62 第13章:取り残されたトップたちの愚行
第13章 第2節
王国の白亜の聖堂にこもり、すっかり落ちぶれて絶望の淵に沈んでいた元・剣聖レイガーと、魔界の深部にある暗黒城の作戦司令室で怒りに身を焦がしていた新魔王軍のクーデターリーダー・バザルト。
奇しくも、人間界と魔界という異なる世界に生きる二人の「かつての強者(そして現在はすっかり追い詰められた者たち)」は、それぞれ別の場所で、同じような恐怖と憎悪の混じった被害妄想を、異常なまでの熱量で膨らませていた。
まずは、王国の聖堂。
薄暗い部屋の中で、レイガーは手元のガタガタと震える手で、過去の諜報員たちが残した断片的な報告書の束をめくっていた。
「おかしすぎる……。どう考えても、あの村で起きていることはすべて常軌を逸している……!」
レイガーは血走った目をさらに見開き、傍らに怯える斥候の男に向かってまくし立てた。
「聞いてくれ……! 最初は、裏社会最強の暗殺者ブラッドが送り込まれた。だが、彼は音信不通になり、組織に『勝手な退職届』を送ってきたきり消えた! 次に、我が王国の最高脳髄であり、いかなる邪法も看破すると豪語していた大賢者様が派遣された。だが、彼もまた現地に到着するや否や敵の捕虜となり、今では『こたつでボードゲームの研究をする』などと言って帰還を完全拒絶している!」
「う、うん……それは知ってるけど……」斥候の男が引きつった顔で後じさる。
「それだけじゃない!」レイガーはガチャンと机を叩いた。「我がパーティの誇る聖女マリアまでが、大賢者様を連れ戻すと言って単身乗り込んだというのに、そのまま消息を絶ち、今や村の一員として行方不明だ! これはいったい何を意味する!?」
「そ、それは……やっぱり、あの村に恐ろしい精神汚染の邪法が……」
「そうだっ!! 間違いなく、あの村一帯は人間の精神構造を根本から破壊し、自我を完全に奪い去る『最凶最悪の洗脳の巣窟』なのだ……っ!」
レイガーの脳内では、かつて自分たちがパーティから無慈悲に追放した「荷物持ちのレオン」の姿が、いまや世界を支配する狂気の邪悪な魔王のそれに完全にすり替わっていた。
「レオンのやつ……! あの時は何も言わずに追放されてやったふりをしながら、裏では人間の脳をトロトロに溶かし、敵も味方も問わず手下にしてしまう恐ろしいマインドコントロールの禁呪を習得していたに違いない! 暗殺者も、大賢者も、そして聖女であるマリアすらも、あの村の甘い言葉と得体の知れない罠によって完全に洗脳され、奴の奴隷に成り下がってしまったんだ……!」
レイガーにとって、自分たちがレオンに対して行った冷酷な裏切り行為の記憶は、この恐怖の被害妄想によって完全に美化・隠蔽されていた。自分たちが悪かったのではなく、レオンという「怪物」がすべてを狂わせたのだと思い込むことでしか、彼の保身の精神は保てなくなっていたのである。
「恐ろしい……! なんておぞましい邪法だ……! あの村に近づいた者は、誰もが気味の悪い笑顔を浮かべながら理性を失い、二度と元の世界に戻れなくなるというのか……っ!」
時を同じくして、魔界の暗黒城。
こちらの作戦司令室でも、クーデターリーダーのバザルトと呪術師系リーダーのグレイが、冷や汗を流しながら全く同じような、しかし方向性の違う絶望的な被害妄想を繰り広げていた。
「バザルト……! やはり、あの人間界の廃村は……ただの村ではない!」
グレイが震える手で水晶玉のモニタを指さした。そこには、過去にガロア部隊が村へ進軍していった際の、途中で途切れた不鮮明な映像が映し出されていた。
「そうだ……! 我が軍最強の武闘派将軍であり、どんな過酷な訓練にも耐え抜くガロア様が、親衛隊100名を率いて乗り込んだというのに、戦闘の痕跡すら残さず、全員が忽然と姿を消した!」
バザルトは歯をむき出しにして唸った。
「戦闘による全滅ではない……。もし正面から戦って敗北したのなら、魔界には必ずその激しい闘気の残滓や死闘の跡が伝わるはずだ。だが、それがないということは……!」
「ああ……っ! 間違いなく、あれは……!」グレイが青ざめた顔で絶叫した。
「人間どもが開発した、魔族の戦意と脳みそを根本から蒸発させる『極悪非道の精神破壊・全戦意消失ガス』に違いなーーいっ!!」
バザルトとグレイの脳内でもまた、かつて自分たちがクーデターで追放したはずの前魔王ルシアと、そこに寄り添う謎の人間・レオンの存在が、恐るべき「魔界崩壊を企む闇の科学者コンビ」として巨大化していた。
「くそっ……! ガロア様ほどの屈強な精神の持ち主が、あんなチャチな人間の村で一網打尽にされるなどあり得んと思っていたが……相手は我々の想像を遥かに超える『超高度な洗脳特区』を築き上げていたのだ!」
バザルトは巨大な魔導大剣を握りしめ、怒りで全身の装甲を震わせた。
「ガロア様をあんな気味の悪い笑顔を浮かべる傀儡に変え、新魔王軍の誇りを踏みにじったあの人間どもの村……! あそこは、人間と魔族の垣根を越えてすべての知性を狂わせ、だらだらと骨抜きにする『史上最悪の洗脳の巣窟』だ!」
「そうだ! このまま放置すれば、新魔王軍の兵士たちも全員あの村に引きずり込まれ、サウナだの特性ドリンクだのという謎の快楽漬けにされて、我が軍は内部から完全に自壊してしまうだろう……!」
こうして、南方の王都にいる人間たちの代表(元・剣聖レイガー)と、魔界の深部にいる魔族たちの代表(新魔王軍リーダー・バザルト)は、お互いの世界が全く別の思惑で動いていることなど露知らず、奇妙なシンクロニシティを描いていた。
「あの農村は、人間と魔族を狂わせる『洗脳の巣窟』だ……っ!!」
人間の基準から見れば「ただの極上の温泉リゾートとこたつ」、魔界の基準から見ても「ただの極上のサ飯と怠惰ライフ」でしかないはずのその空間が、彼らの勝手な被害妄想と保身のエネルギーによって、いつの間にか「世界を滅ぼす邪悪な魔の拠点」へと完全に脳内変換されてしまっていたのである。
「もう許さない……! 我が手で、あの洗脳の巣窟を木端微塵に破壊し、洗脳された仲間たちを解放してやるのだ……!」
王都で立ち上がったレイガーの目には、狂気的な決意が宿っていた。
「全軍に出撃命令を下せ! 我ら新魔王軍の誇りとガロア様を取り戻すため、あの『洗脳特区』を総攻撃で焼き尽くすぞーーっ!!」
魔界で叫んだバザルトの背後でも、勘違いに燃える若き魔族の精鋭たちが鬨の声を上げていた。
お互いに「相手がすべての元凶の洗脳基地だ」と勘違いし、それぞれ勝手に怒りを爆発させながら、北方の静かな廃村――『温泉こたつ庵』へと向けて、奇跡の「同時進撃」を開始しようとは、この時のレオンたちはもちろん、こたつでミカンを剥いていたマリアも知る由がなかった。




