憎しみ
学び舎の制服を脱ぎ、いつもの服へ着替えたルーンは、髪を軽く整えながら客間へ戻ってきた。
部屋の中には、すでに夕食の香りが満ちている。
甘辛く煮込まれた豚の角煮の匂い。焼きたての玉子焼きの香ばしい香り。湯気の立つ味噌汁からは、出汁の優しい風味が漂っていた。
清龍と桃華が手際よく料理を並べ、依千蔵が人数分の茶碗を運んでいく。
全員分のご飯と味噌汁が配り終えられるころには、低い机の上はすっかり賑やかになっていた。
ルーンたちは机を囲むように、それぞれ座布団へ腰を下ろす。
「いただきます」
清龍が静かに手を合わせる。
その言葉を合図にするように、皆もそれぞれ声を重ねた。
「いただきます」
「いただきまーす」
「……いただきます」
箸が動き始め、夕食の時間が穏やかに流れ出す。
「お。こりゃ美味いな」
早々に声を上げたのはターナだった。彼女は玉子焼きを箸で豪快に突き刺し、そのまま一口で頬張る。
もぐもぐと咀嚼を繰り返したあと、満足そうに口元を緩めた。
「ターナさん、行儀悪いですよ」
隣に座るフィルが注意する。
しかしターナは意にも介さず、次の玉子焼きへ箸を伸ばした。
「細かいことは気にするな。飯が不味くなるぞ」
「そういう問題じゃないと思うんですけど……」
フィルは肩を落とす。
そんなやり取りを横目に見ながら、桃華がルーンへ顔を向けた。
「そういえばルーンさん、今日借りた本って何だったの?」
ルーンは箸で持ち上げていたご飯を口へ運び、ゆっくり飲み込んでから答える。
「今日借りたのは、“世界の歴史”っていう本よ。寝る前に読むつもり」
「……歴史の本なら、ダークエルフのことも何かわかるかもしれないわね」
「ええ。そう願うわ」
向かい側で交わされる会話を聞きながら、フィルは静かに首を傾げていた。
ルーンがダークエルフについて調べていることは知っている。けれど、そのためにわざわざ学び舎へ通う必要があるのか。それが彼にはまだよく分からなかった。
じっと見つめていたことに気づいたのか、ルーンが視線を向ける。
「……何?」
「いや、その……まさかルーンが学び舎に通ってるなんて思ってなくて。なんでそうなったんだ?」
問いかけられたルーンは、玉子焼きを箸でつまみながら眉をひそめた。
「言ってなかったかしら」
ぽつりと呟く。
「ダークエルフについてじっくり調べるには、これしか方法がなかったのよ。部外者は学び舎に入れないって聞いたし……だったら、いっそ生徒になれば調べ放題だと思って」
そう言って、玉子焼きを一口。
じゅわりと広がる甘い味に、ルーンの表情がわずかに緩む。さらにもう一口食べ、静かに咀嚼を続けた。
「ルーン、角煮も美味しいよ!」
フィラーラが嬉しそうに言いながら、頬いっぱいに角煮を詰め込んでいる。
「それはいいわ」
ルーンはぴしゃりと断る。
そしてふと、彼女へ視線を向けた。
「……そういえば、貴女さっきまでどこで何をしていたの?」
「人魚の子は、私のルーンが学び舎へ向かったあと、すぐに出掛けた。それからずっと温泉小屋に入り浸っていたらしい」
答えたのはホワイトだった。
「学び舎に行ってからすぐって……。で、さっき帰ってきたのよね?」
「二時間に一回、小屋の人が様子見に来たよ。長風呂、気持ちよかった」
フィラーラはにこにこと笑う。
「……貴女、煮えちゃうわよ」
ルーンは呆れたようにため息をついた。
「でも、本当に驚いたわ」
桃華が味噌汁の椀を持ちながら言う。
「ルーンさんから“学び舎に通いたい”なんて聞かされた時は吃驚したもの。事情を聞いて納得はしたけど、先生に説明するの大変だったんだから」
「迷惑を掛けたと思ってるわ。突然だったものね」
ルーンは少し申し訳なさそうに目を伏せる。
すると依千蔵が味噌汁をすすりながら、ぼそりと呟いた。
「……ダークエルフがダークエルフについて調べてどうすんだか」
その言葉に、場の空気が少しだけ静かになる。
ルーンは箸を置き、静かに口を開いた。
「私が知っているのは、ダークエルフが世界を滅ぼしたことと、そのせいで世界に嫌われているってこと。それだけよ」
紫の瞳が、静かに揺れる。
「どうして世界を滅ぼしたのか、その理由は知らない。……だから調べるの。何も知らないままなのは嫌だから」
「ルーン……」
「私のルーンの故郷は、同種のダークエルフに襲撃され滅ぼされた」
ホワイトが静かに続ける。
「何故、彼がそのような行動を取ったのかは分からない。私も知りたいと思う」
部屋に重い沈黙が落ちた。
その空気を割るように、ターナが角煮を口へ放り込みながら言う。
「……彼奴が集落を襲ったのは、呪いにより理性が崩壊したからだ」
ルーンの眉がぴくりと動く。
「どういうこと?」
「彼奴は元々、ダークエルフを憎んでいた」
ターナは淡々と語る。
「ダークエルフは悪。ダークエルフは滅ぶべき存在。おそらく、此奴らと同じように幼い頃からそう刷り込まれて育ったんだろうな」
そう言って、視線を桃華と依千蔵へ向けた。
「そして、その感情が呪いによって爆発」
ターナは茶碗を持ち上げる。
「憎しみを溜め込み続けたダムが、ある日決壊した。それだけの話だ」
言い終えると、彼女は豪快にご飯をかき込んだ。
話についていけず、清龍と桃華、依千蔵は顔を見合わせる。
静かな空気の中、シオンがぽつりと呟いた。
「……呪いというのは、やはり厄介だな」
「まったくだ」
ターナは短く同意し、深く頷いた。
「呪い……」
湯気の立つ味噌汁の向こうで、ルーンは黙ったまま箸を握り締めていた。




