鍵が掛かった部屋には
その日も、ルーンはいつものように図書室で本を借りていた。
貸出手続きを終え、数冊の本を抱えたまま静かな室内を歩く。
高い天井まで届く本棚。紙とインクの匂い。窓から差し込む午後の光が、埃を金色の粒に変えて漂わせていた。
彼女はそのまま出口へ向かうはずだったが、ふと足を止めて視線を奥へ向ける。
図書室の最奥。普段、生徒たちがほとんど近寄らない場所。ここには以前にも一度立ち寄ったことがあった。
しかし、そこに並んでいた本はルーンの興味を惹くものではなく、いつしか意識の外へ追いやっていた。
──だが今日は違う。
「…………」
ルーンは目を細める。
そこにあったのは、一枚の看板が掛けられた古びた扉だった。
“関係者以外立入禁止”と書かれた黒い文字が、やけに目につく。
ルーンはゆっくり近づき、ドアノブに手を掛けた。
回すと、がちゃりと鈍い音。
開かない。
「……鍵が掛かってる」
小さく呟き、今度は扉の小窓から中を覗き込む。
薄暗い部屋の奥には、本棚がいくつも並んでいた。ここからではよく見えないが、そこにある本は、一体どんなものなのか。
「……あ、こんな所に。おーい!」
「!」
背伸びをしてもっとよく見てみようとしたが、そこで背後から声が飛んできてはっと扉から離れる。
振り返ると、依千蔵がこちらへ向かって走ってきていた。
「お前、何やってんだよ。桃華姉ちゃんたち待ってんぞ?」
「……少し気になったのよ、ここが」
「ん?」
言われて、依千蔵も扉を見つめる。
「この奥に何があるのか知ってる?」
「知ってるわけないだろ。ここは俺たち生徒は入れない。入れるのは司書と先生だけだ」
「………」
その言葉を聞いて、ルーンは再びドアノブへ触れた。
回す。当然、開かない。
彼女の視線は扉に縫い付けられたまま。
どうしても扉を開けたい。
この奥にある本の中に、もしかしたら自分の知りたいことが記されているかもしれない。
そう考えた途端、胸の奥が冷たくざわついた。
「意味ないことしてんなって」
依千蔵は呆れたように言い、手に持っていた鞄を差し出す。
「……ほら。持ってきてやったから帰るぞ」
ルーンは無言で受け取ったが、しかし足は動かなかった。顎に手を添え、じっと扉を睨みつける。
考え事をしているみたいで、依千蔵はしばらくその様子を見守っていたが、やがて深いため息を吐いた。
「お前……」
強引にルーンの腕を掴む。
「! ちょっと!」
「いいから帰る!」
そして半ば引きずるようにして、彼はルーンを図書室の外へ連れ出した。
+
翌日。
ルーンは司書の女性へ真正面から頼み込む。
「あの奥の部屋に入りたいのだけど」
だが返答は即答だった。
「駄目よ」
カウンター奥で本を読んでいた司書の女性は、ぴしゃりと言い切る。
「あの部屋は関係者以外立入禁止。書いてあったでしょ?」
「少し見るだけでも駄目?」
「駄目」
「本当に少しだけ」
「何度言っても駄目」
寸分の隙もない。
氷の壁みたいな拒絶。
そして最後に、司書の女性は僅かに表情を曇らせて言った。
「特に貴女は、あの部屋には絶対に入っては駄目」
「……え?」
思わず聞き返す。
だが女性は、それ以上何も答えなかった。
「とにかく駄目」
その一言で話は終わる。
しかし、その言葉こそがルーンの疑問を深めた。
"特に自分は駄目"
それはどういう意味なのか。
あの部屋には何があるのか。
考えれば考えるほど、扉の向こうが気になって仕方がなかった。
それからというもの、ルーンは何度も司書へ頼み込む。
翌日も。その翌日も。その翌々日も。
しかし返事は変わらず、ノー。
話によれば、あの部屋には生徒全員の詳細な情報が記された書類が保管されているらしく、教師と司書以外が立ち入れないのもそのためだという。
他にも理由を説明されていたが、ルーンはほとんど聞いていなかった。
彼女の頭を占めていたのは、たった一つ。
どうすればあの扉の中へ入れるのか。
ただそれだけだった。
+
「…………」
「ルーンちゃん。最近、顔怖いよ。何かあった?」
昼休み。
中庭近くのベンチで弁当を食べていたルーンへ、マキノが心配そうに声を掛けた。
ルーンは箸を止め、小さく息を吐きながらマキノから“美味しいから飲んでみて”と渡された紅茶へ口をつける。ほのかな苦みと甘さが舌に広がった。
「……何か悩み事があるなら聞くよ?」
マキノは惣菜パンを齧りながら言う。
彼女は今日も寝坊したらしく、昼食はパンだけだった。
「悩み……というわけではないんだけど」
「うんうん」
もぐもぐと咀嚼しながら頷くマキノ。
ルーンはカップを膝へ置き、ぽつりと口を開いた。
そして、図書室の奥の部屋について話し始める。
鍵の掛かった扉。
入室拒否。
“特に貴女は駄目”という言葉。
隠すことなく全てを話し終える頃には、マキノはぽかんとした顔で紅茶を飲んでいた。
「立入禁止の部屋……。なるほど。だからルーンちゃん最近ずっと図書室にいたんだね」
「何度頼んでも返事は同じ。……何か他に良い方法はないかしら」
顎に手を添え、ルーンは考え込む。
するとマキノは困ったように笑った。
「うーん。それだけやっても駄目ってことは、諦めるしかないんじゃないかな」
「……やっぱりここは彼女の目を盗んで、その隙に入り込むしかないかしら」
「え、それって不法侵入するってこと?そんなことしたら退学になっちゃうよ!」
「別に、本当にやるってわけじゃないわ。あくまで手段の一つよ。最終的にそうなった場合は仕方ないけど」
「仕方なくないよ!?」
ルーンは肩をすくめる。
悲鳴のようなツッコミが飛ぶも、しかし彼女は気にした様子もなく再び弁当を食べ進めた。
マキノはパンの最後の一欠片を口へ放り込む。
「……ルーンちゃんが退学になったら、私寂しいよ」
その呟きに、ルーンの箸が一瞬だけ止まる。
だが彼女はすぐに、何事もなかったように視線を落とした。




