第3章 ⑧
心の中がぐちゃぐちゃで整理がつかなかった。名前を付けられないような感情と思考が、決壊したダムの水のような勢いで溢れてきた。
嬉しいのか、悲しいのか、辛いのか、幸せなのか……。悠人は何一つ判らなかった。
理解しようと、自分の気持ちを汲み取ろうとすれば、たちまちその勢いに呑まれてしまう気がした。それをコントロールできるほどに器用な技術は持ち合わせていなかった。
制御できない感情は、涙となって表出した。我慢しようとしたが駄目だった。静かに流れていた涙は、やがて嗚咽に変わる。雨の音がそれをかき消してくれることを期待したが、無理だったらしい。
「泣いて、いいんだよ」
いつの間にか、彼女は傘を持って立ち止まってくれていた。
それからは瞼が腫れるほど泣いて、もう雨で濡れたのか涙で濡れたのか判らなくなった。
涙が止まったのは、全身の水分が出切ったかと思うほどに泣いた後だった。
「ありがと。送ってくよ」
彼女から傘を受け取って歩き出す。
雨で濡れている状態で、長時間待ってもらうわけにはいかなかった。
「涙って哀しいときだけじゃなくて、感情を解放させる役割もあるんだって」
何故か彼女は豆知識を披露する。
最後に泣いたのはいつだっただろうか。悠人は思い出せる限り記憶をさかのぼったが、思い当たるものが無かった。
相変わらず感情の整理はついていないが、溢れ出てきたものは、すべて涙となって流れた気がする。
どうやら彼女の豆知識は信憑性が高そうだ。
「母さんのこと、気づいてたの?」
「知らなかったし驚いたよ。だけど何となくそんな気はしてた」
悠人が気になっていたことを尋ねると、彼女は優しく微笑んだ。
「悠人くんは自分のことなんて考えないで、誰かの為に犠牲になろうとする人だから」
「うん、ごめん」
悠人は弁明のしようがなくて、ただ謝る。
「謝らなくていいよ」
「でも、デートがこの有様だし……」
「うーん。そうだな~」
彼女は人差し指を口元に当てて、考えるしぐさをする。
それからクスッと笑って、悠人に告げる。
「明日の祭りも一緒に行こうよ」
「……うん。そうしよう」
悠人は戸惑いながらも、すんなりと彼女の言葉を受け入れる。何故だか不思議と素直になれた。
「あと私からも一つ質問していい?」
「え、うん」
「悠人くんって、私の自殺の原因について何か知ってるんじゃない?」
「……っ!」
突然の指摘に絶句する。
彼女は悠人の反応で察したのか「やっぱりね」と呟いた。
「な、なんで?」
「さっきと一緒の理由。悠人くんなら、私に言わずに解決しようとするでしょ」
彼女はまるで犯人を言い当てた探偵のように、にんまりとする。
「うん。少し知ってる」
直球で聞かれたら、誤魔化せない。悠人は観念して白状する。
「でも今は話せない。仮定の段階だし、判らないことも多い。だけど自分1人で解決しようとしてるわけじゃない。言える時になったら言うよ。信じてほしい」
「分かった。でもできることがあったら言って」
悠人の言葉に、彼女は納得したように頷く。
緊張感から解放されたからなのか、クシュンッとクシャミが出る。
「今日はウチに泊まっていきなよ。また家まで往復するの大変でしょ」
彼女が苦笑混じりに提案する。
「え、いや、さすがにそれは……」
「明日の祭りに行けなくなったらヤダ」
彼女は珍しく眉を顰めて、不満げな表情を浮かべる。そんな顔されたら断れない。
「わ、わかった」
一度解放された緊張感が、また襲ってくる。それでも悪い気はしなかった。
もう今さら濡れることなんて気にしないのに、2人で傘の下で寄り添って歩いた。




