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61話 特訓と義手

「……今日はこれまでにしましょう、藤間(とうま)或也ありや。お疲れ様でした」


 凛と一礼、銀騎士(アルヴィナ)は構えていた両手を下に下ろした。

 俺は要介護老人ぐらいの頼りない足つきでよろよろと立ち上がり、バキバキに痛む全身に顔をしかめながら礼を返す。


「あ、ありがとうございました……」


 これでもかってぐらいこっぴどくやられた。

 一発空振っては三発殴られ、蹴りを避けられては痛烈に蹴り返され、そんな調子でたっぷり6時間。ビルに入る前は高かった日がすっかり沈みかけている。

 ああ、全身が痛い。自前の高速治癒が追いつかないぐらい延々と殴られ通しだったのだ。脳を何度も揺らされたせいか、なんだかまだ視界がぐらついている。

 そんな俺を見据えたまま、アルヴィナがシエナへと声を向ける。


「疲労蓄積によるパフォーマンス低下を踏まえても、終わりがけ10度の組手では前半に比べ出足の速度に約12%の改善が見られました。打撃速度に約16%の向上、回避反応に約21%の向上。被撃時のリカバリーに約22%の向上。以上が本日の成果です、シエナ」

「うん、ありがとアルヴィナ。また明日もよろしくね」

「承知しました」


 シエナへもうやうやしく礼をして、アルヴィナは光の粒子となって消え失せる。

 格闘用マットの上には俺だけが残されて、どさりと天井を仰いだ俺へとエクセリアが真っ先に駆け寄ってくる。


「アリヤ、大丈夫か? フラフラだぞ……」

「平気平気……いや、ちょっとこたえたけど、まあ10分ぐらい横になってれば治ると思うよ……」

「むう……それにしても!」


 俺の額を軽く撫でてから、エクセリアはシエナの方へズンズン向かっていく。今にも掴みかかりそうな剣幕だ。


「おいシエナ! こんな荒っぽいやり方でやるなら最初からそう言え! アリヤがかわいそうではないか!」

「うわ、ごめんごめん! けどこれが一番早いんだよ。特に迷い癖ってなかなか抜けないから体で覚えるしかなくって」

「それにしてもだ! こんなにボコボコにしなくてもいいのに! ユーリカはどう思う?」

「うーん……確かに、シエナちゃんは言葉足らずなところがあるよね。昔から説明が下手だもん。あと自分がやれたことは人もやれると思いがちかな……」

「ほらーユーリカもこう言ってる! ひどいぞシエナ!」

「ええ〜……」


 エクセリアに食ってかかられて、シエナはすっかり困り顔だ。

 そんな光景を見ているうちに、心なしか痛みが引いてきた。

 俺は身を起こしてエクセリアへと声をかける。

 

「エクセリア、ありがとう。でもシエナはわざわざ練習に付き合ってくれてるわけだから俺は文句言う気はないよ」

「ええー、そんなに殴られたのにか!」

「どこかで特訓しとかないと結局実戦で酷い目に遭うからな、仕方ないよ」

「う〜……わかった」


 納得がいかない様子のエクセリアだが、それでもなんとか牙を収めてくれた。

 実際、他に強くなる方法はあるかと言われても思いつかない。

 街のゴロツキやらアウトサイダーな人たちの間ではどんな人が強いかと言えば、躊躇なく人を殴れる奴ほど強い。そんな話をネットだか雑誌だかで見たことがある。

 俺に一番欠けているのはきっとそこで、それは実戦経験を重ねて慣れていくしかないのだろうと思う。つまりシエナのトレーニングは的を射ているのだ。多分。


「ありがとう、練習になったよ、シエナ」

「よかった。でもごめんね、エクセリアの言う通りもっとちゃんと説明しとくべきだったね……」

「いやいや、大丈夫。頑丈なのが俺の取り柄みたいなとこあるし、もう痛くなくなってきたよ」

「そっか! じゃあ明日と明後日の二日間もまた同じ感じで練習をするから、そうだなあ、10時半にはここに集合でいいかな?」

「うっ、あと二日これか……」


 そりゃそうだ。反復が大事なんだから今日一日で済むはずもない。

 わかっちゃいたが、それでもこの超スパルタ訓練がまだ続くって事実に気持ちがどんよりとしてしまう。

 そんな俺の様子を見て、シエナが気遣うように励ましてくる。


「後半さ、目に見えて動きが良くなってたよ。あと二日やれば絶対強さに繋がると思うから頑張ろう!」

「そうだよな、やるしかない……うん、よろしく頼むよ」

「そう来なくちゃ!」


 そんな会話を経て明日からの予定が決まったところで、俺とエクセリアはシエナたちと別れてタクシーに乗る。

 シエナは夕食を奢ると言ってくれたが、今日は行かないといけない場所があるのだ。

 車窓を流れていく薄暮に沈んだ街景を眺めること三十分ほど。俺たちはマンションの一室の前に立ち、インターホンのチャイムを鳴らした。

 少しの間があって、ドアを開けて顔を見せたのは燃さんだ。


「はーい。アリヤくんと姫様〜! 入って入って!」

「お邪魔します。これ、買ってきました」

「なになに? なんかくれるん? 燃さんくれるもんやったら病気以外はなんでももらうけど?」

「ただの日用品と食材ですよ。買い物も大変だろうと思って、日持ちするもの中心に」

「わ〜気が効くやん! ありがとー」


 そう言いながらスーパーのビニール袋を漁る彼女の左手に目がいく。

 素肌色の右とは違う、偽物の肌色をした硬い質感の左手に。


「その手……」

「ん? そうそう、義手。かっこいいやろ?」


 燃さんはそう言って軽い調子で笑うが、元の手と変わらず自在に動かせるといった種類の義手ではなさそうだ。

 腕がない外見的な違和感をカモフラージュするためだけのもので、手首や指はほぼ固定された状態で動かないものに見える。

 きっととんでもなく不便だろう。そのことを考えて俺がうつむくと、燃さんの右手がポンポンと俺の頭に触れた。


「もー、私が気にしてないのになんでアリヤくんが暗い顔しとんの。それよりせっかく来てくれたんやから宅飲みしよ宅飲み! アリヤくんお酒飲める歳やろ?」

「自分ではあんまり飲まないけど、一応飲めます」

「私は飲めないぞ!」

「姫様用にちゃんとジュースあるからそっち飲もうな〜。ね、アリヤくん料理作ってー。前あと4品作ってくれるって約束してたやん」

「ちゃんと覚えてますよ」


 どうせそう言われるだろうと思って、家に来る前にスーパーで食材類を買い込んできたのだ。

 俺が台所に立って包丁を握っていると、右手に缶ビールを持って飲み始めた燃さんが隣にフラフラと近寄ってきた。

 まな板と俺の顔を交互に見ながら、ビールに口を付けつつ質問してくる。

 

「何作ってくれるん?」

「下茹で済みのタケノコが売ってたんで、とりあえずこれをベーコンとにんにく、あと鷹の爪で炒めようかなと」

「ふーん、煮物とかやなくて?」

「ペペロンチーノみたいな感じかな。美味しいですよ、酒にも合うと思う」

「へへ、楽しみ〜」


 ご機嫌にへらへらと笑う燃さんは、飲んでいた缶ビールを不意に俺の口元に近づけてきた。

 急に何をと驚きつつ、あてがわれるまま一口分のビールを口に流し込まれる。苦い。


「どう? 美味しい?」

「ビール苦手なんですよね……」

「うわ、お子様。でも酒飲みながら料理ってなんかめっちゃ大人感ない? ダメなタイプの大人やけど」

「キッチンドランカーなんて悪癖が付いたらアル中まっしぐらですよ」

「あっはは、燃さんアリヤくんにとってのファムファタール的なとこあるし?」

「ファム……どういう意味でしたっけ、それ」

「運命の女とか、破滅へ導く悪女とか。めっちゃ美女属性やん? 燃さんにピッタリ! はいもう一口」

「むぐ……」


 二口目のビールは最初より多めに口に入ってきた。

 酒は飲み慣れていないから、あんまり量が多くなると酔いそうで良くない。

 だけど半日殴り合って疲れが溜まっていたところにアルコールの巡って気分が良くなってきた気もする。

 と、燃さんの漫画棚を眺めていたエクセリアがバタバタと駆け寄ってきて俺の右隣に立った。

 どうしたんだろう。ジーッと眺めてくるので不思議に思っていると、エクセリアは突然俺のすねを軽く蹴ってきた。


「いてっ! な、何するんだ!」

「デレデレするな!」

「はあ!?」

「なんか腹立つ!」

「腹立つって、何にだよ……」


 突然不機嫌になったエクセリアに俺が困っていると、俺の左側から燃さんがニヤニヤ笑いをエクセリアに向ける。


「えー姫様、嫉妬〜? 可愛いとこあるやん」

「燃お前、調子に乗るなよ! なんか最近アリヤを取られてる気がしてやだ!」

「あはは! めっちゃ素直!」


 取られてるって。数日別行動だったから一緒にいられなかったけど、そんなに不満が溜まってたのか。

 困惑してしまう俺を挟んで、燃さんが口を開く。


「んん〜、姫様が助けてくれたアリヤくんのことお気に入りなんはわかるけど、それって卵から出た雛鳥が最初に見た相手を親だと思っちゃう的なあれやろ?」

「知らん! アリヤは私の相棒で家族だ!」

「そうそう、家族。姫様にとってのアリヤくんは家族なんよ。優しい保護者。で、燃さんにとってのアリヤくんは親しいお友達。お互い全くの別枠なんよ」

「……うーん、わからん。そういうものなのか……?」

「そうそう。かち合わへんから心配しなくて大丈夫大丈夫」


 そう言いつつ、燃さんは一本目の缶ビールをぐいっと飲み干した。

「もう一本もう一本」と上機嫌で次のビールを取りに行くその背を釈然としない顔で見つめながら、エクセリアが俺に問いかけてくる。


「何か手伝うことあるか? 私は料理の手伝いをするぞ。燃と違って!」


 あまりに懸命な表情で言ってくるもんだから、俺はなんだかおかしくなって少し吹き出してしまう。

 手伝ってもらうことならたくさんある。買っておいたレタスをビニールから取り出して、透明のボウルを手渡した。


「サラダ作ってもらおうかな。まず手を洗ってから、レタスの葉をいい感じのサイズにちぎって」

「わかった!」


 意気揚々と作業に取り掛かる姿が微笑ましくて、なんだか楽しい気分になる。

 最近すっかりエクセリアと姉さんが被って見えなくなってきた。どちらかといえばエクセリアは無から突然生えた妹って感じだ。

 俺を挟んで燃さんに食ってかかった時はどうしようかと思ったが、たまにはこんな日も悪くない。

 俺は刻んだタケノコに火を入れながら、胡椒をパッと振りまいた。





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