"アテ"
「フィル様。おかえりなさいませ」
家へ戻り、客間の襖を開けた瞬間。
聞き慣れない声が静かな室内に響いた。
ルーンたちは足を止める。
そこには、見知らぬ男性が座っていた。
ホワイト、グリーン、フィラーラと共に卓を囲み、湯気の立つお茶を飲んでいる。
紺色の髪に灰色の瞳。整った顔立ちをした青年だった。姿勢は真っ直ぐで、どこか洗練された空気を纏っている。
ルーン、桃華、依千蔵は揃って顔を見合わせた。
「誰?」
率直に依千蔵が問う。
すると男性は静かに立ち上がり、胸に手を添えて一礼した。
「初めて顔を合わせますね。はじめまして」
落ち着いた声。
「俺はカイトと申します。この度、王都アーバンの王となられたフィル様の従者です。……と言っても、まだなりたてですけど」
柔らかな笑みを浮かべながら、彼は続ける。
さらりと告げられたその言葉。
だが、その中に含まれていた単語にルーンはぴくりと反応した。
「王……?」
彼女は隣のフィルを見る。
「フィル、王って何?」
「あれ?言ってなかった……っけ?」
「あの時、私のルーンはこの場にいなかった。だから私のルーンはその事実を知らない」
きょとんと目を瞬かせるフィルに、ホワイトが淡々と言う。
フィルが王であるという事実は、ルーンだけではなく桃華と依千蔵にとっても初耳だった。
「フィルさん、王様だったの!?」
二人は勢いよく互いの顔を見て、桃華が思わず声を上げる。
「おかえり、四人とも」
「せっ、せせせせ清っ!」
ちょうどその時、彼女たちのもとに清龍が姿を現し、桃華は弾かれたように振り返ってそのまま清龍の腕を掴んだ。
「清はフィルさんが王様だって知ってた!?」
「……まぁ」
もの凄い勢いで詰め寄られ、清龍は少し目を丸くしながら頷く。
「ちょ、知ってたんなら教えてよ!私、今まで結構な無礼をしてきたかもしれない……!」
桃華はみるみる青ざめていく。
王。その響きだけで、今までの会話や態度が脳内を高速で駆け巡っているのだろう。
「そ、そんなに慌てなくても……」
フィルは困ったように眉を下げた。
「態度、改めた方がいい!?……あっ、いいですか!?」
「いや、別に今のままでいいよ!桃華は友達なんだから!」
完全に桃華は混乱していた。
依千蔵はそんな彼女を見て吹き出しそうになり、ルーンは呆れ半分で眺めている。
どうやら落ち着くまでには時間が掛かりそうだった。
「……それで、この人が貴方の言ってた"アテ"なの?」
ルーンが改めて尋ねる。
「あ、うん。そうなんだ」
フィルは、桃華をなだめつつ頷いた。
「……カイトは、学び舎の卒業生らしくて。初めて会った時に"東の大陸で勉学に励んでた"って言ってたのを思い出して……ターナさんに頼んで呼んできてもらったんだ」
「突然、目の前に大きな鳥が現れた時は驚きました」
カイトは苦笑しながら言う。
「彼女から、フィル様が俺に用があると言われて……何かと思えば、勉強を教えてほしいと」
「……でも、お前よくあそこに入れたよな」
依千蔵が腕を組む。
「あの教室に入るためには、入学試験で相当な点数叩き出さないと無理だって話なのに……」
「依千蔵くん!失礼だよ……!」
桃華が即座に反応する。
「桃華、落ち着け」
清龍は苦笑しながら彼女の頭に手を置いた。
依千蔵の言葉に、フィルは「あー……」と曖昧に笑う。
「まぁ、オレもそれには吃驚なんだけど。カイトの教え方がよかったんだよ、きっと」
「いえ、そんなことは」
カイトは静かに首を横に振った。
「俺はただ基礎を教えただけです。特待生となれたのはフィル様の完全な実力ですよ。謙遜なさらないでください」
穏やかな声音。
その言葉にフィルは少し照れ臭そうに視線を逸らす。
「学び舎に通っていた時、貴方も特待生だったの?」
「……はい。大きな口では言えませんが」
ルーンが問うと、控えめにカイトは答えた。
「王の従者になるのって、結構な頭の良さも必要だろうからな」
依千蔵がぽつりと呟く。
すると、清龍が手を叩いた。
「ほら。話はその辺にして、そろそろ夕食の準備をするぞ」
その言葉にルーンたちは頷き、それぞれ着替えのために部屋へ向かっていく。
賑やかな足音が遠ざかり、客間は少し静けさを取り戻した。
それを見送ったあと、カイトは再び座布団へ腰を下ろす。
少し冷めてしまったお茶を手に取り、静かに口をつけた。
背筋を伸ばし、丁寧な所作で湯呑みを傾ける姿は、まるで絵巻物の一場面のようだ。
そんな彼を見ながら、清龍がふと口を開く。
「……カイトって名前を聞いて思い出した」
「?」
「お前、カイト・ヒノワだろ」
突然のフルネーム呼び。
カイトは一瞬だけ目を細め、それから小さく笑った。
「……ああ。貴方は知っているんですね」
「当時の一大ニュースだったからな」
清龍は肩をすくめる。
「とんでもない頭脳を持った男が学び舎に入学したって。歴代の特待生たちの成績が霞むくらいの点数を叩き出して、教師たちを驚かせたとか」
「お恥ずかしい限りです」
カイトは穏やかに微笑む。
「……それを言うなら、貴方もそうですよね。清龍様」
「俺なんて可愛いもんだよ」
清龍は軽く笑い、その場を離れる。
客間には再び静寂が落ち、カイトは目を閉じて小さく笑うと、もう一度湯呑みに口をつけた。
冷めかけた茶の香りが、静かに口の中で広がった。




