09 第2章:働いたら負け? 自堕落デュオの誕生
第2章 第4節
レオンのパッシブスキル『最高環境創出』と、ルシアのパッシブスキル『全戦意蒸発』が相乗効果を生み出し、荒れ果てた廃村は日々刻々と「究極の極楽浄土」へと変貌を遂げていた。井戸からは神級の極上名水が湧き出し、村を訪れるかもしれないあらゆる魔獣や脅威は、ルシアがゴロゴロと転がるだけで戦意を喪失して眠り込んでしまう。
そんなある日のこと。
相変わらず縁側でぽかぽかとした陽気を浴びながら、レオンは伸びをしていた。
「あー……なんか、最近妙に体がダルいな。いや、いつもダラダラしてるからダルいのは当然なんだけど、なんていうか、こう……芯から温まるような、もっとこう、極上のサボり環境が欲しいよな」
レオンのそのぼやきを聞き逃さなかったのは、隣でミカンを剥いていた元魔王ルシアだった。
「え、これ以上快適にしてどうするのよ。もう十分すぎるくらい何もしなくていいパラダイスじゃない」
「いや、欲ってものは尽きないんだよ。例えばさ……こう、地面を掘ったら、いい感じに温かくてトロトロのお湯が湧き出てきてさ、そこに一日中浸かってだらだらできたら最高だと思わないか?」
「お湯が湧き出る……? それって、人間界でいうところの『温泉』ってやつ?」
「そうそう、それ。温泉。旅の途中で入ったことはあるけどさ、自分の家の庭に温泉があったら、もう二度と外に出なくても生きていける気がするんだよね」
ルシアはそれを聞いて、最初は「また変なこと言ってるわね」と笑っていた。しかし、レオンが「ちょっと裏庭の畑の隅でも突っついてみるか。運動不足解消にもなるし(※本人にとっての運動は数歩歩くことである)」と、適当な木の棒を持ってトボトボと庭の隅へ歩いていったとき、物語は予想外の方向へと急展開を迎えた。
レオンは「よいしょっと」と、庭の地面の硬そうな土を、ただの木の棒で軽く突っついてみた。
――ゴゴゴゴゴ……ッ!!
「……ん?」
突然、地底深くから地響きのような重低音が響き渡った。
「わっ!? なに!? 地震!?」
ルシアは驚いてミカンを落とし、慌てて立ち上がった。
地響きは数秒間続き、レオンが突っついていた足元の地面から、突如としてプシューッと勢いよく白煙が吹き上がった。そして、その亀裂から、ほんのり硫黄の香りを漂わせた透明な熱湯が、まるで噴水のように盛大に噴き出したのである。
「うわっ、熱っ……! なんだこれ!?」
レオンは慌てて飛び退いた。
吹き上がったお湯は周囲の土を洗い流し、あっという間に見事な岩作りの露天風呂の形をした水溜まりを作り上げていく。湯気はもうもうと立ち込め、周囲一帯を温かな湿気で包み込んだ。お湯の温度を確かめるために指を浸してみたレオンは、思わず目を見開いた。
「おいおい……マジかよ。適当につったら、本当に温泉が湧き出ちまったぞ……!」
駆け寄ってきたルシアも、目の前に出現した湯気立ち込める天然温泉を目の当たりにして、言葉を失っていた。
「嘘……でしょ……? なんで地面をちょっと突っついただけで、そんな都合よく温泉が湧き出るわけ!? レオン、あんた実は大地を操る神様とかの隠し子なの!?」
「いや、俺もびっくりだよ。ただ『温泉があったらいいな〜』って思っただけなんだけどなぁ……」
レオンの規格外のパッシブスキル『最高環境創出』が、「温泉が欲しい」という彼の怠惰な欲望をダイレクトに受信し、地中のマグマ層と地下水脈を都合よくねじ曲げて、庭の真下に最高の温泉をクリエイトしてしまったのだ。もちろん本人は「運が良かったな」程度にしか思っていない。
お湯の成分を軽く確認してみると、肌触りはトロリとして滑らかで、神経痛や筋肉痛、そして日頃のあらゆる精神的ストレスを瞬時に解消してくれる奇跡の泉質だった。さらに、お湯の脇には絶妙な具合で「ちょうどいい大きさに削られた腰掛け用の岩」まで自然配置されている。
「……ねえ、レオン」
ルシアはゴクリと唾を呑み込み、温泉から立ち上る湯気をうっとりと見つめた。
「なんだよ」
「これ、絶対に入ったらヤバいやつだよね。人間がダメになるタイプの、最凶の極楽トラップだよね」
「いや、トラップって自分で作ったわけじゃないけどさ……どうする? 入ってみるか?」
数秒の沈黙の後、二人の意見は完全に一致した。
服を脱ぎ捨てるのに、時間はかからなかった。
「「いざ、入湯!」」
ザブン、と心地よい水音が静寂な庭に響き渡る。
底から湧き出る絶妙な温度の湯が、二人の全身を優しく包み込んだ。
「はあぁぁぁぁぁーーーーーーっっ…………!!!」
ルシアは露天風呂の岩の縁に両腕を乗せ、頭を預けたまま、トロけた表情で長い長い溜息をついた。
その瞬間、彼女の脳内で、これまでの人生の走馬灯……ではなく、「魔王城でのめんどくさい業務の数々」が音を立てて崩れ去っていった。
毎日毎日の若手幹部からの突き上げ、山のような決裁書類、人間との不毛な小競り合い、城の冷え切った玉座の硬さ……。そのすべてが、このトロトロの温泉の温かさに溶かされ、まるで泡のように消えていく。
「……あー…………」
ルシアの口から、魂が抜けかけたような抜けた声が漏れる。
「やばい。これ、マジでやばい……」
「お、気持ちいいか?」
隣で同じようにお湯に浸かりながら、レオンも極上の表情を浮かべていた。
「気持ちいいどころの騒ぎじゃないわよ……! なになにこのお湯、肌にまとわりつくような滑らかさは……。体の芯の芯まで温まって、脳みそがトロトロに溶けていく……。もう、世界征服とかどうでもいい……。魔王城の玉座より、百倍……いや、一万倍居心地がいい……!」
ルシアはそのままお湯の中にずりずりと沈み込み、鼻の頭だけを水面に出した状態で、完全に動かなくなった。
「ルシア? おぼれてないか?」
「おぼれてない……。私、ここで一生を終える……。もう二度とこの温泉から出ない……。私を人間界の新しい温泉の精霊と呼んで……」
完全に「完落ち」したルシアの姿を見て、レオンはフッと小さく笑った。
「はは、そこまで気に入ってくれたなら作った甲斐があったよ。確かに、これは一度入ったら出られなくなる魔力があるな……」
レオン自身も、日々の冒険や緊張感から解放された肉体と精神が、この温泉によって完全にリセットされていくのを感じていた。
青空には白い雲がゆっくりと流れ、肌を撫でる風は心地よく、目の前には最高に温かい天然温泉。そして隣には、すっかり戦う気力を失って骨抜きになっている元魔王。
「なあ、ルシア」
「ん……なに……?」
「俺たち、魔王討伐とか世界征服とか、そういうめんどくさい世界から完全にドロップアウトして大正解だったな」
「……ほんと……それ……。これ以上の幸せなんて、この世に存在しないわよ……」
湯気の中に溶け込むような二人の声は、どこまでも穏やかで、どこまでも満ち足りていた。
こうして、レオンが「掘ってみたら出た」というあまりにも自然体の奇跡によって誕生した「極楽温泉」は、のちにこの村を訪れるすべての者たちの魂を狂わせる、最強にして最高の癒やしスポットとなるのだった。




