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68 第14章:『第一回・温泉スローライフフェスティバル』開幕

第14章 第3節


秋の冷たい風が吹き抜ける、北方の中立荒野。

その地平線の彼方から、砂埃をもうもうと巻き上げながら、地響きのような圧倒的な足音が近づいていた。


「全軍、歩調を緩めるな! 前方に見えるのが、悪名高き『洗脳の巣窟』、かつての廃村だ!」


先頭に立って馬を走らせる、元・剣聖レイガーの顔には、かつての華やかな英雄の面影は微塵もなく、あるのは「ここで失敗すれば自分たちの居場所が完全に消滅する」という狂気的な焦燥と、復讐に燃える鬼気迫る表情だけだった。


そのレイガーのすぐ脇を、全身に漆黒の重装甲を纏った新魔王軍のクーデターリーダー・バザルトが、巨大な魔導大剣をガッチリと握りしめながら並走していた。

「そうだ! 我が軍の最高将軍ガロア様をたぶらかし、人間と魔族の区別なく精神をトロトロに溶かしてきた極悪非道の魔導特区……今日こそ、我が手でその中枢を木端微塵に粉砕し、洗脳された仲間たちを解放してやるのだ!」


その後ろには、人間の王国の騎士崩れの残党たちと、新魔王軍の若き過激派兵士たちが入り混じった、総勢1万名におよぶ「人類・魔族合同討伐軍」が続いていた。

本来ならば、数百年間にわたって殺し合いを続けてきた宿敵同士である。しかし、いま彼らの胸にあるのは「あの村の恐ろしい精神汚染の邪法から、大切な仲間を取り戻す」という、奇妙すぎる共通の使命感と、これから始まる死闘への極限の緊張感だった。


兵士たちはそれぞれに剣を抜き、槍を構え、呪術師たちはいつでも強力な迎撃魔法を発動できるように手元の魔導書を強く握りしめていた。

「いよいよだな……! モニタや伝令の鳥すら帰ってこなかった、あの恐ろしい魔の要塞に突入するぞ……!」

「気を抜くな! 相手はどんなおぞましい精神破壊のトラップを仕掛けているか分からん! 決して気を緩めるなよ!」


1万の軍勢が発する殺気と闘気は、周囲の木々の葉を震わせ、野鳥を一羽残らず飛び立たせるほどの凄まじいものだった。

誰もが、血を流す覚悟を決め、息を詰まらせながら、村の入り口へと急接近していた。


――その時である。


先頭集団の最前線にいたレイガーの鼻腔に、ふわりと、あまりにも不自然な、そしてあまりにも強烈な「別の意味で破壊的な空気」が届いた。


「……ん?」


レイガーは馬のたぐみを急に引き絞り、怪訝そうに鼻をピクピクと動かした。

後ろを走っていたバザルトも、馬上でピタリと動きを止め、鼻を鳴らした。


「なんだ……? この匂いは……」


それは、殺伐とした戦場や、血と鉄の臭いが充満するはずの最前線には、絶対に存在してはならない種類の匂いだった。


ジューーーッ……と、熱せられた鉄板の上で何かが香ばしく脂を弾かせる音。

そして、じっくりと炭火の遠赤外線で炙られた鶏肉の脂がポタリと落ち、甘辛い特製の秘伝ダレが焦げたときに立ち上る、暴力的なまでの香ばしい芳香。


さらにその直後、風向きが変わった瞬間に、別の方向からさらに強烈な刺客がやってきた。


「こ、これは……ッ!!」


今度は、豚骨と鶏ガラを丸一日かけて強火で炊き出し、旨味とコラーゲンを極限まで抽出し尽くした、濃厚でクリーミーな豚骨ラーメンのスープが放つ、濃厚無比な旨味の香りである。

その少し先からは、極上の発酵バターをたっぷり乗せた焼きイモの甘い蜜の匂いや、キンキンに冷えた生ビールのサーバーから漂う爽快な麦の香りが、まるで連合軍の鼻先を優しく、しかし強制的に引っ張るかのように、次から次へと流れてきたのだった。


「なっ……なんだこの匂いは……!?」

バザルトは全身の重装甲をガチャリと鳴らし、目を見開いた。

「肉を焼く匂いだと……? いや、それもただの肉ではない! この複雑怪奇で、かつ胃袋を直接殴りつけてくるような香ばしいアロマは……一体何なのだ……っ!」


後ろに続いていた1万の兵士たちも、ガヤガヤとざわめき始めた。

「おい、聞いてた話と違うぞ……? なんか、めちゃくちゃ美味そうな匂いがしないか……?」

「馬鹿野郎! 気が散るな! あれはきっと、人間の精神を狂わせ、幻覚を見せるための『悪魔の食欲増進呪術』に違いねぇ! 匂いに釣られたら脳みそを奪われるぞ!」


兵士たちはそう必死に自分にと言い聞かせ、お互いに肩を叩き合って警戒レベルをMAXに引き上げた。

しかし、人間の(そして魔族の)生理現象というものは、どれほど強い精神力や被害妄想のバリアを張っていえども、極限の空腹状態の前にはあまりにも無力だった。


ゴオオオオォォォ……ッ!!


なんと、最前線に立っていた新魔王軍の精鋭魔族兵の腹から、周囲の緊張感を完全に粉砕するような、盛大すぎる「腹の虫の鳴き声」が響き渡った。


「…………」


周囲の兵士たちが、その音の主をジロリと睨みつけた。

その兵士は顔を真っ赤に染め、「い、いや! 違うぞ! わたしは精神攻撃に耐えてみせる訓練中だ!」と慌てて弁解したが、その直後、今度は隣にいた王国の騎士団のベテラン兵士の胃袋からも「キュルルルルルルル……ッ!!」と、それに負けじと劣らぬ重低音が轟いた。


長旅の疲労と、ろくな野戦食にありつけず乾燥した干し肉ばかりをかじってきた1万の兵士たちの胃袋は、この暴力的なまでのグルメの香りを嗅いだ瞬間、すでに脳の司令を無視して「今すぐあの匂いの元へ走れ!」と絶叫し始めていたのだ。


「しっかりしろ! 我々の目的は『洗脳特区の破壊』と『仲間の奪還』だ! 敵の罠に惑わされるな!」

レイガーは冷や汗をダラダラと流しながら、震える声で全軍を鼓舞した。


しかし、そのレイガー自身の胃袋もまた、さっきから「キュウウウ……」と情けない音を立てていたのだった。


馬を進め、ついに連合軍の先頭部隊が、村の入り口にそびえ立つ巨大なヒノキの歓迎ゲートの目の前へとたどり着いた。


そこにあったのは、おぞましい魔導陣でも、凶悪な迎撃要塞でもなかった。

そこにあったのは、綺麗に舗装された広場の真ん中にずらりと並ぶ、活気あふれる「極楽の屋台街」の光景だった。


赤々と燃える炭火の前で、新魔王軍の最強武闘派将軍であるはずのガロアが特製のハッピを纏い、「いらっしゃい! 焼き鳥は塩にするかタレにするか!」と満面の笑みでウチワをパタパタと仰いでいる。

その横では、伝説の暗殺者だったはずのブラッドが白いコックコートを着て、巨大な寸胴鍋から極上の豚骨スープを芸術的な手際でどんぶりへと注ぎ分けている。


さらに、その特設ゲートのすぐ脇のインフィニティチェアには、この村の首謀者であるはずのレオンが、ほうじ茶の湯呑みを片手に「お、やっと着いたか。お疲れさん」と、まるで近所の公園に散歩しに来たかのような気だるげな顔で座っていた。


「なっ……なんだと……!?」


レイガーとバザルトは、目の前で展開されている余りにもシュールで、余りにも平和すぎる光景に、乗っていた馬からずり落ちそうになりながら、ポカンと口を開けたまま完全にフリーズしてしまったのだった。

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