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91話 話を聞かない男たち

 二階、エヴァンは不毛な戦いを続けている。

 息を切らしたエヴァンへ向けて、人の話を聞かない男はどこか遠くを見るような茫洋とした目付きで語りかけてくる。


「仲間がみ〜んな死んじまった。スラムでなぁ、家どころか食うもんも服もねえ。建設現場の土管の中に息潜めて生きてたガキの頃からの仲間たちが全員だ。誰のせいかわかるかい? お前のせいだよ藤間(とうま)或也ありやァ!!!」

「俺はアリヤじゃねえって言ってんだろうがクソがッ!!」


 かなえと名乗った男は奇妙な槍を使う。

 “生体槍メガロヒュドラ”。鼎は槍の名をそう告げた。

 ナメクジのような質感の穂先が蛇のように素早くうねり、増殖、膨張して襲いかかってくるという不可解な槍だ。恐るべきは一部屋を埋め尽くすほどの無尽蔵な増殖力!

 

「槍クンよぉ、俺にはお前しか残ってねえんだわ……そうら活きのいいエサだぞ。飲み込んじまえ」

「話聞かねえわ槍に話しかけるわ……! 気色悪りぃんだよお前!」


 のたうちながら迫る槍はまるで巨大な海棲生物の触手だ。エヴァンは斜めに駆けてそれを掻い潜りながら跳び、壁を蹴った勢いでつむじ風のように身を捻る。

 手にしたナタが鋭く廻って、迫る不気味な槍をズタズタの輪切りにした。

 

 だが切り払ったのはごく一部だ。戦い始めからこれまでにもう何度あの槍を切ったかエヴァンは覚えていない。切っても切っても増えるからキリがないのだ。

 ついさっき一度対処を間違えて、避け損ねたところを一人帯同していたカイの部下に庇われた。

 その部下はエヴァンの代わりに槍に飲み込まれてしまって、ゴリュゴリと骨や肉をすりつぶして咀嚼する音が聞こえてきた。まず生きてはいないだろう。エヴァンは悔悟の念に低く唸りつつ、左手に持ったショットガンの引き金をかなえに合わせて引き絞った。

 火を噴く銃口、拡散する散弾。だが鼎が手首を返して槍の柄を傾けるだけで、生体槍(メガロヒュドラ)が肉厚な肉壁となって弾を全て阻んでしまうのだ。


「ラチが明かねえ!」


 エヴァンは少し考える。

 頭を使って戦うのは性に合わない。だが全く頭を使わなければ延々と同じことの繰り返しだ。突破できない。

 あの槍、いや槍と呼べるのかも不明瞭だが、あれは何をエネルギー源に動いている? 鼎の魔力か?

 だとすればどこかで限界は来るだろうが、そんな様子は今のところ微塵もない。一体あれはなんだ!


「畜生、わかんねえ」

「わからないのはこっちだ。何故俺の仲間を殺したぁ!!?」

「殺してねえよ。別人だからな」

「藤間或也ぁ、お前は異世界人だろう? 日本人だろう? 俺たちも全員日本人の血統だった。誰かに超日本帝国軍に参加するよう誘われなかったかぁ?」

「誘われてねえ。別人だからな。日本人ってのはあれだろ? 黒髪黒目。俺を見ろ、髪は金! 目は青だろうが!」

「んん? 本当だな」

「ようやく理解できたか。別人ってことがよ!」

「カラコンを着けて髪を染めたのか。まあ、誰しもそういう時期はあるものだよなあ」

「牙を見ろ! 爪を、尾を、耳を見ろ! 俺は人狼だ! アリヤの野郎は人狼じゃねえ!」

「コスプレか? 男のコスプレはありがたくないなあ」

「マジで話通じねえ……死ねよお前……」


 成立しない会話を交わしながらも、戦いは途切れることなく続いている。

 槍の触手の表面はローションでも塗りたくったかのようにヌメヌメとしていて、斬撃を繰り返したナタが切れ味を失ってしまった。

 立て直しを図るエヴァンが廊下へ転げ出ると、生体槍が盛大に壁を破って追ってくる。

 壁に飾ってあった幅広刀(ダンビラ)を手に取り、逃げ遅れた血の門(シュエメン)の構成員とすれ違いざまにマシンガンを奪い取る。

 背後で構成員が槍に飲まれる悲鳴と骨が砕ける音が聞こえてきたが、意に介さずエヴァンは走る。迫る触手を斬りつつ駆ける。

 そんなエヴァンを付かず離れずの距離で追いながら、鼎は一方的に語りかけてくる。


「俺らはお前と会ったあのスラムを拠点に活動していたが、元は血の門(シュエメン)自治区の生まれ。ここで中国血統(チャイニーズ)以外が生きるのは楽じゃあなかった。大人ならまだやりようはあるが、俺と仲間たちみたいな後ろ盾のない孤児のガキじゃあどうにもならんのだ」

「へえ! そこでくたばってりゃあ良かったのによ!」

「知ってるか? 特定の条件の元に人間を区別することを、礎世界じゃ“差別”と言うんだと。パンドラにはなかった概念だが、マダム紅はそれを作りやがったんだ。中国血統(チャイニーズ)かそれ以外かで生活水準は別物だ」


 鼎の語る話がエヴァンには今ひとつピンとこない。彼の言う通り、“差別”はこの街には明確には存在しなかった概念だからだ。

 何かのきっかけで他者を嫌ったり排他的になることはあっても、人種や肌の色といった前提条件のみで人を忌み嫌い、見下し、蔑む感覚はパンドラにはない。

 マダム紅——星の意思(イデア)は、意図的に未知の、そして有害な概念をパンドラへと持ち込もうとしているのだ。


 が、エヴァンからすれば知ったことじゃない。

 一階でマダム紅の正体が明かされていようがそれを知る由もないし、知ったとしても興味がない。今のエヴァンは良くも悪くも妹の安否にしか関心のない男だ。

 エクセリアが先に行ったが帰ってくる様子はまだない。一階は大騒動になっているようで、楼がドンと大きく揺れもした。事が順調に進んでいるとはどうも思えないので、やっぱりこの男はぶちのめして先に進むしかないのだ、と、それだけを考えている。

 エヴァンは鼎が人の話を聞かないと批判するが、彼は彼でまるで人の話を聞かないタイプだ。

 仕留める。的確に仕留める。エヴァンは考えるのが苦手だが、“考えずに考える”のは得意だ。

 無意識化の思考、言語化されない程度に原始的(プリミティブ)な狩りの算段。肉食獣の持ち合わせる野生の勘のようなもの。

 斬、力、死、量、死、長、死、速、延、多、死、尺、死、食、死、回、撃、圧、死、噛、死、重、重……重!

 スン、と鼻を鳴らしたエヴァンは卓越した人狼の嗅覚で何かを嗅ぎ取り、ニッと口の端を吊り上げた。

 

 行き止まりだ。

 袋小路になった部屋に追い詰められたエヴァンは、敵から奪ったばかりのマシンガンの引き金を引く。

 パパパパと弾が放たれるが、慣れないせいか照準は定まらず床を削るばかり。正しく鼎に向かった本の数発も、彼の槍に綺麗に受け止められてしまった。

 

 鼎はいよいよと決着とばかりに槍の柄を握り直すと、重そうに少し顔をしかめながら掲げて口を開く。


「超日本帝国軍……俺たちは都合上血の門(シュエメン)の傘下にいたが、忠誠は誓っちゃいなかった。人種を重視するマダム紅の下じゃ中国系の血統を嘘でもいいから自称した方が成り上がりやすいんだが、それでも嘘をつかなかったのはマダムをいつかブチ殺してやろうと目論んでいたからよ。あのキナ臭い婆ァを俺と俺の仲間たちと俺の槍クンでグチャ味噌に轢き潰してやろうと思っていた……のにお前のせいで台無しなんだよ全てがよぉ藤間或也ァ!!! 死ね!!! 俺の槍クンをしゃぶれ!!!」

「パワーもデカさで負けすぎてて話にならなかったがよ、ちょっとダイエットした方がいいんじゃねえか? お前の槍クン」

「な————何だ!?」


 ミシ、メシ、ベキベキ。

 床からおがくずが舞い上がって、鼎の足元が大きく震える。

 エヴァンに一階で何が起きているかを知ることはできないが、焦げ臭さを嗅ぎ取った人狼の嗅覚は階下の天井に火が燃え広がっていることを理解させた。

 天井が脆くなっている。元の建物が頑強なだけにすぐに崩れるわけじゃないが、重いメガロヒュドラを持った鼎が床に立ち、その床を銃弾でめちゃくちゃに撃ち抜いたなら?


「おおおおおっ!!!?」

 

 床が抜けて、鼎と槍が炎燃え盛る階下へと落下していく。

 十分だ。紅血楼は天井が高い。いくらあのバケモノ槍があっても簡単には登ってこれないだろうし、転落の衝撃で死んでいるかもしれない。

 あとはイリスを探さねえと。そう背を向けたエヴァンの足首に、階下から伸びた触手がヒュンと絡み付いた。決して逃さないという執念の一手!


「うおっ!? ふざけんな、離せ……!?」


 エヴァンもまた階下へと引きずり込まれ、エクセリアたちも含め、全ての戦闘が一階へと集結する。

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