11 第3章:最初の刺客、極悪暗殺者ブラッド
第3章 第1節
王都から遠く離れた、魔王城へと続く険しい前線キャンプ。
本来であれば、世界を救うために日夜鍛錬を重ね、士気を高め合っているはずの「勇者パーティー」の本陣であったが、そこには以前とは明らかに異なる、どこか歪んだピリピリとした空気が漂っていた。
総司令テントの中。
王国最強の「剣聖」と謳われる青年、レイガーは、手入れの行き届いた聖剣をテーブルにドンと乱暴に置き、苦い顔をして腕を組んでいた。その隣には、聖女マリアが冷ややかな目を窓の外に向けながら、指先で聖印をもてあそんでいる。
「……なぁ、マリア。どうも最近、調子が狂うんだよ」
レイガーが苛立ったように低く呟いた。
「調子が狂うって、何がよ?」
「わからない。剣が妙に重いんだ。以前なら一振りで粉々にできた魔物の群れを相手にしても、なんだか腕に泥でもまとわりついているような、変な倦怠感が抜けない。お前の回復魔法だって、最近やけに燃費が悪くなってやしないか?」
マリアは眉をひそめ、自分の杖を見下ろした。
「……言われてみれば、そうね。以前は微量の魔力でいくらでも傷を癒やせたのに、最近はすぐに息が切れるわ。それに、なんだか肌寒いのよ。気候のせいかしら……?」
二人は首をかしげた。自分たちの実力は世界最高峰であり、足手まといだった「地味な勇者レオン」を追い出したことで、パーティーはより洗練された最強の精鋭になったはずなのだ。それなのに、レオンを追い出してからというもの、なぜかダンジョンの難易度が跳ね上がり、自分たちの身体能力が目に見えて低下しているような感覚に悩まされていた。
(まさか……俺たちの力が落ちているんじゃない。あいつ――レオンのせいで、俺たちのペースが狂わされているんだ……!)
レイガーの中で、ある種の「被害妄想」と「劣等感の裏返し」が膨れ上がっていった。
レオンは確かに派手な技を使えなかった。しかし、彼がパーティーにいた頃は、なぜか常に体調が万全であり、どんな強敵を相手にしても不思議と疲労を感じなかったのだ。それをレイガーたちは「自分たちの才能のおかげ」と勘違いし、レオンを切り捨てた。だが現実には、レオンの持つ無自覚のバフ効果こそが、彼らを支えていた基盤だったのだ。
しかし、プライドの高い剣聖レイガーがそれを認めるわけにはいかない。
「ちっ……! あんな無能な男をいつまでも野放しにしているから、世界の理が歪むんだ! レオンめ、どこかの田舎で暢気に暮らしているに違い無い!」
レイガーは怒りに任せてテーブルを叩いた。
「そうだわ、レイガー」
マリアが冷徹な微笑みを浮かべながら、すっとレイガーの耳元に顔を近づけた。
「もし、あの男がこのままどこかで生き延びて、『勇者パーティーに理不尽に捨てられた』なんて噂を言いふらしたらどうなる? 私たちの名声に傷がつくわ。それに……もしかしたら、レオンが私たちの足を引っ張るために、何か呪いをかけているのかもしれないわよ」
「呪い……っ! なるほど、そうか! だから最近体が重いのか!」
レイガーは勝手に都合の良い解釈をこじらせ、目を血走らせた。
「そうだ。あいつを生かしておいてはいけないわ。……ねえ、裏社会の『あれ』を使いなさいよ」
マリアの言葉に、レイガーはハッと息を呑んだ。
「裏社会の……『影』か?」
「ええ。王国騎士団や普通の刺客では、どうせまたあの男の陰湿な罠にかかって返り討ちに遭うでしょうね。でも、あいつなら……『裏社会最強の暗殺者』なら、どんなに地味で小賢しい手段を使う男であっても、確実に音も立てずに闇に葬ってくれるわ」
レイガーはしばらく険しい顔で考え込んでいたが、やがて邪悪な笑みを浮かべてうなずいた。
「……いいだろう。名誉を守るためだ。レオンをここで消し去り、『魔王との戦いで名誉の戦死を遂げた』とでも発表してやる。そうすれば、私たちの追放劇も完全に正当化できる!」
その日の深夜、王都の闇に包まれた路地裏。
レイガーは極秘裏に連絡をつけ、王国が誇る表の英雄としての顔を投げ捨て、王国最大のタブーである裏社会の首領へと密書と莫大な金貨を送り届けた。
『標的:元勇者レオン。手段は問わない。確実に息の根を止め、彼の存在をこの世から消し去れ。そして、レオンが持っていたすべての私物を回収し、私たちに盾突いた者への見せしめとせよ』
密書を受け取ったのは、王国裏社会の伝説にして、影の殺人鬼と恐れられる最強の暗殺者――ブラッドであった。
「……ターゲットは、追放された元勇者、か」
暗いアトリエの中で、不気味に光る短剣を砥ぎながら、ブラッドは冷酷な笑みを浮かべた。
依頼主である剣聖の思惑など、ブラッドにとっては知ったことではない。彼にとって重要なのは、依頼料の額と、いかに綺麗にターゲットを始末するか、それだけだった。
「ふん、勇者と持て囃された男が、人里離れたボロ家に逃げ込んで怯えている姿が目に浮かむわ。一瞬で、苦しまずにあの世へ送ってやろう」
ブラッドは漆黒の忍装束をまとい、音もなく闇夜へと溶け込んだ。
最強の暗殺者が、今まさに、世界一だらだらとした生活を送るレオンの待つ「極楽の農村」へと、殺意を秘めて忍び寄っていく――。
しかし、このときのブラッドはまだ知らなかった。
彼がこれから足を踏み入れようとしているその場所が、暗殺者の殺気すらも心地よい眠気へと変換してしまう、恐るべき「魔の温泉こたつエリア」であるということを。




