74 第15章:1万の大軍、完全沼らせ撃破
第15章 第4節
北方の山あいにひっそりと佇む、かつての廃村――いまや『温泉こたつ庵』および全宇宙の怠惰と極楽の頂点を極めるリゾート特区。
そこに押し寄せた、人類と魔族の合同討伐軍「総勢1万名」は、前魔王ルシアが放った究極の受動的オーラ『全戦意蒸発』と、村の総力を挙げて構築された「大衆の欲望を具現化した究極の屋台街」の前に、ものの見事に全員が骨抜きにされていた。
ブラッド特製の「濃厚背脂豚骨ラーメン」や、レオン特製の「極上醤油ラーメン」を啜り、ルシアが注ぐ「キンキンに冷えた生ビール」を喉に流し込んだ兵士たちは、もはや「洗脳基地を叩き潰す!」という殺気などすっかり忘れ去り、あちこちで「うめえ!」「人生観が変わった!」と大号泣しながら美食の海に沈んでいた。
しかし、極楽の宴はまだ終わりではない。
胃袋が最高潮に満たされた1万名の元・兵士たちの前に、ガロア率いる土木・設営部隊が誇る、もう一つの「禁断の最終兵器」がその全貌を現そうとしていた。
村の奥、清らかな湧き水が流れる渓流エリア一帯。
そこには、新魔王軍の最強武闘派将軍だったガロアが突貫工事で掘り上げ、総ヒノキ造りで贅沢に仕上げた『日本列島縦断レベルの超巨大野外露天風呂(通称:天下泰平の湯)』が、もうもうと心地よい白湯の湯気を立ち上がらせて待ち構えていた。
「おいおい、腹が満たされたら、今度は心身の凝り固まった贅肉と汚れを完全に洗い流す時間だぜ!」
ガロアは特製のスタッフハッピを脱ぎ捨て、見事な筋肉美を露わにしながら、超巨大露天風呂の木製カウンターの上から大声で叫んだ。
「行くぞお前ら! 湧き水から完璧に調整された41.5度の極上アルカリ温泉が、お前らの長旅の疲労を心の底から溶かして待っている! 武器を置いて、館内着に着替えて、今すぐ飛び込めーーっ!!」
そのガロアの豪快な号令を聞いた瞬間、屋台の周辺でまったりしていた兵士たちの目が一斉にキラリと輝いた。
「お……おい、見ろよあれ……!」
「あんなでかい露天風呂、王城の貴族専用大浴場だってあんなに豪華じゃないぞ……!」
「しかも、湯気がめちゃくちゃいい匂いする……白樺とヒノキのアロマだ……!」
数日、あるいは数週間にわたって野宿を続け、鎧をつけっぱなしで泥まみれになりながら荒野を駆けてきた兵士たちにとって、「温泉」という二文字は、ラーメンやビールをも凌駕する最強の誘惑だった。
「うおおおおおおっ! 風呂だぁぁぁーーっ!!」
誰かがそう叫んだのを皮切りに、人間と魔族の垣根など完全に消え去った1万人の大群が、まるでサバンナの群れのように一斉に巨大露天風呂へと走り出した。
「おい、待て! 押し合うな、湯船からお湯が溢れるだろ!」
「うるせえ! 俺は一週間ぶりにまともな温水に浸かるんだ! 邪魔する奴は叩き出すぞ!」
「ああっ、私のインフィニティチェアのキープ席が取られる!」
ドポソッ! ザブーーーンッ!!
次々と、王国の屈強な重装騎士たちや、新魔王軍の黒い装甲をまとった魔族兵たちが、文字通り「服を着たまま(正確には慌てて鎧を脱ぎ捨てながら)温泉へと飛び込んだ。
「ひゃあぁぁぁ……っ!!」
湯船の中央に設置された「浮き島型カウンター」の周りに身を沈めた瞬間、1万人の口から、およそ戦場では絶対に聞くことのでえない、極上のとろけるような脱力のため息が漏れ出した。
「なんだこれ……? 肌が……肌がトロトロに溶けていく……!」
「肩こりが一瞬で消えた……! このお湯、魔導の回復魔法より効くんじゃないのか……!?」
総ヒノキの香りが鼻腔をくすぐり、アルカリ性の柔らかなお湯が、長旅の過酷な行軍ですり減った筋肉と関節の隙間へと優しく染み渡っていく。
お湯の温度は完璧に人肌の心地よさに調整されており、冷え切っていた手足の先までじんわりとポカポカに温められていった。
さらに、その露天風呂の脇には、キンキンに冷えた「特性混合ドリンク」が並ぶ特設バーカウンターが設置されており、温泉に浸かりながら片手でジョッキを傾けることができるという悪魔的な仕様になっていた。
「ぷはぁーーっ!!」
王国のベテラン騎士だった男が、湯船の縁に頭を預け、片手に特性ドリンクのジョッキ持ちながら、トロトロの目で虚空を見つめた。
「最高だ……本当に最高すぎる……。あんな泥水をすすって、寒さに震えながら毎日訓練して、いつ死ぬか分からない戦争なんてやってられるかよ……!」
その男の言葉に、隣の湯船に浸かっていた新魔王軍の魔族兵が、深く、あまりにも激しく首を縦に振った。
「まったくだ……。魔界のクーデターだの、新魔王軍の覇権だの、そんな面倒くさい大義名分よりも、このお湯の温かさと、風呂上がりの特性ドリンクの爽快感の方が、百倍……いや、億万倍価値がある……!」
「だな……。俺たち、なんであんな必死になってこの村を潰そうとしてたんだっけ?」
「さあ? 誰かが『洗脳の巣窟だ』とか言い出したからじゃなかったか?」
「ははっ、馬鹿野郎、こんな素晴らしい極楽を『洗脳』なんて呼ぶ奴がいたら、そいつこそ頭の病院に行った方がいいぜ!」
湯船のあちこちで、殺し合うはずだった人間と魔族が、まるで長年のサウナ仲間であるかのように肩を並べ、お湯の中で気持ちよさそうにプカプカと浮かびながら笑い合っていた。
その様子を、露天風呂の少し高台にある特設テラスから、インフィニティチェアに寝そべりながら眺めていたレオンは、ほうじ茶の湯呑みを傾けてフッと小さく呟いた。
「うん、順調、順調。みんな綺麗さっぱり汚れも殺気も洗い流して、すっかり『ととのい状態』に入ってるね」
「ほんとよねぇ」
隣で、冷えたみかんを器用に剥きながら、ルシアがクスクスと笑った。
「あんなに怒鳴り込んでいた奴らが、温泉に入った途端に全員『もう二度と戦いたくない、ずっとここにいたい』って顔になってるわよ。人間の欲望って、突き詰めると結局『温かいお湯と、美味い飯と、だらだらできる場所』に行き着くんだから、世の中うまくできてるわよね」
そのルシアの言葉に、大賢者も白い髭を揺らしながら深く同意した。
「まさにその通りじゃ。国家の維持も、軍隊の統率も、突き詰めれば『市民にどれだけ極上のサウナとこたつを提供できるか』の一点にかかっていると言っても過言ではない。わしも論文にまとめたいくらいじゃわい」
その横では、元聖女マリアが、温泉から上がってきたばかりのポカポカの顔をした兵士たちに向かって、次々と剥きたてのミカンを手渡しながら声をかけていた。
「はーい、お風呂上がりにはビタミン補給の甘いミカンですよー! 水分補給もしっかりしてくださいねー!」
「ありがとうございます、元聖女様……! 私、もう王城には戻りません! この村の温泉警備係として一生を捧げます!」と、兵士がガチ泣きしながらミカンを受け取っている。
村の渓流エリア一帯は、いまや「全宇宙で最も平和で、最も湯気くさい、史上最大の平和交流温泉郷」へと完全に生まれ変わっていた。
戦いの二文字は消え去り、そこにあるのは、温かなお湯と、美味しいグルメと、最高の仲間に囲まれた極上のリラクゼーション空間だけだった。
かつて世界を揺るがした1万人の大軍勢は、こうしてレオンたちの作り上げた「究極の環境」の前に、抗う術もなく、最高に幸せなかたちで完全に敗北(降服)し、この村の新たな、そして永遠の住人(あるいは常連客)へと仲間入りを果たしていくのだった。




