フィルとシエル
十ニ年前。王都アーバン。
その日、フィルは五歳の誕生日を迎えた。
王城の一室で両親と共に過ごしていた彼の前に、一人の女性と少女が連れて来られる。
「フィル。今日からお前の身の回りの世話をすることとなったヴァルテアとシエルだ。ヴァルテアのことは知っているだろう」
父親の言葉に、フィルは二人へ視線を向けた。
長年王城に仕えてきたメイドであるヴァルテア。その背後には、母親の服の裾をぎゅっと握りしめながら隠れる少女の姿があった。
焦げ茶色の短い髪。
大きな瞳には緊張の色が浮かんでいる。
「こんばんは、フィル様。本日から貴方様のお世話をさせていただきます」
ヴァルテアは優雅に一礼した。
そして背後の少女へ視線を向ける。
「こちらは私の娘のシエルです。……ほら、シエル」
「っ!」
突然名前を呼ばれたシエルは肩を震わせた。
母親に背中を押されると、彼女は恐る恐る前へ出る。
「は、はじめましてっ。シエルです!」
スカートの裾を摘み、深々と頭を下げた。
その声は緊張で少し上ずっていて、フィルは黙って彼女を見つめる。
「シエルはまだメイド見習いだが、勉強のために連れてきた。いずれ彼女はヴァルテアの代わりに、お前の身の回りの世話を頼むことになるだろう」
父親はそう言って、フィルの頭を優しく撫でた。
「なに。彼女とお前は歳も近い。すぐに仲良くなれるさ」
「……うん」
小さく頷くフィル。
これが、フィルとシエルの最初の出会いだった。
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父親の言葉は正しかった。
二人が仲良くなるのに、そう長い時間は必要なかった。
王城の中庭を駆け回り、鬼ごっこをして遊んだ日。
勉強机を並べ、難しい問題に頭を抱えた日。
失敗して落ち込むシエルをフィルが励ましたこともあれば、逆にフィルが叱られて落ち込んだ時にはシエルが慰めてくれたこともあった。
共に笑い、共に悩み、共に成長する。
気が付けば二人は、いつも一緒にいるのが当たり前になっていた。
そして三年の月日が流れた、ある日のこと。
「フィル! 見てみて!」
勢いよく扉が開く。
机に向かって勉強していたフィルは顔を上げた。
部屋へ飛び込んできたのは、十二歳となったシエル。
肩で息をしながら、彼女は一枚の紙を掲げた。
「じゃーん!」
「……何それ?」
フィルは首を傾げた。
「見てわかるでしょ! メイド採用試験合否結果!」
「いや、それはわかるよ」
呆れたように返しながらも、フィルは立ち上がる。
「……試験受けたの?」
「そう! でね、今日起きたらこれが届いてたの!」
シエルは興奮を隠しきれない様子だった。
フィルは差し出された紙を受け取り、書かれた文章へ目を通す。
「『……試験の結果は合格。おめでとうございます。本日から貴女様は正式のメイドとなりました』」
そこまで読んだところで、フィルは目を見開いた。
紙とシエルの顔を何度も見比べる。
「シエル……合格したの?」
「うん!」
彼女は満面の笑みで頷いた。
「一時はどうなるかと思ったけどね! ちゃんと心を落ち着かせて、お母さんの言う通りにいつも通りやったらうまくいったの!」
ばんざーい!
そう叫びながら両手を高く上げる。
その姿は見ているだけでこちらまで嬉しくなるほどだった。
フィルの口元も自然と緩む。
「おめでとう」
その言葉を聞いたシエルは、ぱっと振り向いた。
そして、花が咲くような笑顔を見せる。
「ありがとうっ! フィル!」
「!」
その瞬間だった。
とくん。と、胸の奥が小さく脈打つ。
何故だかわからない。
けれど、その笑顔から目が離せなかった。
光を受けて輝く瞳。柔らかな笑み。
嬉しそうに笑う彼女の姿が、誰よりも綺麗に見えた。
「………っ」
フィルの頬がじわりと熱を帯びる。
「フィル?」
急に黙ってしまったフィルに不思議そうに首を傾げるシエル。
顔を近づけてきた彼女にフィルは慌てて視線を逸らした。
心臓が妙に騒がしい。
この時、フィルは初めて"恋"という感情を知った。
+
だが、フィルがシエルに恋をして六年が経ち、彼が十四歳になったある日のこと。
彼の右手に、突如として謎の刻印が現れた。
誰も見たことのない不気味な紋様。
それは彼の運命を大きく変える始まりのものだった。
―こっちへ…こっちへ…―
「っ……」
刻印が現れてから数日後。
フィルは声に導かれるままに廊下を歩く。
突然の出来事だった。
彼は痛みに耐えきれずに意識を失い、その場に倒れる。
そしてその後、目を覚ませば彼のそばには血を流して倒れた兵士たちの姿があった。
王城は騒然となった。
兵士を死なせた罪。
そして、不吉な刻印。
人々は口々に噂した。
刻印は災厄を呼ぶ。
刻印は不幸を招く呪われた印なのだと。
フィル様は刻印の力に魅了され、兵士を殺したのだと。
やがてその声は王城全体へ広がり、ついには王の耳にまで届く。
そして下された決定は残酷なものだった。
「フィル、このような結果になり残念に思う」
「………」
フィルの追放。
生まれ育った王都アーバンからの追放だった。
別れを告げる暇もなく。
愛する人へ想いを伝えることもできないまま、十四歳の少年は故郷を後にすることになる。




