あの船は何だ?
航海一日目。
風は穏やかで、帆は素直にそれを受け、船は静かに海を滑っていった。
航海二日目。
変わらず順調。水平線はどこまでも広く、世界はまるで何も起きていないかのように穏やかだった。
航海三日目。
その均衡に、ほんの小さなひびが入る。
「あっ」
甲板の上でブルーテイルと戯れていたフィラーラが、ふと顔を上げた。視線はまっすぐ前方の海へ向いている。
すぐそばにいたフィルが、その様子に気づいて歩み寄った。
「どうしたんだ?」
「……あそこ。何かある」
フィラーラは迷いなく指を差す。
だが、その先に広がっているのはただの海。波がきらめき、空を映しているだけのどこにでもある景色だった。
「何もないけど?」
フィルは首を傾げる。
「あるよ。うっすらと。船みたいなやつ」
「船……?」
言われて、フィルは手すりを掴み、身を乗り出す。目を細めて遠くを見るが、それらしき影はどこにもない。
ただ、遠すぎる静けさがあるだけだ。
「どれ。俺が見てみるぜ」
背後からジェイクが近づいてきて、荷物袋から取り出した双眼鏡でフィラーラの指す方向を覗く。
――数秒の沈黙。
「……ああ、なるほどな」
低く呟く。
「あるな。確かに、船っぽいのが」
「えっ」
フィルは驚き、双眼鏡を借り取ると同じ方向を見る。
レンズの向こう。
かすかな霧のような揺らぎの中に、確かにそれはあった。
輪郭がぼやけ、現実から半歩ずれたような不確かな船影。
「よく見えたな、あんなん」
思わずそう言うと、フィラーラはさらりと答える。
「わたし、目がいい」
「……周りにあるのは霧かな。よく見えない」
フィルは眉を寄せたまま、双眼鏡を下ろす。
「何してるの?」
そこへ、ルーンが静かに歩み寄ってきた。
「船、見つけた」
フィラーラが言うと、フィルは無言で双眼鏡を差し出す。ルーンはそれを受け取り、同じ方向へ視線を向けた。
「……本当。船だわ」
小さく呟く。
「大陸からの定期船かしら?」
しかし、その言葉にすぐ別の声が重なった。
「それはあり得ない。私のルーン」
ホワイトだった。
「我々が乗っている船は、北と東、両大陸の航路をあえて外している。こんな場所を、他の船が航行しているはずがない」
静かな断言。
それを聞き、ジェイクが眉をひそめる。
「んじゃあ、あの船は何だ?」
「わからない」
ホワイトは首を振る。
その動きに迷いはなかった。
「気になるのなら向かうか?」
「わたし、気になる!」
ホワイトが問うと、フィラーラがすぐに手を上げる。
ルーンは双眼鏡を下ろし、淡々と言った。
「見つけたのは貴方たちなんだし、私には決定権はないわ」
視線が、ジェイクとフィルに向く。
二人は顔を見合わせ、それから再び遠くの海へ目をやった。
「まぁ、見るだけならタダだよな」
ジェイクは口元を緩める。
対してフィルは、どこか落ち着かない様子で眉尻を下げた。
「……オレは、あまり行きたくないかな」
その温度差を受け止めるように、ホワイトはわずかに考え込む。
そして、小さく頷き結論を出した。
「紺色の子に伝えてくる。進路変更と」
そう言うと、くるりと背を向け、甲板の奥へと歩いていく。
「あら。どうやら、行くみたいね」
ルーンが肩を竦める。
「お前の意見は無視されたな」
ジェイクが笑いながら、フィルの肩に腕を回した。
「ブ、ブルーテイルは大丈夫なのか?」
フィルは不安を隠せないまま問いかける。
「少しくらい到着が遅れても問題ないわ。グリーンは逃げも隠れもしないから、寄り道も平気よ」
「きゅうっ」
ルーンは、あっさりと答えた。
その言葉に呼応するように、ブルーテイルが元気よく鳴く。
「あぁ、そうなんだ……」
フィルは力なく肩を落とし、小さく息を吐いた。
その様子を見て、ルーンはわずかに視線を細める。
「あの船は、貴方が想像しているのとは違うと思うわよ?」
「……いや」
フィルは、首を横に振った。
そして、遠くの“それ”を見据える。
「こんなところにポツンと船って、絶対にあれに決まってるよ……」
ぶるり、と小さく体が震えた。




