07 第2章:働いたら負け? 自堕落デュオの誕生
第2章 第2節
元勇者のレオンと元魔王のルシアが「一生ここでだらだら暮らそう」と誓い合ってから数日が過ぎた。
村での生活は、言葉通り「何もしないこと」が最優先事項だった。朝起きても特にやることがなく、太陽の光を浴びながら縁側でぼんやりし、お腹が空いたら適当に作った野草スープや山菜をかじり、眠たくなったらそのまま昼寝をする。労働という概念は、二人の辞書から綺麗さっぱり消え去っていた。
しかし、当人たちがどれだけ「だらだらしよう」「徹底的にサボろう」と怠惰を貪れば貪るほど、レオンが生まれ持った規格外のパッシブスキル『最高環境創出』が、静かに、そして猛烈な勢いで周囲の環境を書き換え始めていた。
レオン本人はその自覚が一切ない。彼はただ、「あー、今日も動かなくていいって最高だな」と縁側でゴロゴロ転がっているだけなのだが、その怠惰のエネルギーが大地に染み込み、村全体の生態系や物理法則に奇妙なバフ効果を撒き散らしていたのである。
その最初の「異変」に気づいたのは、ある日の昼下がりだった。
「ねえ、レオン。喉渇いたんだけど。お水ちょうだい」
ルシアがゴロゴロと転がりながら、レオンの袖を引っ張った。
「ん、じゃあそこの井戸から汲んできてよ。すぐそこだからさ」
レオンは面倒くさそうに、庭の隅にある古びた石造りの井戸を指さした。村に到着した初日、その井戸を覗き込んだとき、底にはドロドロとした濁った泥水がわずかに溜まっているだけで、とても飲めたものではなかった。「そのうち掃除しないとなぁ……めんどくさいけど」と思いつつ、ずっと放置していた場所だ。
「ええ~? 私が歩くの? めんどくさいなぁ……でも喉渇いたしなぁ……」
文句を言いながらも、ルシアは渋々起き上がり、手近にあった木桶を持って井戸へと歩いていった。
「よいしょ、っと……。うわ、この井戸、相変わらず古くて不気味なんですけど。虫とか浮いてないでしょうね……」
ルシアはぶつぶつと呟きながら、縄のついた木桶を井戸の底へとゆっくりと下ろした。そして、チャプンという心地よい水音が響いたあと、ぐっと力を込めて桶を引き上げる。
「っ……重っ!? なになに、この水の詰まった桶、信じられないくらい重いんだけど……!?」
ルシアはふうふうと息をきらしながら、ようやくの思いで桶を井戸の縁へと引き揚げた。
そして、中を覗き込んだ瞬間。
ルシアの目は、驚愕で見開かれた。
「は……? え……?」
木桶の中に張られていたのは、濁った泥水などではなかった。
そこにあったのは、底が透き通って見えるほどクリアで、まるで宝石のようにつややかな、奇跡の液体だった。ひんやりとした冷気が桶の周囲からフワリと立ち上り、周囲の空気を一瞬で爽やかに引き締めている。
「な、なにこれ……!? 水から……すっごく甘くて爽やかな、美味しそうな匂いがする……!」
あまりの異常事態に、ルシアは慌ててレオンを呼んだ。
「ねえ、レオン! ちょっと来て! 井戸の水が、なんかとんでもないことになってるんだけど!」
「ん〜? どうしたんだよ、そんな大声出して……」
レオンは面倒くさそうに体を起こすと、のそのそと井戸端まで歩いていき、ルシアが汲み上げた桶の中を覗き込んだ。
「あー……おっ、ほんとだ。なんかすごく綺麗なお水になってるね」
「『綺麗になってるね』どころじゃないでしょ! これ、絶対になんかの魔法の液体だよ! 見てよこの透明感! 触るだけで肌がツルツルになりそうだし、ほんのり青みがかって光ってるように見えるんだけど!」
ルシアが興奮気味に指摘する。レオンは「ふーん……」と生返事をしながら、柄杓ですすったその水を一口だけ口に含んでみた。
瞬間――。
レオンの全身に、電撃が走ったかのような衝撃が走った。
「っ……! こ、これは……っ!」
すっきりとした喉越しでありながら、噛み締めるとほんのりと天然の甘みと極上の旨味が広がる。体に染み渡るようなミネラルのバランス、そして飲むだけで日頃の疲れや肩のコリがスルスルと溶けていくような、圧倒的な浄化作用。
それはもはや「水」というカテゴリを超越し、神々の領域に達した「極上の聖泉名水」そのものだった。
「どう!? 大丈夫!? お腹痛くなってない!?」
ルシアが心配そうに覗き込むと、レオンは目をパチクリさせながら、柄杓を下ろした。
「いや……めちゃくちゃ美味いぞ、これ。今まで飲んだどんな高級酒や果汁よりも、ケタ違いに美味い……。なんだこれ、びっくりした」
「嘘でしょ……? ちょっと私も飲む!」
ルシアも慌てて柄杓で水をすくい、一口ごくりと飲み干した。
次の瞬間、彼女の瞳がハートマークのようにぐるぐると回り、両手で自分の頬を抑えた。
「んまぁぁぁぁーーーーっっ!? なにこれ、甘い! 冷たい! 飲むだけで全身の魔力が一気に回復していく感じがする……! 肌細胞が若返る音が聞こえたんだけど……っ!」
二人は顔を見合わせた。
なぜ、放置されていたボロい井戸の水が、一瞬にしてこんな「神級の名水」に変貌してしまったのか。
(……いや、待てよ)
レオンはふと、自分のこれまでの行動を振り返った。
ここ数日間、彼は「いかに効率よく動かずに済むか」「いかに快適にだらだら過ごせるか」ということだけに全神経を集中させていた。運動ゼロ、労働ゼロ、完全なる怠惰の極み。その「究極にリラックスしきった状態」を維持するために、レオンの無自覚なパッシブスキル『最高環境創出』は、周囲の土地や水脈、空気のすべてを「最高に居心地の良い状態」へと自動的に最適化し続けていたのだ。
人間が生きる上で最も基本的なインフラである「水」。それをレオンが無意識のうちに「最高に美味くて体に良い水でなければ、だらだら生活の質が下がってしまう」と潜在的に欲したため、井戸の底の水脈そのものが根底から書き換えられてしまったのである。
もちろん、レオンはその因果関係に微塵も気づいていない。
「まあ、いっか。水が美味いのは良いことじゃん。これでわざわざ遠くまで買い出しに行かなくて済むし」
レオンは呑気に肩をすくめた。
「いっかって、いっかじゃないわよ! これ、絶対にタダの水じゃないって! 魔界の最上級の湧き水だってここまで美味しくないわよ!」
ルシアは興奮冷めやらぬ様子で、もう一杯ゴクゴクと名水を飲み干した。
「はぁ〜……生き返る……。ねえレオン、この井戸の水があれば、私、もう一生この村から出ない自信があるわ」
「お、それは心強いね。じゃあ、水汲み係はルシアね」
「えっ、なんでよ! 私をこき使う気!?」
「いや、自分で汲んでただろ今」
「ぐぬぬ……まあ、この美味い水が飲めるなら、これくらいの労働は許してあげるけどさ……」
ルシアはプンスカしながらも、嬉しそうに何度も桶から柄杓で水をすくって飲み続けた。
こうして、レオンの「だらだらすればするほど環境が勝手にチート化していく」という規格外のパッシブスキルによって、村の井戸は瞬く間に「世界一の極上名水スポット」へと生まれ変わってしまった。
本人は相変わらず縁側で寝転がっているだけなのだが、この「名水」の噂はやがて、思いがけない形で村の外へと漏れ出していくことになる――。




