強い感情は厳禁
ヴィーが部屋を出てから少しして、エーもその後を追うように廊下へ出た。
静かな廊下を歩いていると向こうから誰かが歩いてきて、彼女は足を止める。
「朱咲さん!」
声を掛けると、相手もこちらに気付いて立ち止まった。
「よかった。目が覚めたのね。体は大丈夫?」
「ええ、おかげさまで」
駆け寄りながら問えば、朱咲は穏やかに微笑む。
その返事に、エーは胸を撫で下ろした。
「本当によかった」
だが、すぐに表情を引き締める。
「でも油断はしないでね」
「?」
「ヴィーが言うには、まだ貴女の中には呪いが残っているみたいなの。なるべく除去は進めるつもりだけど、しばらくは強い感情を抱かないように気を付けて」
エーは真剣な表情で続けた。
「もし刺激されたら、また呪いに引っ張られるかもしれないから」
「……そう。ありがとう。気を付けるわ」
朱咲は静かに頷く。
彼女の中にある呪いが、あとどの程度残っているのかはわからない。
何事も起こらず自然に消えていく可能性もあるが、だが逆に、ほんの些細なきっかけで再び表面化する危険もあった。
だからこそ注意は必要だ。
「それじゃあ」
エーは最後に微笑みを向けると、そのまま祭壇のある広間へ向かって歩き出す。
朱咲はその背中を見送り、そして、一人になった廊下で静かに目を伏せた。
「……」
昨夜の出来事が脳裏によみがえる。
教会へ足を踏み入れた瞬間に感じた異様な気配。あれは今まで経験したどの瘴気とも違っていた。
触れた途端、心の奥深くへ沈めていた感情が抑えきれなくなった。
清龍への想い。
長い年月をかけて閉じ込めてきた感情。
本来ならもう決して口にするつもりのなかった言葉。
それらが一気に溢れ出してしまった。
「……」
思い出すだけで胸が重くなる。
罪悪感がギシギシと胸を押し潰す。
封術でさえ抑えきれないほどの呪い。
エーの忠告は決して大げさではない。
これからは自分の気持ちを上手くコントロール出来るようにしなければ。また引っ張られることのないように。
「……はぁ」
朱咲は小さく息を吐くと、再び歩き出す。
向かう先は清龍のいる部屋。
顔を合わせた時の第一声を何にするか考えながら、彼女は足を進めた。
+
祭壇のある広間へ戻ったエーは、静かに中央へ立っていた。
周囲にはまだ微かに呪いの残穢が漂っている。
普通の人間には見えないが、それは確かに存在していた。
「………」
エーは目を閉じ、足元へ魔法陣を展開させる。淡い光が床いっぱいに広がり、同時に呪文を唱えた。
瞬間。彼女の背中から純白の羽根が現れる。大きな翼は音を立てて広がり、教会の空気を揺らした。
離れた場所で腕を組んでいたヴィーが静かにその様子を見守る。
「……光よ。闇を祓え」
詠唱を続ける。
魔法陣が輝きを増し、そこから放たれた光が床を走って壁を駆け上がり、教会全体へ広がった。
光は目に見えない呪いを包み込む。黒い靄のようなものが浮かび上がり、共に粒子となって消えていった。
少しずつ。
確実に呪いの気配が薄れていく。
「……っ」
エーの眉が寄り、額には汗が滲む。
それを見て、ヴィーは眉をひそめた。
「おい、無理するな」
「大丈夫……」
返ってきた声は少し苦しそうだった。
だが魔法は止まらない。
「(あと少し……)」
胸の前で組んだ両手に力を込める。
深く息を吸い込み、最後の力を注ぎ込んだ。
そして、教会に漂っていた残穢は完全に消滅し、光が静かに消えていく。
足元の魔法陣も薄れ、やがて跡形もなく消えた。白い翼も粒子となって空へ溶けていく。
「……ふぅ」
エーはゆっくりと目を開いた。
その直後、足元が大きく揺れる。
「!」
身体が傾いて倒れかけるも、ヴィーが素早く支えた。
「っと」
しっかりと肩を抱えられる。
「おつかれさん」
優しい声。
エーは安心したように笑った。
「ありがとう」
そこで扉が開く音が聞こえる。
振り返ると、清龍と朱咲が広間へ入ってきていた。
二人はすぐに異変に気付く。
先ほどまで感じていた重苦しい気配が綺麗に消えていた。
思わず顔を見合わせる。
「もう大丈夫よ。残穢は全部消えたわ」
エーはヴィーから離れながら言った。
清龍は周囲を見渡す。確かに何も感じない。
「そのようだな。……だが、どうやって?」
「それは……」
少し驚いた様子で頷き、問いかける。
エーは言葉に詰まった。
説明が難しい。
そんな彼女を見て、ヴィーが代わりに口を開いた。
「俺らは天族だからな。残穢を消すくらい朝飯前だ」
「………そうなのか」
肩をすくめながら言うと、清龍は納得したように頷いた。
細かく追及するつもりはないようで、しばらく沈黙が流れた後、彼は二人の前まで歩み寄る。
「まだ礼を言ってなかったな。助けてくれて感謝する」
そう言うと頭を下げた。
そのあとで、彼のあとから歩いてきた朱咲も続いて頭を下げる。
「私からも。本当にありがとう」
「君たちがいなければ、俺たちは二人ともやられていた。もっと警戒するべきだった。不甲斐ないな」
「本当に無事でよかったわ。この大陸を守護する聖獣たちに何かあったら大変だもの」
エーは首を横に振り、柔らかく微笑む。
「……私たちのことを知っているの?」
朱咲が目を丸くする。
エーはヴィーと顔を見合わせた。
「ええ。貴女たちについて詳しい仲間がいて…その人から教えてもらったの」
「俺たちに詳しい仲間…?」
「それはもう凄い勢いで熱弁されて。途中から情報量が多すぎて聞くだけで大変だった」
思い出しただけで圧倒される。
ヴィーもその様子を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
+
そして、一通り話が終わった後。
ヴィーは腕を組んで清龍たちに尋ねる。
「それで、お前たちはこれからどうするんだ?」
「俺は帰る。待たせてる奴らがいるからな」
清龍の脳裏に桃華と依千蔵たちの顔がよぎる。
ヴィーは納得したように頷き、次に朱咲を見た。
「私はここに残るわ。少し調べたいことがあるの」
「そうか」
肩をすくめる。
そして少し考えた後、彼はエーの方に顔を向けて言葉を続けた。
「じゃあ俺もここに残るよ。朱咲の中にある残りの呪いを消さないとだからな」
「わかった」
「完全に除去できるまで時間が掛かるだろうから、それまではお互いに自由に過ごすってことでいいよな。…俺はここにいるとして、お前はどうす…る…」
聞いた瞬間、ヴィーは激しく後悔した。
言葉を続けていくにつれて彼女の表情は輝きを増していき、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに目をキラキラとさせる。
「なら私、清龍さんと一緒にサクラ村に行く!」
清龍と朱咲の視線もエーに向く。
ヴィーは嫌な予感を覚えた。
「……理由は?」
だいたい見当は付くが、一応聞いてみる。
するとエーの目がさらに輝いた。
「あのねっ。サクラ村には温泉があるって聞いたの!それを知った時、もう気になって仕方なくて!」
エーは拳を握り、ぐいっと身を乗り出す。
「ここに来る途中も、ずっとそのことばかり考えてたの!」
満面の笑みで言う。
まるで宝物を見つけた子供のような顔で、しばしの沈黙の後、ヴィーはジト目になった。
「……温泉バカが」
ぽつりと呟く。
そのまま深いため息を吐くが、エーはそんな反応など気にも留めず、清龍に村にある温泉は露天風呂なのかと聞いていた。




