第5話
その後、何事もなく本日の図書委員の作業は完了した。
夜野さんは既に下校しており、戸締り作業もほとんど終えた状態。
一部の机だけ明かりがついており、明かりが照らす席には俺と西沢さんが座っている。
「西沢さん。俺がいなかった半年間の間に、夏川に、その……なにか……」
「……あー、うん。そこは、なんて言えば良いのかな」
西沢さんは、机の上に置いた鍵束を指で転がした。
金属が、かすかに触れ合う音がする。
「大きな事件があった、とか、誰かと揉めたとか、そういうのじゃないんだけどね」
一拍置いてから、続ける。
「なんていうか、東くんがいなくなってから、陽葵……少しずつ元気なくなっていった、かな」
「……そう、なんだ」
その理由が分からないほど、俺は鈍感ではない。
夏川 陽葵の中で、東 一太郎――俺がどんな存在だったのか。
それを少しだけ、知れたような気がした。
「陽葵も最初はさ、普通に東くんが戻ってくるのを待ってたと思うんだよ。
教室で、東くんの友達から事故で入院してるって話も聞いたし、すぐには戻れないって分かってたから」
俺の友達、というのは恐らくは南川だろう。
察するに、図書室に来なくなった俺を心配した夏川とその付き添いの西沢さんが、俺を探しに教室までやって来たところ、南川が俺が今どういう状況にいるかを説明した、というところか。
「でも、しばらく経っても意識が戻ってないって言われてさ。いつ連絡が取れるかも分からないまま、時間だけが過ぎてってね」
西沢さんは、言葉を選ぶように視線を落とす。
「……陽葵、学校にはちゃんと来てたし、図書委員の仕事も続けてたんだけど、図書室にいるときだけ、上の空っていうか、ぼーっとしてることが増えてたかな。本を返却し忘れたり、名前呼ばれても反応遅かったり」
「……そう」
「うん。それでね」
西沢さんは小さく息を吐いてから、続ける。
「『今日はもう帰る』って言ってすぐ帰っちゃう日が増えちゃって。そんな感じで、気づいたら図書委員の仕事も手につかなくなってたし、そのうちに来なくなっちゃって。東くんもいない中で、夜野ちゃんの負担が大きくなっちゃってね」
「それで、西沢さんが俺と夏川の抜けた穴を埋めるために……って感じ?」
「うん。そんなとこ」
「そっか……」
あの天真爛漫な夏川が、そんなことになってていたなんて、今の今まで思いもしなかった。
「あの夏川が、な……」
名前を口にした、その拍子に。
頭の奥で、半年前の図書室が、不意に輪郭を持った。
初日。
『東くん、図書委員として一緒に頑張ろうね!』
『あー、うん。そうだな』
楽そうだから、という不純な理由で来た俺とは違って、
夏川は最初から、図書委員の仕事に本気だった。
その真面目さが、どこか眩しかった。
別の日。
『ちょっと東くん、何サボってるの!』
図書室のカウンターで、黙々と本を読んでいた俺に、夏川が不機嫌そうな様子で詰め寄ってくる。
『貸出や返却の対応をサボってる訳じゃないから別に良くないか?』
『そういう問題じゃないの!全くもう』
怒ってるはずなのに、その声はどこか楽しそうだった。
別の日。
『……』
夏川がいつもより大人しい。相変わらず、図書委員なのにカウンターで読書に耽っているにも関わらず、何も注意してこない。
『なあ夏川、クラスでなんかあった?』
『……え?』
『いや、いつもだったらサボっちゃダメだよ、なんて言ってくるじゃん。今日はまだ一回も言われてないから、どうしたのかなと思ってさ』
『……ちょっと、サボりの注意の有無で私の機嫌をチェックしないでよ』
『悪い悪い。で、やっぱりなんかあったの?』
『……別に、大したことじゃないよ』
『大したことじゃないなら愚痴もこぼしやすいな、ほら話してみろ』
『……実は、クラスの子と喧嘩しちゃって――』
結局、その日は図書委員の仕事が終わった後に図書室で夏川に何があったか、話を聞くことになったり。
別の日。
『東くん、遅れてごめんね……って、またサボってる!』
『いま誰も来てないんだから別にいいだろ?』
『そういう問題じゃないんだってば!もう、仕方ないなあ』
夏川が、いつものように俺のサボりを注意してくるが、その顔は笑みを浮かべていた。
俺は、そんな夏川の笑顔に少し照れくさくなって、思わず目を逸らした。
『お、どうした?機嫌いいじゃん。告られた?』
『違うよ、ばか!』
『じゃあ、友達にジュース奢ってもらった、とかか?ほら、あの西なんとかさんに』
『だから違うってば!』
照れ隠しに夏川のことをからかって、ふたりで笑いあったり。
いろんな思い出が、頭をよぎった。
「――くん?東くん?」
「……ん?って、うおっ!」
呼ばれる声の方を向くと、西沢さんが近い距離で俺のことをじっと見つめていた。
「び、びっくりするだろ」
「ごめんごめん。だって、さっきからぼーっとしてるみたいだったから」
「な、なんでもないって」
夏川との日常を思い返していたなどとは言える訳もなく、適当にごまかした。
「とにかく、陽葵ともちゃんと話してみて。あの子も、東くんが元気になったって知れば喜ぶと思うから」
「お、おう……分かった」
「何かあったら、私に言ってね」
「あー、うん。ありがとう」
西沢さんとの話はそこで終わり、図書室の戸締りを済ませ、俺はトイレに行くといって西沢さんとそこで別れた。
「……夏川、今どうなってんのかな」
西沢さんから話を聞いたあとだと、余計に気になってしまうが、考えても仕方の無いことだ。
俺は濡れた手をハンカチで拭いながら、トイレを後にした。
翌日。
1時限目が終わり、俺は南川と一緒に次の授業の教室へ移動していた。
「東……くん……?」
後ろから、聞き馴染みのある声に呼ばれ、思わず体が硬直する。
この声は、この声の主は――間違いない。
俺は恐る恐る、背後に視線を向けると、そこには夏川 陽葵の姿があった。
目が合った瞬間、俺の胸の奥が熱くなるような感覚がした。
こうして夏川と再会したことで、ようやく俺は"戻ってきた"んだと思うことができた。
「お、おう。夏川……」
「東くん……やっぱり、東くんなんだね」
「その……なんというか、久しぶり、だな」
「うん……半年とちょっとぶり、だね」
夏川と目が合ったが、彼女の表情は"無理して笑っている"ようで、どこかぎこちない。
こんな顔をしている夏川を見るのは、初めてだった。
「あー、スマイル。俺、先行ってるな」
「ん?ああ……おう」
南川は俺たちの空気を読んだのか、気まずくなって逃げ出したのか、先に行ってしまった。
「……元気に、してたか?」
西沢さんから大体のことを聞いて、状況は把握しているものの、本人からも俺がいない間、どうしてたのかを聞きたくなって、気づけばそんな質問をしていた。
「えっと……うん。まあまあ、かな」
やはり、夏川の様子がどこかおかしい。
夏川はここまで人見知りをするタイプではなかったと思うのだが……。
「怪我は、もう大丈夫なの?」
「ん、ああ。半年寝てたからすっかり元気だぞ。ほら、この通り」
俺は腕を上げ、マッチョポーズを決めて元気であることを証明してみせると、夏川がその様子を見て微笑んだ。
「ふふ、相変わらずなんだね」
「……まあな。夏川はちょっと暗く――」
「おーい、陽葵」
背後から、誰かが夏川のことを呼んでいる。
どうやら、男子生徒のようだ。
「あ、聖人くん」
夏川が、やってきた男子生徒のものと思われる名前を呼ぶ。
俺はこの男子生徒のことを詳しくは知らないが、バスケ部の部員だった気がする。
「あ、陽葵。悪い、取り込み中だったか?」
「あー、えっとね」
「じゃあ夏川。俺、そろそろ行くわ」
「あ……う、うん。またね、東くん」
俺は後ろを振り返らず、手を振って歩き出した。
気になることはあるものの、こうして夏川と再会できてよかった。
夏川との時間を、俺は取り戻せるだろうか…?




