77 第16章:元仲間の悲惨な土下座と一蹴
第16章 第2節
北方の山あいにひっそりと佇む、かつての廃村――いまや全宇宙の怠惰と極楽の頂点を極めるリゾート特区『温泉こたつ庵』。
そこに突如として押し寄せた、人類と魔族の合同討伐軍「総勢1万名」は、前魔王ルシアが放った究極の受動的オーラ『全戦意蒸発』と、村の総力を挙げて構築された「大衆の欲望を具現化した究極の屋台街」、そして極上のアルカリ温泉のコンボの前に、見事なまでに全員が骨抜きにされていた。
そして、かつての世界の英雄でありながら落ちぶれていた元・剣聖レイガーと、新魔王軍のクーデターリーダーであるバザルトの二人も、ブラッド特製の濃厚背脂豚骨ラーメンの美味さに屈し、レオンたちの前で盛大に土下座をかまして「この村のスタッフ(および常連客)として一生を捧げます」と見事に忠誠を誓い(?)、すっかり怠惰の虜になっていた。
村中から聞こえてくるのは、戦いの怒号などではなく、「乾杯!」「この温泉、肌がトロトロになるぞ!」「あー、極楽極楽……」という、全宇宙で一番平和で幸せな歓声ばかりである。
――だが、しかし、である。
この世界が完全に「怠惰と温泉の平和共栄圏」としてハッピーエンドを迎えようとしていたその矢先。
遠く南方の王都、および魔界の深部から、さらなる「予測不能な、しかし猛烈に面倒くさい来訪者たち」が、ひそかに――いや、実はめちゃくちゃ慌てふためきながら、この北方の村へと向けて走りに走ってきていた。
それは、かつての王都の聖堂に取り残されていた、元勇者パーティの残りカス(斥候や生き残りの側近たち)、そして魔界の暗黒城で若手幹部たちの暴走に頭を抱えていた真面目な古参の魔族軍高官たちであった。
彼らは、レイガーやバザルトといった「討伐軍のリーダーたち」が村へ向かったきり、一向に戻ってこないこと、そして連絡の鳥すら一切帰ってこないことに耐えかねて、ついに自分たちの足で後を追いかけてきたのだ。
「はぁっ、はぁっ……! なんだ、この道中は……!」
「一体どうなっているんだ……王都の聖堂も、暗黒城も、上層部が全員いなくなって大パニックじゃないか……!」
北方の廃村の入り口、かつて1万人の軍勢が武器を投げ捨てて温泉へと突入していったその場所に、息を切らせた王国の側近官僚たちと、魔界の古参魔族たちが、ボロボロの格好でようやくたどり着いた。
彼らの目の前に広がっていたのは、白い湯気をもうもうと立ち上がらせる巨大露天風呂、おいしそうな焼き鳥の匂いを漂わせる屋台街、そして、こたつに入ってミカンを剥きながらまったりとボードゲームに興じる元・剣聖レイガーと新魔王軍リーダー・バザルトの姿だった。
「れ、レイガー様ぁーーっ!!」
王国の側近官僚が、涙を流しながら駆け寄ってきた。
「やっと見つけました……! 王都は大変なことになっているのです! あなた様が不在の今、騎士団は統率を失い、民衆たちは暴動寸前です! 早く王都へ戻って、私たちを導いてください……!」
「バザルト様ぁーーっ!!」
魔界の古参高官も、すっかりサウナハットを被って寛いでいたバザルトの足元にしがみついた。
「新魔王軍は崩壊寸前です! クーデターを起こした若手たちが勝手に暴走した挙句、あなた様まで行方不明になったことで、魔界中が大混乱に陥っております! どうか暗黒城へお戻りください……!」
レイガーとバザルトは、目の前で自分たちの帰還を懇願する側近たちの顔を、こたつの布団の中からじっと見下ろした。
手には剥きたてのミカン。足元はポカポカの温もり。目の前には最高の仲間たち。
二人は、かつて自分が必死にしがみついていた「王国の英雄」や「魔界の過激派リーダー」という肩書きが、いまやどれほど色褪せていて、どれほどくだらないものだったのかを痛感し、深々とため息をついた。
「……無理だ」
レイガーはミカンの薄皮をポイッと口に放り込みながら、冷ややかに言った。
「俺はもう王都には戻らない。あんな、お互いを疑い合い、陰謀とプレッシャーに満ちた息苦しい場所になど、二度と足を踏み入れたくないのだ。俺の居場所はここだ。このこたつと、あの極上醤油ラーメンのスープの中にある」
「わ、私だって同じだ!」
バザルトも力強く頭を横に振った。
「クーデターだの覇権だの、そんな面倒くさい仕事は若い奴らにでも勝手にさせておけ! 私はこの村の露天風呂の番頭として生きる道を選んだんだ! 魔界の面倒は知らん!」
側近たちは絶望した。「そんな……! あなた方までそんな腑抜けたことをおっしゃるなんて……!」
しかし、その時である。
こたつの席の一番奥、特等席にどっしりと腰掛け、ほうじ茶の湯呑みを優雅に傾けていた一人の男が、ゆっくりと顔を上げた。
レオンだった。
そして、その隣で、キンキンに冷えた生ビールのジョッキを嬉しそうに磨いていた前魔王ルシアも、ふっとフニャリとした笑みを浮かべた。
王国の側近たちと、魔界の古参高官たちは、その二人の姿を見た瞬間、ビクッと全身を硬直させた。
彼らにとって、レオンとルシアこそが、このすべての「狂気的な平和(怠惰の巣窟)」を引き起こしたすべての元凶に他ならなかった。
「おや、お客さんかい?」
レオンがのんびりとした口調で声をかけた。
「遠くからわざわざご苦労様。もしよかったら、君たちもそこのテントでサウナに入って、冷たい特性ドリンクでも飲んでいきなよ。長旅の疲れが一瞬で吹き飛ぶからさ」
そのレオンの穏やかな笑顔を見た瞬間、王国の側近官僚の一人が、崩れ落ちるようにその場でガクッと膝をつき、そのままレオンの足元にすがりついて大声で泣き叫んだ。
「頼むレオン殿ーーっ!! 戻ってきてくれぇっ!! あなたがいないと、王都は本当にダメなんだ……っ!! 王様も、貴族たちも、みんなあなたの作ったあの美味しいご飯の味が忘れられなくて、毎晩枕を濡らしているんです! 世界の経済も、政治も、あなたの『環境創出スキル』がないと完全に回らないんです……っ!! お願いだから、王都へ帰ってきて、私たちの王になってくれぇーーっ!!」
その絶叫に呼応するかのように、今度は魔界の古参高官たちが、一斉にルシアの足元へとバタバタと土下座で飛び込んだ。
「ルシア様ぁぁぁーーっ!! どうか、どうか魔王城へお戻りください……っ!! あなた様が勝手に城を飛び出してこの村で隠居なさってから、魔界の予算案は通らないわ、若者たちは勝手にサウナを作って仕事放棄するわで、もう滅茶苦茶なんです……っ! 前魔王としての威厳を取り戻し、ふたたび玉座に座ってくだされば、どんな贅沢品でも、毎日最高級のデザートでも貢ぎますからぁーーっ!!」
静まり返った村の広場に、かつての世界を動かしていたはずの人間界と魔界のエリートたちの、あまりにも情けなく、あまりにも切実な「お迎え(泣きつき)の絶叫」がこだました。
人類の運命を握る元・荷物持ち(現・リゾートオーナー)のレオンと、魔界の最高権力者であるはずの元・魔王ルシア。
世界の両側から、あまりにも強烈な「戻ってきてコール」が、今、この平和なこたつの前で盛大に爆発したのである。
さて、この歴史的な大懇願を前に、レオンとルシアの二人はいったいどう答えるのか――?
物語は、いよいよ最高にぬるくて最高に贅沢な大団円のフィナーレへと向かって動き出すのだった。




