63 第13章:取り残されたトップたちの愚行
第13章 第3節
北方の山あいにひっそりと佇む、かつての廃村――いまや『温泉こたつ庵』として全宇宙の怠惰と極楽の頂点を極めているその場所では、今日も今日とて大賢者が麻雀牌をかき混ぜ、聖女マリアが神業的な手つきでミカンのスジを綺麗に剥き取り、元魔王ルシアが「あ、そこ私のドラね」とのんびりお茶を啜っていた。
その平和の極みのような空間から遠く離れた、人間界と魔界の境界付近に位置する中立の荒野。
そこでは、世界の歴史の教科書が全ページひっくり返るような、かつて誰も想像すらしたことのない「世紀の超特大勘違い」が、いま現実のものとなろうとしていた。
轟々と吹き抜ける荒野の風の中、向かい合って立つ二つの軍勢があった。
片や、王国の聖堂で絶望に打ちひしがれていたはずの元・剣聖レイガー率いる、わずかに残された人間の精鋭(という名の必死の逃亡・決死隊崩れ)たち。
片や、魔界の深部から怒りのままに進軍してきた、新魔王軍の過激派クーデターリーダー・バザルトと呪術師グレイ率いる若き魔族の精鋭部隊。
本来であれば、人類と魔族は数百年続く不磨の大敵であり、見れば問答無用で殺し合いを演じるはずの宿敵同士である。
しかし、いま、その二つの陣営の最前線に立つレイガーとバザルトの顔には、殺意ではなく、お互いに対する「同じ恐怖と被害妄想を共有する者同士の奇妙な連帯感」が浮かんでいた。
「……待て。そっちは、人間王国の騎士ではないか?」
バザルトが巨大な魔導大剣を肩に担ぎ、ギラギラとした目を向けた。
レイガーは、目の前にそびえ立つ屈強な魔族の軍勢を見て、冷や汗をダラダラと流しながらも、一歩も引くまいと震える声を張り上げた。
「そうだ……! 俺は王国の元・剣聖レイガーだ! お前たち魔族が、なぜこのような国境の荒野に大軍を率いて集結している……! まさか、人間界総攻撃のつもりか……っ!」
「ふん、人間風情が生意気な口を利くな!」
バザルトは鼻を鳴らしつつも、どこか切羽詰まった表情でこう言い放った。
「我々の目的は人間界の侵略などではない! 我が軍の最高将軍であるガロア様を拉致し、新魔王軍の秩序を狂わせた『北方の謎の農村』を叩き潰すことだ!」
「なっ……!?」
レイガーは目を見開き、信じられないものを見るような顔をした。
「お前たちも……あの村を狙っているのか……!?」
「なんだと? そちらもあの村が目当てなのか?」
バザルトが怪訝そうに眉をひそめると、レイガーはガクガクと震えながら一歩前に出た。
「そうだ……! あの村には、我が国の最高知性である大賢者様と、聖女マリアが囚われている! あそこにいるのはただの村人ではない! 人間の脳をトロトロに溶かし、気味の悪い笑顔の傀儡に変えてしまう『最凶最悪の洗脳の巣窟』なのだ……っ!」
そのレイガーの言葉を聞いた瞬間、バザルトとグレイは目を見張り、激しく膝を打ち鳴らした。
「な、なんだって……!? 洗脳の巣窟だと……!?」
「間違いない……! 我が軍のガロア様も、あの村に足を踏み入れた途端、正気を失って毎日満面の笑みで薪を割るだけのマリオネットにされてしまったのだ……! あの村にいる連中は、人間も魔族も関係なくすべての知性を破壊する『精神汚染の極悪人ども』に違いない……ッ!」
人間界の元・剣聖と、魔界のクーデターリーダー。
お互いに勝手に膨らませた「北方の農村は世界を滅ぼす洗脳基地である」という被害妄想のシナリオが、この瞬間、完璧に、そして奇跡的に一致してしまったのである。
「バカな……人間と魔族が、同じ村の被害者だったなんて……」
グレイが青ざめた顔で頭を抱えた。
「相手は人間も魔族も区別なく骨抜きにする『共通の敵』だというのか……!」
レイガーは唇を噛み締め、血走った目でバザルトを見据えた。
「おい、魔族のリーダー。今の我々はお互いに、あの村に大切な仲間を奪われ、洗脳されている。……もし、お前たちが本気であの村を潰すつもりなら……」
バザルトはレイガーの言いたいことを察知し、不敵に、そして狂気的な笑みを浮かべた。
「ふっ……面白い。人類と魔族が手を取り合い、共通の敵を討つか。歴史上かつてない『人類・魔族連合軍』の結成というわけだな!」
こうして、お互いの勝手な勘違いと、北方の村に対する恐怖の被害妄想を燃料にして、前代未聞の「人類と魔族の合同討伐(奪還)軍」が、あろうことか結成されてしまったのだった。
その日の午後、魔界と人間界の国境付近にある開けた軍議テントの中。
そこでは、かつて殺し合うはずだった人間と魔族の幹部たちが、真剣な顔つきで巨大な地図を囲み、作戦会議を繰り広げていた。
「いいか、作戦の概要を説明する!」
バザルトが地図の上にピンを立てながら、熱っぽく語り始めた。
「我が魔族軍の精鋭部隊が正面から突撃し、敵の『精神破壊・全戦意消失ガス(あるいは謎のサウナ魔導具)』の結界を肉弾戦で突破する! その隙に、人間の精鋭……いや、元・剣聖レイガー率いる決死隊が側面から迂回し、洗脳されている大賢者と聖女マリア、そして我が軍のガロア様を強力な縛り縄で拘束し、強制的に連れ出すのだ!」
「待ってくれ」レイガーが冷や汗をかきながら手を挙げた。
「正面突破なんてしたら、一瞬でこっちの脳みそがトロトロに溶かされて、全員であの村の農作業を手伝わされるハメになるぞ! もっと安全な遠隔からの奇襲や、聖なる結界を三重に張った状態での突入にするべきだ!」
「弱気なことを言うなレイガー! 相手はあのガロア様を骨抜きにした化け物だぞ! 生半可な奇襲など通用せん! 全軍で一斉に突撃し、あの『洗脳の巣窟』の古民家ごと木端微塵に破壊し尽くすのだ!」
「いやいやいや、ちょっと待て! 古民家ごと破壊したら、中にいるマリアや大賢者様まで巻き添えになるだろうが!」
「細かい犠牲を気にするな! 目的のためには手段を選ばん! それに、あの村の首謀者である『謎の男』と『前魔王ルシア』を捕らえ、その洗脳の源泉を断ち切れば、全員正気に戻るはずだ!」
人間の絶望と保身が生んだ「責任転嫁の討伐計画」と、魔界の若者たちの「プライドと勘違いが生んだ総攻撃計画」が混ざり合い、作戦会議はどんどんおかしな方向へと暴走していった。
誰一人として、その村にいるのが「ただサウナに入ってミカンを食べているだけの、殺る気ゼロのノンビリした面々」であることなど疑いもしなかった。彼らの脳内では、北方の廃村はすでに「世界を我が物にしようとする闇の魔導帝国」に脳内変換されていたのである。
「よし……! 作戦名は『オペレーション・スノードロップ(洗脳特区壊滅および仲間奪還作戦)』とする!」
バザルトが力強く拳を握りしめた。
「全軍、明日の夜明けとともに北方の廃村へ向けて進軍を開始する! 覚悟しろ、レオン、そしてルシア! 我々の怒りと誇りの鉄槌を受け、その洗脳城を灰燼に帰してやるわーーっ!!」
「おう……! 我々の誇りを取り戻すぞ……!」
レイガーも引きつった笑みを浮かべながら、それに同調せざるを得なかった。
人間の落ちぶれた元英雄たちと、魔界の勘違いに燃える若き過激派たちが手を組み、いまや「史上最悪の勘違い連合軍」として、北方の平和な『温泉こたつ庵』へと照準を合わせたのだった。
世界がどれほど騒がしく、人類と魔族の連合軍が謎の討伐に向けて牙を研いでいることなど、こたつのなかで「鴨南蛮うどん」をフーフーと冷ましていたレオンたちの耳に届くはずもなかった。
静かな秋の夕暮れ、村には今日も今日とて、薪割りの心地よい音がポコポコと響き渡っているのであった。




