けるような真似をしてしまった。
もしかしたら変に思われたかもしれない。
もしかしたら傷つけてしまったかもしれない。
そう考えると、胸の奥が少し痛んだ。
もう一度息を吐き、視線を下へ落とす。
「……?」
ふと、噴水に目を向ける。
すると、噴水の縁、その足元に小さな花が咲いているのが見えた。
一輪だけ伸びた黒い花。
見覚えのない、不自然なほど黒い花だった。
こんな場所に花なんて咲いていただろうか。
そう首を傾げた瞬間。
「やはりまだ遅いな」
「っ……!」
突然聞こえた声に、ルーンは肩を震わせる。
慌てて顔を向けると、そこにはいつの間にか男が座っていた。その人物を見た瞬間、彼女は目を見開く。
「貴方は!」
黒い髪。
深く被ったフード。
黒いコート。
忘れるはずもない男だった。
ルーンは反射的に立ち上がろうとするが、その前に腕を掴まれる。
「っ……!」
強い力。
男は正面を見るだけで、ルーンにはほとんど視線を向けない。
「座れ。騒がれて目立ちたくないだろう」
低く冷たい声。
感情の読めない表情。
「………」
ルーンは警戒しながら周囲を見回す。
広場にはまだ多くの人がいる。
確かに、ここで騒ぎになれば迷惑を掛けるだけだ。
数秒の沈黙の末、彼女は大人しくベンチへ座り直した。
「貴方、何故ここにいるの?」
睨み付けながら問いかける。
しかし男はすぐには答えなかった。
背もたれに腕を乗せ、広場を行き交う人々へ視線を向ける。
学び舎帰りの生徒。
買い物袋を提げた大人たち。
家族連れ。
ペットを散歩させる老人。
誰もが平穏な時間を過ごしている。
「この村の奴らは変わらず呑気なものだな」
ぽつりと呟く。
「シエルから聞いていると思うが……近々俺たちはこの村にある学び舎を襲撃する」
「……どうして学び舎なの?」
ルーンは眉をひそめた。
男…カフルエルは表情一つ変えない。
「理由などない。学び舎には大勢の人間が集まり、多くの呪いが生まれる」
そこで一度言葉を切る。
「……ただ、それだけのことだ」
「…………」
呪い。
最近になって耳にするようになった言葉。
だが、未だにその正体をルーンはまだ知らない。
一体、"呪い"とは何なのか。
沈黙が流れる。
やがてカフルエルの視線がルーンへ向いた。
「……貴様、その服は学び舎のものだな」
制服を見据えながら言う。
「……俺との因縁がありながら呑気に学園生活か。笑えるな」
「貴方には関係ないわ」
ルーンは即座に返した。
「私がどこで何をしようと勝手でしょう」
「……確かに。貴様がどこで何をしようが俺には関係ない」
カフルエルはあっさり頷き、そう言って立ち上がる。
フードの影がわずかに揺れた。
「だが、よくあそこが貴様を受け入れたものだ」
「貴方は知らないでしょうけど、理解のある大人がいるのよ。おかげで過ごしやすい毎日を送っているわ」
「そうか」
短い返事。
そしてカフルエルはルーンに背を向けて歩き出し、数歩歩いたところで立ち止まった。
「……だが、その"過ごしやすい毎日"とやらも、もうじき終わる」
振り返る。
フードの奥から覗く赤い瞳が鋭く光った。
まるで獲物を狙う獣のような視線。
その圧力に、ルーンは無意識に体を強張らせた。
「その時、貴様が一体どんな表情を見せるのか」
カフルエルの口元が歪み、赤い瞳に愉悦が宿る。
「今から楽しみだ」
そして、ニヤリと笑うと彼は人混みの中へ消えていった。
黒いコートが雑踏へ溶け込み、その姿はすぐに見えなくなる。
ルーンはしばらく動けなかった。
張り詰めていた緊張がようやく解ける。
「…………」
肩から力が抜け、それでも視線だけは彼が消えた方向を睨み続けた。
胸の鼓動はまだ速い。
どくり。どくり。
鳴り続ける心臓を押さえながら、ルーンは下唇を強く噛み締める。
青空の下に広がる穏やかな日常。
子供たちの笑い声。
行き交う人々の笑顔。
その光景が、カフルエルの言葉によって薄く影を落として見えた。




