64 第13章:取り残されたトップたちの愚行
第13章 第4節
北方の山あいにひっそりと佇む、かつての廃村――いまや『温泉こたつ庵』として全宇宙の怠惰と極楽の頂点を極めているその場所では、今日も今日とて完璧なまでの平和が満ち足りていた。
広間に設えられた特大のこたつには、レオン、ルシア、大賢者、元聖女マリア、そして元・裏社会最強の暗殺者ブラッドがすっぽりと足を突っ込み、絶品の「鴨南蛮うどん」を啜り終えたばかりのまったりとした余韻に浸っていた。
「ふぁぁぁ……。ブラッド、今日の鴨南蛮の出汁、一段とキレがあったわね。鴨の脂の甘みとネギの香ばしさが、うどんのコシと完璧に絡み合ってて、一口食べた瞬間に脳みそがトロけたわ」
ルシアは満足げに小さくお腹をポンポンと叩きながら、お茶をすすった。
「お褒めに預かり光栄です、ルシア様。本日は冷え込みが厳しくなる予報でしたので、少しだけ生姜の絞り汁を隠し味に効かせてみました」
ブラッドが涼やかな笑みを浮かべてお盆を片付ける。
その横で、マリアはすっかり板についた手つきで、デザート用のミカンの薄皮を神業的な精度でスルスルと剥きながら、大賢者へと差し出していた。
ファミリーや仲間という枠組みを超えて、もはや一つの「完全に完成された怠惰の共同体」と化したこの村に、外の世界の喧騒など一滴も流れ込んでくるはずがなかった――この瞬間までは。
その時である。
村の入り口、つまり薪割り場でいつものように「パカーン!」と気持よく丸太を両断していた新魔王軍最強の武闘派将軍・ガロアの手が、ピタリと止まった。
ガロアはサウナハットの下の鋭い目を細め、村へと続く一本道の遠方をじっと見据えた。
大地が、かすかに、しかし確実にゴゴゴゴ……と嫌な振動を立てて揺れている。さらに、地平線の彼方から、砂埃を巻き上げながら地鳴りのような大軍の足音が近づいてきているのが聞こえてきた。
「……ん?」
ガロアは斧を肩に担ぎ、鼻をピクピクと動かした。
「おいおい、なんだあの大騒ぎは……? 朝の薪割りタイムの邪魔をする不届き者がいるのか?」
ガロアが訝しげに目を凝らすと、その砂埃の中から、おびただしい数の旗印が見えてきた。
片や、かつての王国の騎士たちの残党や息巻く人間たち。片や、新魔王軍の過激派リーダーたちを引き連れた若き魔族の精鋭部隊。
つまり、先ほど荒野の軍議テントで意気投合し、人類と魔族の奇跡の(そして壮絶な勘違いに基づく)合同討伐軍を結成した、総勢「1万名」の大軍団であった。
「――た、大変だぁーーっ!!」
村の偵察を兼ねて周辺を散歩していた村の住民の一人が、青い顔をして走ってきた。
「ガロアさん! 村の入り口に、なんかすごい大軍が押し寄せてきてます! 人間と魔族が手を取り合って……総勢1万人の連合軍が、『洗脳の巣窟を叩き潰せ! 仲間を奪還するぞ!』って叫びながら、こっちに向かって突撃してきてますぅっ!!」
その報告が、古民家の広間にまでバッチリと響き渡った。
「…………は?」
こたつの中でくつろいでいたルシアが、持っていた湯呑みを止めて、ぽかんと口を開けた。
「いま……なんて言った? 連合軍が1万? 人間と魔族が手を取り合って……?」
「ええと……。『人類・魔族合同討伐軍、総勢1万名、ただいま村へ向けて進軍中!』とのことです……!」
広間にいた全員の動きが、一瞬にして凍りついた。
大賢者が麻雀牌を落とし、マリアが剥いていたミカンを床に落としそうになり、ブラッドがお盆をギュッと握り締めた。
静まり返った広間に、遠くから「うおおおおおーーーっ! 洗脳基地を灰燼に帰せーーっ!」というむさ苦しい大歓声が、地響きとともに微かに聞こえてきた。
しばらくの沈黙の後、レオンは持っていたほうじ茶の湯呑みをコトンと机に置き、深いため息をついた。
「……はぁ。せっかくの休日なのに……邪魔だなあ」
そのレオンの呟きは、怒りでも焦りでもなく、ただ純粋に「休日に突然、面倒くさい訪問者がやってきたときのガチで嫌そうな顔」そのものだった。
「ほんとよねぇ!」
ルシアが不満そうにぷくっと頬を膨らませ、こたつの布団をバサッと少しだけめくった。
「こっちはさ、鴨南蛮うどんを食べて、これからまったりお昼寝タイムに入ろうかっていう最高の時間帯なのにさ何なのよ! 連合軍が1万だって? 暇なのあいつら! 仕事しなさいよ仕事!」
「いや、魔王軍の過激派と王国の残党が手を組んだとなれば、向こうの脳内では完全に『我が軍の最高将軍を奪還するための正義の進軍』のつもりなのでしょうが……迷惑極まりない話ですな」
大賢者は白い髭をピクピクとさせ、呆れ果てたように首を横に振った。
「ちょっと待って……! 連合軍の中に、もしかして私の昔の知り合いとか……あのバカな剣聖レイガーとかも混ざってるわけ!?」
マリアが青ざめた顔で立ち上がろうとしたが、下半身はこたつの魔力によって完全にトロンと骨抜きにされているため、足がもつれて見事にこたつの中でバタンと倒れ込んだ。
「あうっ……! 体が動かない……! こたつの魔力が私を離してくれない……! でも、あんな大軍が攻めてきたら、せっかくのみかんライフが台無しじゃない!」
「まあまあ、マリア落ち着きなって」
レオンは面倒くさそうに頭をポリポリとかきながら、のろのろとこたつから這い出した。
「向こうが勝手に『洗脳の巣窟だ! 仲間を奪還しろ!』って勘違いして盛り上がってるだけなんだからさ。放っておけば勝手に自滅するか、途中でサウナの香りに誘われて勝手に入ってきた挙句に骨抜きになるかのどっちかだと思うけどね」
「いや、レオン殿。そうは言っても総勢1万の兵士が押し寄せてきているのです。村の畑や、ブラッドが仕込んでいる乾燥中の薪が荒らされては一大事ですぞ」
縁側の近くで、ガロアが斧を片手に苦笑いを浮かべながら言った。
「そうだねぇ……。せっかく今日、ブラッドが午後に新しい『特製プリン』を仕込む予定だったのに、外でそんなドンパチやられたら落ち着いてデザートも食べられないか」
レオンはやれやれといったふうに肩をすくめ、伸びをした。
「で、どうするのよレオン? あいつらを追い返す? それとも、全員まとめてこのこたつにぶち込んで、強制的にミカンでも剥かせる?」
ルシアが悪戯っぽい笑みを浮かべて提案した。
「うーん……」
レオンは少し考え込んだ後、ふっと穏やかな、しかしどこか面倒くさがりな笑みを浮かべた。
「とりあえずさ、迎撃の準備とか大げさなことはしなくていいよ。どうせあいつら、お腹を空かせて、長旅のせいでヘトヘトになってやってくるんだろ? なら、いつも通り『サウナと、焼きイモと、あたたかいお茶』の準備でもしておいて、来たやつから順に『いらっしゃいませ、まずはそこの水風呂で頭を冷やしてきなさい』って迎え撃とうか」
「ほう……! 洗脳軍団に対して、まさかの『おもてなし攻撃』とはな!」
大賢者は愉快そうに声を上げて笑った。
「素晴らしい! 怒り狂って突撃してきた男たちが、キンキンに冷えた水風呂と特性ドリンクの前にひれ伏す姿を想像するだけで、学術的な見世物として最高のエンターテインメントになるぞい!」
「決まりね! じゃあ私は、来たるべき大量の客人のために、ミカンの皮を剥く特訓をしておくわ!」
マリアもすっかりやる気を取り戻し(方向性は相変わらずズレているが)、気合を入れてミカンの山に向き直った。
村の遠方から迫り来る、人類と魔族の合同討伐軍1万名。
世界を揺るがす一大決戦(という名の盛大な勘違いお祭り騒ぎ)が幕を開けようとしているというのに、当の本人たちは「午後のデザートのプリンを美味しく食べるために、どうやって客をスムーズにサウナへ誘導するか」という、あまりにも平和すぎる作戦会議に移行していたのだった。
はたして、意気軒昂に「洗脳特区の破壊」を誓うレイガーやバザルトたちの運命は――?
そして、レオンたちの作り上げた「だらだら特区」は、1万の大軍を前にしてどうなってしまうのか。物語は、最もシュールで最も平和な最高潮へと突入していく。




