たった数日
「ほお。ここがサクラ村か」
夕暮れ色に染まり始めた空の下、ターナは村の入り口に立ちながら目を細めた。風に乗って桜の花びらが舞い、石畳の道を淡い色で埋めていく。
「……して、その清龍とかいう奴の家はどこにあるんだ?」
「こっちです」
フィルは小さく返事をし、村の奥へと歩き出した。
北の大陸を出発してから数日。二人はようやく東の大陸へ辿り着いた。
港町へ到着した船がゆっくりと停泊し、他の乗船客たちとともにタラップを降りる。
潮の香りと、人々の賑わい。北とはまた違う空気に、フィルはどこか懐かしさを覚えていた。
港で休憩を挟んだあとにサクラ村へやって来たため、到着した頃にはすでに日が傾き始めていた。
道の両脇に並ぶ桜の木々から、花びらが絶え間なく降り注ぐ。その中を歩きながら、ターナは周囲を興味深そうに見渡していた。
やがて、一軒の家の前でフィルは足を止める。
「ここです」
ターナは家全体を眺め、率直に口を開いた。
「随分と小さな家だな」
「この大陸の家は、だいたいこんな感じらしいですよ」
そう答えながら、フィルは引き戸の脇に取り付けられた呼び鈴を押した。
ピンポン、と軽やかな音が家の奥へ響き、少しの沈黙のあと。
「きゅうっ!」
という鳴き声が聞こえてくる。
続いて、カリカリと何かを引っかくような音。ガラス戸の向こうに、ぼんやりと青い影が揺れていた。
そして、ガラリと戸が開く。
「!」
「……来たか」
姿を現したのはシオンだった。
まさか彼が出てくるとは思わず、フィルは目を丸くする。しかしシオンは特に気にした様子もなく、いつもの無表情のまま立っていた。
同時に、足元から青い影が飛び出してくる。
「きゅうっ!」
ブルーテイルが勢いよくフィルの胸へ飛び込んだ。
「うわっ、と……」
小さな体を受け止めると、ブルーテイルは嬉しそうに尻尾を揺らす。
「フィル。いらっしゃい」
その背後から清龍が歩いてきた。
穏やかな笑みを浮かべながら、自然な様子で二人を家へ招き入れる。
「長旅だっただろう。とりあえず上がってくれ」
案内された客間には、ホワイトとグリーンの姿があった。
二人とも特に何かしているわけではない。ただ静かに座り、時間そのものを眺めているような空気を漂わせている。
ルーンとフィラーラの姿はないようだ。
「戻ってきたか、金色の子」
「随分と遅かったな」
動かないまま、顔だけをフィルへ向けて二人が言う。
「……何してるんだ、二人とも」
「見て分からないか。何もすることがないからボーッとしている」
フィルが呆れたように聞くと、ホワイトが真顔で答えた。あまりにも堂々とした返答に、フィルは口元を引きつらせる。
そのとき、グリーンの視線がターナへ向いた。
「フィル、そこにいるのは誰だ?」
「あっ」
完全に紹介を忘れていたことに気づき、フィルは慌ててターナの方を見る。
彼女を皆へ紹介しながら客間へ入ると、グリーンはじっとターナを見つめ、細く目を細めた。
「……ほお。おぬし、狩る者か。こんな場所にいるとは珍しいな」
「今は此奴の護衛としてここにいる」
ターナは腕を組み、淡々と答える。
「そうそう死ぬようなタマではないと思うが、一応、此奴はもう王なのでな。死ぬ気で守れと言われた」
「王?」
グリーンの眉がわずかに動く。
「……なるほど。フィルは王になったか。ということは、前王は……」
その先を聞かれ、フィルはほんの少し視線を落とした。
「……次の世界に旅立ったよ」
静かな声だった。
「そうか……」
グリーンも静かに呟いて、頷く。
周囲にしんみりとした空気が流れるが、その空気を切り裂くようにブルーテイルが突然ぴくりと耳を動かした。
瞬間、玄関へ向かって一目散に駆け出す。
ブルーテイルが足を止めると同時に、ガラリ、と引き戸が開いた。
「ただいまー」
帰ってきたのは桃華と依千蔵だった。そして、その後ろにはルーンの姿もある。
「きゅうっ、きゅうっ!」
ブルーテイルは飛び跳ねながらルーンの足元へ駆け寄った。
「ただいま」
ルーンは自然に口元を緩め、その頭を優しく撫でる。
その姿を見つめた瞬間、フィルの胸がどくりと跳ねた。
ほんの数日しか離れていないはずなのに、雰囲気が以前とまるで違う。
柔らかな黒を基調とした衣服。整えられた紫の髪。そして、どこか学生らしい空気を纏った姿。
知らない一面を突然見せられたようで、視線が離せなくなる。
「あ、フィルさん!」
靴を脱ぎながら、桃華が声を上げた。
その声につられ、ルーンもフィルの方を見る。
「おかえり、三人とも」
「兄ちゃん、腹減った」
「夕飯までもう少しかかる。着替えて待ってろ」
「はーい」
依千蔵は返事をすると、廊下を駆けていった。
一方で、ルーンはじっとこちらを見たまま動かないフィルに気づき、小さく首を傾げる。
「フィル?」
靴を脱ぎ終え、彼の近くまで歩み寄る。
フィルは顔を赤くし、慌てたように視線を逸らした。
「ん?」
さらに首を傾げるルーン。
その様子を見て、桃華がくすりと笑った。
「ふふっ。フィルさん、今の貴女を見て驚いてるのね」
「え?」
ルーンは自分の髪に触れる。
「何か、おかしいかしら?」
「いや、おかしくはない」
答えたのはフィルではなくホワイトだった。
「私のルーン。金色の子は、ただ心拍が上昇しているだけだ」
「ちょっ、!」
フィルの目が勢いよく見開かれる。
しかしホワイトは涼しい顔のままだ。
「……そう」
ルーンは納得したような、していないような曖昧な返事を漏らす。
そこへ、ターナが彼女の着ている衣服を見て静かに口を開いた。
「その格好は学び舎の制服だな。ここへ来る途中、同じ服を着た者たちを何人か見かけた」
初めて聞く声に、ルーンの眉がぴくりと動く。
彼女はようやくターナの存在へ意識を向けた。
「……誰?」
「あ、えっと……」
フィルが説明しようとするより早く、ターナが口を開く。
「私はターナ。此奴の護衛だ」
そう言って、彼女は親指でフィルを指した。
「ええと……成り行きで、ついてくることになっちゃって……」
フィルは困ったように眉尻を下げる。
ルーンは黙ったまま、ターナとフィルの顔を交互に見つめた。
そして無意識のうちに、腕に抱えていた本を少し強く握りしめる。
その指先に、かすかな力がこもっていた。




