10 第2章:働いたら負け? 自堕落デュオの誕生
第2章 第5節
庭から突如として湧き出た極上の天然温泉により、心身ともにすっかり骨抜きにされた元勇者レオンと元魔王ルシア。ポカポカと温まった体で縁側に並んで座り、穏やかな風に吹かれていると、ふと季節の移ろいを感じさせるひんやりとした秋風が吹き抜けた。
「あー……温泉で温まった後のこの風、めちゃくちゃ気持ちいいんだけどさ……なんか、だんだん足元から冷えてこない?」
ルシアが両手を袖の中にキュッとしまい込みながら、ブルっと小さく身震いをした。
「確かに。いくら南向きの縁側でも、日陰に入ると肌寒くなってきたな。そろそろ秋本番ってところか」
レオンは空を見上げ、季節の変わり目を実感した。
寒がりなルシアは、レオンの隣でモゾモゾと身を寄せながら言った。
「ねえレオン、このままじゃ寒くてせっかくの極楽生活のクオリティが下がっちゃうよ。何かこう、全身を包み込むような、一歩も外に出たくなくなるような温かい画期的なシステムを作ってよ」
「全身を包み込んで、一歩も出たくなくなるシステムねぇ……」
レオンは顎に手を当てて少し考え込んだ。そして、こういう怠惰な環境において無意識に脳裏に浮かぶ禁断の知恵を掘り起こす。
「よし、ちょっと木材と古い布団を使って、あれを作ってみるか」
「あれって何?」
「まあ、見ててって」
レオンは腰を上げると、村のあちこちに転がっていた廃材や使えそうな木板を集めてきた。元勇者として培った手先の器用さと、謎のパッシブスキル『最高環境創出』の謎の補正が合わさることで、彼の工作スピードは常軌を逸していた。
トンテンカチ、とリズミカルな音が数分間響いたかと思うと、あっという間に頑丈な木製の四角い枠組みが組み上がり、その中央に小さな熱源(温泉から引いた温水パイプを巧妙に這わせた特製の蓄熱盤)がセットされた。さらに、その上にふかふかの厚手の掛け布団をすっぽりと被せる。
完成したのは、人類の歴史を狂わせる禁断の魔導家具――特製『こたつ』だった。
「ほら、出来たぞ。ちょっと中に入ってみなよ」
レオンが布団の一部をめくって促すと、ルシアは疑い深いような、しかし興味津々な眼差しでその中に足を滑り込ませた。
「おそるおそる……っと。わっ……!?」
足を入れた瞬間、ルシアの口から思わず歓声が漏れた。
底からじわじわと伝わってくる絶妙な温かさが、冷え切った足のつま先からふくらはぎ、そして太ももへと優しく包み込むように広がっていく。
「なにこれ……! めちゃくちゃ温かい……! いや、温かいだけじゃない、この包み込まれるような安心感は一体何なの……!?」
ルシアは上半身を残したまま、下半身をすっぽりとこたつに潜り込ませ、トロトロの表情で蕩けた。
「おお、これはなかなかの出来栄えだな。足元がポカポカして、一歩も動きたくなくなる」
レオンも反対側から体を滑り込ませ、こたつの中にすっぽりと収まった。
二人の上半身がテーブルを囲むようにして突き出し、下半身は完全にこたつの魔力に囚われている。
「やばい……これ、一度入ったら二度と出られないタイプの絶対零度のブラックホールならぬ、絶対暖かのパラダイスだわ……」
ルシアはすっかり骨抜きにされ、こたつの上にペタリと両腕を乗せてうっとりした。
「腹が減ったな……。こたつに入ったら、なんか温かくて汁気のあるものが食べたくなってきたぞ」
レオンが呟くと、ルシアも激しく頷いた。
「それ! めちゃくちゃ同意! 何か作ってよレオンシェフ!」
「仕方ないなぁ」
レオンは面倒くさそうにしながらも、立ち上がろうとした。しかし、こたつの魔力はすでに彼の足腰を完全に麻痺させていた。
「……って、あれ? 足が……足が重くて動かないぞ……? こたつの引力に抗えない……!」
「ふふっ、甘いねレオン。一度こたつに入った人間が自力で脱出できるとでも思ったの?」
ルシアはニヤリと笑い、レオンの袖を引っ張った。
「ほら、動いたら負けだよ? 動かずに、何とかして手の届く範囲で材料を集めて作りなさい!」
「なんだその理不尽なルールは……まあいい、やってやろうじゃないの」
レオンはこたつのなかに下半身を入れたまま、上半身のストレッチをするように手を伸ばし、近くにあった備蓄の小麦粉と、井戸の極上名水、そして先ほどのブラッド・ウルフの件で森の動物たちが置いていった(ような気がする)絶品の出汁素材を引き寄せた。
手際よく生地を練り、包丁でトントンと均等に切り分ける。七輪にかけた鍋に名水を張り、特製の出汁素材を放り込むと、瞬く間に辺りに食欲をそそる芳醇な香りが立ち込めた。
ぐつぐつと煮立った黄金色のスープに、打ち立てのうどんを投入する。
数分後、レオンは特製の大きなお椀にそれをたっぷりと盛り付け、こたつの上にドンと二つ置いた。
「お待たせ。『レオン特製・極上出汁の効いたうどん』だ」
湯気とともに立ち上るのは、かつおと昆布、そして未知の旨味が複雑に絡み合った、極上の和風だしの香り。つややかなうどんの麺が黄金色のスープの中でキラキラと輝いている。
「わぁ……っ! いい匂い!」
ルシアは待ちきれないといった様子で箸を手に取り、ふーふうと息を吹きかけながら、麺を一口すすった。
「んんっ……!! 旨っ……!!」
あまりの美味しさに、ルシアの目が点になった。
もちもちとしたコシのあるうどんの食感と、飲むだけで体の芯からほっこり温まる極上の出汁が、冷え切った胃袋にしみわたっていく。
「なにこれ……! お出汁が体に染みるぅ……! うどんがツルツルモチモチしてて、最高に美味しいんだけど……!」
「だろ? 井戸の名水がいい仕事をしてるおかげで、出汁の旨味が何倍にも引き立ってるんだよ」
レオンも自分の分をズズーっとすすり、満足そうに目を細めた。
温かいこたつに足をつっこみ、頭の上からは心地よい秋の陽射し。目の前には、世界一美味いレオン特製の出汁うどん。
これ以上の贅沢がこの世にあるだろうか――いや、ない。
食べ終えた二人は、お椀をこたつの脇にポンと置くと、そのままゴロンと上半身を倒し、こたつを背もたれにするようにして並んで寝そべった。
「ふあぁぁぁ……お腹いっぱい……あったかい……最高……」
ルシアはウトウトとまぶたを閉じながら呟いた。
「だな。世界征服も魔王討伐も、こんな素晴らしいこたつとうどんの前には、塵みたいなもんだな」
レオンも大きくあくびを噛み殺しながら、うっとりと目を閉じる。
「ねえ、レオン」
「ん……?」
「私たち、もうここから一歩も動かないでおこうね」
「ああ、誓おう。動いたら負けだ」
こうして、元勇者と元魔王の間に、世界で最も平和で、最も生産性のない「動いたら負けの誓い」が交わされた。
木材で作った特製こたつと極上のうどんに包まれ、二人は静かで温かな眠りの世界へと落ちていくのだった。




