幽霊船探索
甲板を抜け、一行は船内へと続く扉の前に立った。古びた扉は湿気を含んで膨らみ、触れるだけで崩れそうなほど頼りない。
シオンが手をかけ、ゆっくりと押し開けると、
――ギィ……
と、耳にまとわりつくような音を立て、扉は重たく開いた。
その向こうに広がっていたのは、やはり同じ光景だった。床は軋み、壁は剥がれ、ところどころに穴が空いている。
長い間、誰にも触れられていない空間特有の、静まり返った気配が満ちていた。
シオンは無言で荷物袋からライトを取り出し、胸元に装着する。スイッチを入れると、淡い光がぱっと広がり、暗闇を押し退けた。
その光の中でジェイクが辺りを見回し、口を開く。
「うわぁ。ボロさハンパねぇな」
軽口のようでいて、どこか本音も混じっている声だった。
「ここ、住処に良さそう」
同じように周囲を見渡していたフィラーラが、ぽつりと言う。
「住処?」
あまりにも自然に出たその感想に、ルーンは思わず聞き返した。
「うん。住処。わたしたち人魚は、こういう古びた船を住処にするの。快適だから」
さらりとした説明。
ルーンは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さく納得する。
「あぁ、だから貴女あの時あんなところにいたのね」
初めて出会ったときの光景が蘇る。浜辺に打ち上げられた朽ちた船、その中にフィラーラはいた。
シオンも同じ記憶に辿り着いたか、ちらりと彼女へ視線を向ける。
「へぇ。人魚ってやつはこういうとこが好みなのか」
ジェイクが感心したように言う。
「うん。あとはこれで、海水とかあれば……」
フィラーラは満足げに頷いた。
その会話のすぐ後ろで、震えた声がぽつりと落ちる。
「……みんな普通すぎるんだけど」
振り返らずとも誰のものか分かる声だった。
シオンの背後にぴったり張り付くようにして歩くフィルは、顔色を悪くしながら辺りを警戒している。
「シオンとルーンはわかってたよ。一度見てるから。でも、ジェイクさんとフィラーラまで怖がってないとかどういうこと?」
やや早口でまくし立てる。
その言葉に、ジェイクとフィラーラは顔を見合わせた。
「幽霊なんて信じてねぇからな」
「わたし、怖くないよ。幽霊、好き」
あっさりと返された答えに、フィルは目を見開いた。理解が追いつかない、といった顔だ。
ルーンはそんな彼に、少しだけ呆れたように言う。
「フィルは怖がりすぎなのよ。幽霊も元は私たちと同じだったんだし、怖がる必要はないわ」
宥めるような口調。
しかし、その言葉はあまり効果を発揮していなかった。フィルの震えは、むしろじわじわと強くなる。
そのとき。前方の暗がりを、何かが横切った。
ほんの一瞬。光の外縁をかすめるような、曖昧な影。
「――っ」
フィルの喉が引きつる。
次の瞬間、彼は反射的にシオンの体を押すように動かした。
「……どうした?」
「さ、さささささっきそこに何かいた!」
「何か?」
「見えなかったの!?」
ライトの光がその先を照らす。
だが、そこには何もない。壊れた床と壁、静かな闇が広がっているだけだ。
「何もいねぇぞ?」
ジェイクが振り返る。
「本当に何かいたんだって!」
フィルは半ば叫ぶように言った。
シオンは眉をひそめ、改めて周囲に光を走らせる。だが、気配らしいものは感じ取れない。
「気のせいじゃないか?」
「気のせいじゃないって!」
「信じきってると見えやすいって言うよな」
ジェイクが肩をすくめる。
「幽霊、見てみたい!」
フィラーラはむしろ少し楽しそうだ。
「期待しすぎてると見えないって言うよな」
「ゆ、幽霊が見たいとか神経どうなってんの!?」
「金色の子。怖いのなら楽しい歌を歌えばいいと教わった。歌うといい」
ホワイトが淡々と助言する。
「こ、こんな状況で歌なんて歌えるわけないって!」
「フィル、貴方ちょっとうるさいわよ」
「きゅう……」
ブルーテイルまで小さく鳴いた。
誰も足を止めない。
会話を続けながら、まるで散歩でもしているかのようにルーンたちはフィルを置いて船の奥へと進んでいく。
ホワイトが一瞬だけ振り返り、静かに言った。
「進むのが困難なら、船で待っているといい」
それだけ言うと、再び背を向けて歩き出す。
取り残された形になったフィルは、その場に立ち尽くした。
「……………」
前を見る。暗い通路の奥に、仲間たちの光が小さく揺れている。
後ろを見る。戻れば、あの霧に包まれた静かな甲板。
どちらも、安全とは言い難い。
「……もう、どうすればいいんだよ…」
小さく呟く。
進んでも怖い。戻っても怖い。
そのどちらにも踏み出せないまま、フィルの胸はぎゅっと締めつけられていく。
この船の中で一番確かなのは、壊れかけた床でも、揺れる光でもない。
彼の中に膨らみ続ける、出口のない不安だった。




