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80 第17章:『完全中立・自堕落独立特区』宣言

第17章 第2節


北方の山あいにひっそりと佇む、かつての廃村――いまや全宇宙の怠惰と極楽の頂点を極めるリゾート特区『温泉こたつ庵』。

そこに、かつてレオンを冷酷に王都から追放した張本人である「王国の最高主教」が、傲慢にも教会の権威を振りかざして乗り込んできた。しかし、連れてきた宮廷魔導師たちは一瞬でルシアの放つ受動的オーラと温泉の誘惑に屈し、教会の服を脱ぎ捨ててタオル一枚で大露天風呂へと走り去ってしまった。


たった一人だけポツンと取り残され、足元に転がったみかんを前にガタガタと震える老主教。

そのあまりの哀れさと時代錯誤な滑稽さに、村の特設こたつ席でまったりとくつろいでいた面々は、あきれ果てたような、しかしどこか呆れたような息を吐いていた。


「はぁ……。せっかくの美味しいすき焼きの匂いが、あのヒステリックなおじいさんのせいでちょっと台無しになっちゃったじゃない」


ルシアは、手に持っていたお箸をコトンとテーブルに置くと、不機嫌そうにぷぅっと頬を膨らませた。

彼女の頭の上には、可愛い「温泉こたつ庵」のロゴが入ったサウナハットがちょこんと乗っており、その格好のまま前魔王としての圧倒的な威圧感を、ほんのちょっぴり(しかし尋常ではない密度で)空間に滲ませ始めた。


老主教は、そのルシアのただならぬ気配に気づき、ガタガタと震えながらおそるおそる顔を上げた。

「ひっ……! き、貴様は……かつて世界を恐怖のどん底に陥れた……前魔王ルシア……っ! なぜ魔王が、このような下劣な人間の村で、そんな堕落しきった格好でくつろいでおるのだ……! 早くその邪悪な魔力を収め、我々にひざまずきなさい!」


まだ自分が置かれた状況の深刻さおよび、この村における自分の権威の完全な崩壊を理解できていない老主教は、相変わらず上から目線の言葉を吐き捨てた。


その瞬間――。

ルシアの目が、スッと冷たく細められた。


「……ねえ、おじいさん」

ルシアは、トントンと机を指先で軽く叩きながら、氷のように冷たく、しかし芯からドスの利いた声で言った。

「あんた、さっきから聞いていれば『不穏な魔導特区だ』の『異端者だ』の『管理下に置く』だのって、勝手にギャアギャアうるさいわね。私たちがどれだけこの村の環境作りに命をかけてきたか、分かって言ってるの?」


「なっ……命をかけてだと……? 魔王がそんな平和ボケしたリゾート作りに命をかけているなどと、笑わせるな!」


「笑ってないわよ。本気よ」

ルシアはスッとこたつの中から立ち上がり、ゆっくりと老主教の方へと歩み寄った。

その歩みには、かつて魔界の頂点に君臨し、数多の強者たちを震え上がらせた「真の恐怖と圧倒的カリスマ」の片鱗が、ほんの少しだけ――しかし逃げ場のないプレッシャーとなってあたりを包み込んだ。


「よく聞きなさい、老いぼれ」

ルシアは老主教の目の前でピタリと足を止め、見下ろすような冷徹な視線を向けた。


「余はこの村のコタツと、極上のアルカリ温泉と、ブラッドが作る濃厚豚骨ラーメン、そして毎日食べ放題の完熟みかんを、心から愛しているの。この世界にどんな大義名分があろうとも、王国の威信だろうが神の教えだろうが関係ない。この完璧すぎる怠惰の楽園を邪魔する奴は……神だろうが魔王だろうが、余がこの手で容赦なく、二度と温泉に入れない身体にしてやるから覚悟しなさい」


その言葉の響きには、ハッタリでも冗談でもなく、「もしこの村の平穏が脅かされるなら、魔王としての全盛期の力を使って王都ごと更地にする」という、極めて純粋で、かつ狂気的なまでの「リゾート愛」がぎっしりと詰まっていた。


「ひっ……ひぃぃぃ……っ!!」


老主教は、目の前に広がる圧倒的な「魔王の殺気」と、その内容のあまりの斜め上をいくスケールの小ささ(だが恐ろしさは本物)に、腰を抜かしてその場にヘナヘナと崩れ落ちた。

彼の心臓は恐怖のあまり止まりそうになり、黄金の杖はガタガタと音を立てて石畳の上を転がっていった。


「わ、私は……ただ、教会の威信を取り戻そうと……」

「威信なんてどうでもいいのよ! あんたみたいな古いシステムにしがみついて他人の邪魔ばかりする人間がいるから、世の中がギスギスするの!」


ルシアはふんっと鼻を鳴らすと、さっきまで不機嫌だった表情をスッと和らげ、くるりと背中を向けてこたつ席へと戻っていった。

「ふう、なんか余計な体力使っちゃった。ねえレオン、そろそろすき焼きのお肉、いい感じに煮えてきたんじゃない?」


「うん、ちょうど今食べ頃だよ。ルシア、お疲れさん」

レオンは穏やかに笑い、ぐつぐつと甘辛いタレの香りを漂わせる特製の巨大すき焼き鍋から、卵をくぐらせた極上の牛肉を小皿に取り分けてルシアに差し出した。


そのあまりの切り替えの早さと、日常へのスムーズな帰還に、床にひっくり返ったままの老主教は、目を見開いたままポカンと口を開けて固まっていた。


「さあ、おじいさんもそこの地べたで転がってないで、こたつに入りなよ」

レオンは、すっかり戦意を喪失して魂が抜けている老主教に向けて、優しく声をかけた。

「せっかくここまで歩いてきたんだしさ。まずはブラッド特製の鴨南蛮うどんでも啜って、頭を冷やしなよ。人間、お腹一杯になって温かいお風呂に入れば、余計なプライドなんて自然と消えてなくなるからさ」


「わ、私は……王国の最高主教として……このような邪道な……」

老主教は震えながらプライドを保とうとしたが、その胃袋からは「キュウウウ……」と、これ以上ないほど素直で盛大な腹の虫の鳴き声が響き渡った。


長旅の空腹と、ルシアの放った恐怖のプレッシャーで限界を迎えていた彼の身体は、目の前を漂う最高級のすき焼きと鴨南蛮うどんの香ばしい匂いに、ものの見事に屈服してしまったのだ。


「ほら、意地張らないの」

ガロアが豪快に笑いながら歩み寄り、老主教の肩をガシッと掴んで、文字通り引きずるようにしてこたつの席へと引っ張り込んだ。

「長旅ご苦労さん! まずはこの熱々のうどんを啜って、それからたっぷり人生の反省会をしようじゃないか!」


「あぁ……れ、れんげが勝手に動く……この香ばしい出汁の匂いはいったい……っ!」

老主教は抵抗する気力すら失い、ガロアに押されるがままこたつに足をつっこみ、差し出された鴨南蛮うどんの箸を手に取ってしまった。


そして、一口スープを啜った瞬間――。


「――美味い……っ!! 出汁が……鰹と昆布の旨味が、私の干からびた宗教心に染み渡る……っ!!」


老主教は、かつての威厳ある教会の指導者の面影を完全にかなぐり捨て、どんぶりに顔をうずめるようにして夢中でうどんをすすり始めた。その目からは、これまでのプライドが崩れ去ったことへの悔しさと、それを遥かに凌駕する美味さへの感動による大粒の涙が、滝のようにボロボロとこぼれ落ちていた。


その光景を、こたつの中からまったりと眺めていたレオンとルシアは、顔を見合わせてクスリと笑い合った。


「ほらね、結局最後はみんな同じだよ」

レオンがほうじ茶を啜りながら言うと、ルシアは満足げにすき焼きの牛肉を口に運び、こう言い放った。


「当然よ! この世のすべての争いは、美味しいご飯と温かいコタツがあれば、大体10分で解決するんだから!」


村の空はどこまでも高く青く澄み渡り、心地よい湯気と極上のグルメの香りが、平和なリゾート特区をいつまでも優しく包み込んでいくのだった。

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