観察対象
城の廊下は、夜になると別の顔を見せる。
人の気配が薄れた空間には足音だけが規則正しく響き、高い窓から差し込む月明かりが長い影を床に落としていた。
「…………」
ホワイトは静かにそこを歩く。
先ほどルーンに指輪を渡し、そのままパーティ会場へ戻る途中だった。
窓の外へ視線を向けると、夜空には細い三日月が浮かび、その淡い光がガラス越しにホワイトの姿を映している。
冷たい空気とは裏腹に、どこか澄みきった心地よさがある夜だった。
そのまま歩みを進めていると、前方から誰かがこちらへ向かってくるのが見える。
月明かりに照らされ、その輪郭がはっきりと浮かび上がった。ホワイトが立ち止まると同時に相手も足を止める。
「あ」
先に声を上げたのは、その人物の方だった。
「ここで何をしている」
淡々とした問い。
ホワイトのもとへ歩み寄ってきたのは、フィルだった。
「あー、…えと、…少し、外の空気を吸いたくて……」
フィルはわずかに視線を外しながら答える。
一瞬の沈黙。
「……ルーンは?」
短く問われる。
「何故」
「一緒に出てっただろ?」
「見ていたのか」
「たまたま……。偶然、見えたんだ」
ホワイトは一拍置いてから、答えた。
「……私のルーンは、現在この先の噴水広場にてブルーテイルと戯れている。少し休んでから戻ると言っていたから、気になるのなら行くといい」
「…………」
フィルは何も言わず、その言葉を受け止める。
その表情は何か言いたげだ。
「……どうした」
「……いや。その、“私のルーン”ってのが気になって。ずっと言ってるよな、それ」
ホワイトは首をわずかに傾ける。
「何か問題か。私のルーンも、君と同様にこの呼び方が気になるらしいが、おかしなところはないはずだ」
感情の色をほとんど乗せないまま、言葉だけが真っ直ぐに差し出される。
それを聞いたフィルは困ったように眉尻を下げ、頬を軽く掻いた。
「まぁ、その人のことをどう呼ぶかってのはその人の勝手だけど……」
「君は、私のルーンを私のルーンと呼ばないな」
「え?」
「私と君の、私のルーンを想う気持ちは同じだ。なのに、君は私のルーンを私のルーンと呼ばない。それは何故だ」
「………」
予想外の言葉に、フィルは目を丸くする。
「何故って……呼ぶわけないだろ」
「何故だ。愛しているのだろう」
「――あ、い……」
言葉が喉に引っかかる。
視線を逸らし、少しだけ声を落した。
「……オレはホワイトとは違うんだよ。それに、むやみやたらにそんなこと言ったらどうなるか……」
気持ち悪がられて終わりだ。
言い淀んだあと、ぽつりと続ける。
その言葉に、ホワイトはわずかに首を傾げた。
“気持ち悪い”。
その感覚は、ホワイトにとっては曖昧なものだった。
自分の感情を伝えることにためらいはない。愛でも、嫌悪でも、憎悪でも、感謝でも。ただあるものを、そのまま言葉にするだけだ。
だが、人間は違う。
同じ感情を持っていても、それを口にすることは容易ではないらしい。
その差異が、ホワイトにとっては興味深かった。
「金色の子」
「?」
「君は、私の観察対象だ。それは君だけではなく、人魚の子、大柄の子、紺色の子も同じ。もちろん、私のルーンもだ。君たちと共にあると勉強になる」
淡々とした口調のまま、言葉が続く。
「これからも悩み、怒り、悲観し、それにより私に良い刺激を与えてくれることを期待する」
「……は?何だよ、いきなり?」
フィルの戸惑いをよそに、ホワイトはその横をすり抜けるように歩き出した。
その背を、何を言われたのかうまく整理がつかないまま、フィルはしばらく黙って見つめる。
やがて、少し進んだところでホワイトは足を止めて振り返った。
「そうだ。金色の子。これだけは言っておく」
「ん?」
短い間。
「私のルーンは寒がりだ」
そして、それだけを告げるとホワイトは再び歩き出した。足音は次第に遠ざかり、やがて廊下の静寂に溶けていく。
その場に残されたフィルは、しばらく動かなかった。
やがて小さく息を吐き、その視線は噴水広場のある方角へと向けられた。




