東の大陸へ
翌日。
朝早くに王都から港町へ戻ってきたルーンたちは、東の大陸へ向かう準備を整え、静かな桟橋に立っていた。
「船、浮かべるよ」
フィラーラが一歩前へ出て、荷物袋から小さな船を取り出して海に浮かべる。
海へ向かって手を差し出し、澄んだ声で歌い始めると旋律は波に溶け、やがて水面が応えるように揺れた。
次の瞬間、海に浮かんだ小さな船は、歌に導かれるようにその姿を大きく変える。
ゆるやかに、しかし確かに、船は人を乗せるに足る大きさへと膨らみ、やがて堂々とした船体を見せた。
「行きましょう」
タラップが降ろされ、ルーンたちは順に甲板へと上がっていく。
その様子を、桟橋の上からサクヤとデメテラが見つめた。
「兄さん、やっぱり行ってしまうんだね」
サクヤは眉尻を下げ、小さく笑う。その声には、隠しきれない寂しさが滲んでいた。
フィルは手すりに片手を掛け、振り返る。
「オレにはまだやることがあるからさ。でも、それが終わったらまたここに帰ってくるよ」
軽く言っているようで、その言葉は真っ直ぐだった。
「父さんと母さんにも、そう伝えておいて」
「きゅうっ」
そのやり取りに合わせるように、手すりの上に乗ったブルーテイルが小さく鳴く。
シオンが静かに舵を握り、船はゆっくりと岸を離れ始めた。
「兄さん!絶対だよ!絶対、またここに!」
距離が少しずつ開いていく。
サクヤは声を張り上げ、何度も手を振った。
隣ではデメテラも同じように手を振り、甲板の上でもフィルとフィラーラが彼らに応えるように手を振り続ける。
船はやがて港町を小さく背にし、広い海へと滑り出した。
「…残念だったわね」
振っていた手を下ろし、デメテラが言う。
「仕方ないさ。兄さんにも事情がある。…でも、帰ってくるって言ったんだ。それまで待つよ」
「待っていられる?」
「この三年、ずっと兄さんを待ってたんだ。余裕だよ」
「ふふっ。そうね」
デメテラとサクヤは笑い合う。
そして二人は海に背を向け、歩いていった。
+
それからしばらくして。
港の影も見えなくなった頃、甲板の上でルーンは地図を広げていた。
風に煽られないよう端を押さえながら、指で航路をなぞる。
このまま順調に進めば、東の大陸へは三日、遅くとも四日で到着するだろう。
「次のカラーの雫をそいつに飲ませりゃ、それで終わりか?」
後ろからジェイクの声が飛ぶ。
ルーンは頷き、顔を上げた。
「ええ。グリーンの雫をブルーテイルに飲ませられれば終わりよ。無事に世界の崩壊は止められるわ」
「……世界の崩壊とか、結局最後まで実感なかったな」
「兆候も何もないものね。そう思うのも無理はないわ」
ルーンは視線を少し海へ向けた。
穏やかな波。変わらない空。
何も起きていないように見える世界。
「でも、水面下では何かが起きていたはずよ。……今はどうなのかわからないけど」
静かにそう言いながら、ルーンはそばにいるブルーテイルへ手を伸ばす。柔らかな体を撫でると、気持ちよさそうに小さく鳴いた。
願わくば、すべてがもう収まっていてほしい。
そんな淡い期待が、指先に滲む。
「私のルーン」
そこで、不意に背後から声がした。
振り返った瞬間、ジェイクが目を見開く。
「お前、どうしたそれ?」
そこに立っていたホワイトは、これまでとはまるで別人だった。
白と黒に分かれていた肌は自然な色に変わり、男と女が混じっていた体つきも、完全に一人の青年のものへと整っている。
髪は短く整えられ、服装もタキシードではなく、より簡素で人間らしい装いへと変わっていた。
まるで、最初からそうであったかのように。
「私なりに人間というものがどういうものなのかを考えてみた。紺色の子、大柄の子、金色の子の容姿を観察し、それを真似て姿を変化させた。おかしなところはないだろうか」
ホワイトは首を傾げる。
そう言われてジェイクは腕を組み、まじまじと観察した。
「へぇ。なかなか。前よりマシになってんな。いい感じだぜ」
「それはよかった」
満足したように頷くと、ホワイトは再びルーンへ向き直った。
「私のルーン。現在の私の姿はどうだろうか。もしこの姿が好みでなければ、調整も可能だ」
真っ直ぐな問い。
ルーンは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに軽く息を吐く。
「……いいえ、大丈夫よ。あなたがその姿で決めたのなら、そのままでいなさい」
「私のルーンの好みに合ったようでよかった」
胸に手を当て、どこか満ち足りた様子でホワイトは言う。
「(別に、そういう意味じゃないのだけど)」
そう思いながらも、ルーンはそれ以上訂正する気にはならなかった。
小さく肩を竦め、再び地図へ視線を落とす。
そして、船は進む。
波を切り、風を受け、まだ見ぬ東の大陸へと。




