86 第18章:世界一平和なコタツの主たち
第18章 第3節
北方の山あいにひっそりと佇む、かつての廃村――いまや全宇宙の怠惰と極楽の頂点を極めるリゾート特区『温泉こたつ庵』。
そこに押し寄せた総勢1万名の連合軍は、前魔王ルシアが放った究極の受動的オーラ『全戦意蒸発』と、村の総力を挙げて構築された「大衆の欲望を具現化した究極の屋台街」、そして極上のアルカリ温泉のコンボの前に完全に骨抜きにされていた。
さらに、ガルド王国に対するレオンの「最強の温泉&ラーメン兵糧攻め(出入り禁止の刑)」による秒速の完全降伏を経て、世界はついに『全宇宙・永世中立および温泉共栄に関する不可侵平和条約(通称:極楽温泉平和条約)』を正式に締結。人類と魔族は二度と戦争ができない完璧な平和の時代へと突入していた。
今やこの村は、世界中の要人や王侯貴族、さらには日々の労働に疲れ果てたすべての民衆が「癒やし」と「究極のグルメ」を求めて引きも切らずに押し寄せる、世界最高峰の観光リゾート地へと劇的な大発展を遂げている。
東方の巨大帝国の皇帝陛下が一族全員での永住移住を希望し、西方の商業ギルドが毎日1万杯の背脂豚骨ラーメンのケータリング契約を申し込むなど、その規模はもはや一つの小さな村の枠を遥かに超越していた。
――だが、しかし。
ここで一つの重大な、しかしレオンとルシアにとっては最高に都合の良い「真実」があった。
それは、これほどまでに世界中から観光客が押し寄せ、一大リゾート帝国として爆発的な繁栄を見せているにもかかわらず、「この特区の最高責任者であるはずのレオンとルシアの仕事量が、文字通り『ゼロ(完全になし)』である」ということだった。
その日の午前中。
村の高台にある「特設プライベート・テラス付きコタツ御殿」にて。
レオンは、ポカポカと心地よい温もりに包まれた特製極厚こたつ布団の中にすっぽりと全身を預け、テーブルの上に置かれたみかんの皮をモソモソと剥いていた。
その隣では、前魔王ルシアがインフィニティチェアに優雅に寝そべり、キンキンに冷えた生ビールのジョッキを片手に、遠くで繰り広げられている一大リゾートの賑わいをのんびりと眺めていた。
二人の目の前には、世界中から届いた膨大な予約申込書や、各国の首脳陣からの莫大な献上品リスト、さらには新規ホテルの建築許可申請書といった「国家予算レベルの重要書類の山」が、まるで用済みのごみのように山のように積み上げられていた。
しかし、レオンはその書類の山を一瞥すらせず、ただ目の前のみかんに全意識を集中させていた。
「ねえ、レオン」
ルシアはジョッキをカチンとテーブルに置き、あくびを噛み殺しながら言った。
「なんだか、下の方のロビーが朝からやけにバタバタして賑やかだけど、今日もまたどこかの国の皇帝陛下とかが押し寄せてるのかしらね」
「あー、みたいだねぇ」
レオンは剥き終えたみかんの白い筋を丁寧に取リながら、のんびりと答えた。
「さっき、ブラッドが『東方帝国の全権大使が、新しく完成した第5露天風呂のネーミングライツについて直談判したいと言っております』って血相変えて走ってきたよ」
「へえ、で、何て答えたの?」
「『レオン様は現在こたつでみかんを召し上がっておりますので、後ほど私の方で適切に処理しておきます!』って言って、ブラッドが勝手に追い返してくれたよ。いやぁ、あいつ本当に仕事が早いよねぇ」
ルシアはクスリと笑い、納得したように頷いた。
「ほんとよねぇ! ブラッドは元・裏社会の最強暗殺者だけあって、書類仕事の処理能力も、経理の数字合わせも、観光客の誘導も、すべてが完璧すぎて怖いぐらいだわ!」
そう、この世界最大級の観光リゾートの運営は、レオンやルシアが指示を出さなくても、かつての優秀な元幹部たち――元・裏社会最強の暗殺者ブラッド、最強武闘派将軍ガロア、さらには元・剣聖レイガーや新魔王軍リーダーのバザルトといった面々が、「自主的に、あまりにも有能すぎる手際で、完璧に分業して回している」のである。
ガロアは持ち前の筋肉と卓越した土木スキルを発揮し、毎晩のように観光客の増加に伴う「巨大地下サウナドーム」や「岩盤浴エリア」の増築工事をニコニコしながら突貫工事で完成させている。
ブラッドは、世界中から届く食材の買い付けから、スタッフのシフト管理、さらには高級レストランのメニュー開発までを一人で完璧にこなし、毎朝の朝礼では「本日のリゾート稼働率は120%です! 皆さん今日も最高の笑顔でお客様をおもてなししましょう!」と爽やかに全スタッフを率いている。
さらに、かつて世界を震撼させた大賢者は、村の総合アカデミー(兼・麻雀教室)の学長として世界中から集まった若きエリートたちを厳しく、かつ楽しそうに指導し、元聖女マリアはインフォメーションセンターの看板娘として観光客の心を鷲掴みにしていた。
要するに、この村において、最高責任者であるはずのレオンとルシアがやるべき仕事は、「朝起きて、こたつに入り、美味しいご飯を食べ、温泉に浸かり、たまにみかんを食べる」こと以外、文字通り何一つ存在しなかったのだ。
「これさぁ……」
レオンはみかんを一口パクッと放り込みながら、どこか遠い目をした。
「僕たち、この村のオーナーっていうか、ただの『最高級こたつのマスコットキャラクター』になっちゃってない?」
「いいじゃない、最高じゃない!」
ルシアは楽しそうに両手を広げ、足元をブラブラと揺らした。
「私たちが汗水たらして働かなくても、優秀な部下たちが勝手に世界中から富と食材をかき集めてきてくれて、私たちは毎日一日中ダラダラしてていいんだからね! これぞまさに、前魔王としての最大の夢だった『完全不労所得・永久バカンス生活』の完成よ!」
「確かにねぇ……。働く必要がないって、こんなに素晴らしいことだったんだねぇ」
レオンがしみじみと頷いていると、その時、テラスの入口から「失礼します!」とキビキビとした足音とともに、総料理長のブラッドが完璧なコック姿でやってきた。
ブラッドは、山のように積まれた重要書類の横に、湯気をもうもうと立ち上がらせた真新しい一皿をスッと優しく差し出した。
「レオン様、ルシア様。本日の特選おやつとして、宮廷パティシエたちが腕を振るって開発した『濃厚抹茶クリームのサクサク鯛焼き(あんバター添え)』をご用意いたしました。焼きたてでございますので、どうぞ冷めないうちにお召し上がりください」
「わぁ! 美味しそう!」
ルシアは目を輝かせ、さっきまでビールを飲んでいた手でパッと鯛焼きを受け取った。
「ブラッド、あなた本当にいい仕事するわねぇ! この絶妙なあんことバターの塩気が、午後のお茶会に完璧にマッチするのよ!」
「お褒めの言葉をいただき、光栄でございます」
ブラッドは美しく微笑み、山のような書類の束を華麗な手つきでスッと整理整頓しながらこう付け加えた。
「なお、本日の午後予定されていた『東方帝国との第3回・温泉共同開発サミット』ですが、先ほど私の方で先方の全権大使と極秘裏に会談し、我が村側の有利な条件で完全妥結させておきましたので、お二人は一切会議に出席される必要はございません。夕方まではご自由におくつろぎください」
「おお、さすがブラッド、助かるよ。じゃあ遠慮なくいただくね」
レオンは鯛焼きを一口かじり、そのサクサクとした生地と中の濃厚な甘さに目を細めた。
「では、私は厨房の仕込みに戻りますので、何かご用命がございましたら、いつでも呼んでくださいませ」
ブラッドは一礼を残すと、再び風のように軽やかな足取りでテラスを去っていった。
……完璧。
あまりにも完璧すぎる部下たちの働きぶりにより、レオンとルシアの「管理者としての存在価値」は、もはや「そこにこたつとともに座っていること」だけに集約されていた。
しかし、当の本人たちは、その圧倒的な「仕事のなさ」をこれ以上ないほどの幸福として満喫していた。
「ねえ、レオン」
ルシアは鯛焼きを美味しそうに頬張りながら、コタツのなかのレオンの足を自分の足に軽くスライドさせて甘えたように言った。
「この村の運営、もうこの調子で100年くらいずっと私たち何もしないままでいけそうじゃない?」
「そうだねぇ」
レオンはほうじ茶で口の中の甘さをスッキリと洗い流しながら、穏やかに微笑んだ。
「みんな自分で勝手に生き生き働いて、勝手に幸せになって、勝手に村を盛り上げてくれてるんだから、僕たちが口を出す余地なんて最初からなかったんだよ。これからもずっと、この調子でいこうか」
「うん、賛成!」
遠くの渓流エリアからは、ガロアの元気な「ロウリュウいきまーーす!」という掛け声と、世界中から集まった観光客たちの幸せな歓声が、心地よい秋の風に乗ってふんわりと響いてくる。




