61 第13章:取り残されたトップたちの愚行
第13章 第1節
北方の名もなき廃村――『温泉こたつ庵』が、こたつ、サウナ、そして無限のミカンと極上グルメによって「全宇宙で最も平和で贅沢な怠惰特区」としての黄金期を謳歌しているその頃。
南方の王都、および魔界の深部では、かつての権威や秩序が音を立てて崩壊し、絶望と混乱のどん底にあえぐ者たちがいた。
まずは、王国の白亜の聖堂の一室。
かつては「世界を救う伝説の勇者パーティ」として栄華を極め、まばゆい光の中に立っていた者たちのなれの果てがそこにあった。
「……また一人、消えたぞ」
低く、乾いた声が静まり返った部屋に響いた。
テーブルの端に項垂れていた斥候役の男が、血走った目で目の前の書類を突き飛ばした。そこに書かれていたのは、パーティの最後の良心であり、前衛を支えていた魔法使いの少女が「こんなところで腐っているのはごめんだ」と言い残して失踪(事実上の夜逃げ)したという報告書だった。
「これで、俺たちはいったい何人になった……?」
そう呟いたのは、かつて誇り高き剣聖として名を馳せていたレイガーだった。
彼のその姿は、かつての眩しい英雄の面影など微塵もない。無精髭は伸び放題になり、高級な装飾の施された鎧はあちこちが錆びつき、手入れされることもなく床に放り出されていた。自慢の聖剣に至っては、もはやただの重い金属の棒と化している。
暗殺者のブラッドが消え、王国の最高知性である大賢者が消え、そして我がパーティの要である聖女マリアまでがあの北方の村へ向かったきり二度と戻ってこなくなった。残されたのは、もはやお互いを疑い、責任を押し付け合うだけの敗残者ふたりきりだった。
「どうするんだよ、レイガー……!」
斥候の男が、半狂乱になってレイガーの胸倉を掴みかかった。
「世間の民衆たちはもう僕たちのことを『追放劇のペテン師』『世界のハードモード化を引き起こした疫病神』って呼んでるんだぞ! 王城の騎士団だって、いつ僕たちを逮捕しにくるか分からない! このままじゃ、野垂れ死ぬか、処刑台行きだ……!」
「放せ……!」
レイガーは乱暴に男の手を振り払ったが、その声には以前のような威圧感や力強さは一切なかった。彼の脳裏に渦巻いていたのは、激しい恐怖と、どうしようもない後悔だった。
すべては、あの日の選択から狂い始めた。
レオンという荷物持ちを「足手まといだ」という勝手な理屈で追放した瞬間から、世界の歯車は音を立てて逆回転を始めた。ダンジョンは牙を剥き、自分たちの実力のなさが露呈し、信頼していた仲間たちは次々と自分を見捨てて、あの北方の村の「魔の手(=極楽の怠惰ライフ)」へと吸い込まれていった。
「レオン……あの男はいったい何者なんだ……っ!」
レイガーは頭を抱え、床を爪が剥がれるほど強く叩きつけた。
「僕たちからすべてを奪い、王国を、そして世界をあざ笑うかのように、あの村で平然と暮らしている……! 許さない……! 許してなるものか……!」
口ではそう叫んでみせるものの、彼の心底では分かっていた。
もう自分たちに、あの村へ乗り込むだけの戦力も、気力も、そして正当性も残されていないということを。パーティは名実ともに完全に崩壊し、彼らは歴史の表舞台から泥水にまみれて滑り落ちていくだけの、哀れな道化と化していたのだ。
時を同じくして、場所は魔界の深部にそびえ立つ、新魔王軍の本拠地――暗黒城の作戦司令室。
こちらもまた、王都の聖堂に負けず劣らずの世紀末的な大混乱の真ん中にあった。
「ふざけるなーーっ!! いったいどうなっているんだ!? ガロア様はどこへ消えたのだーーっ!?」
作戦司令室の中心で、全身に漆黒の重装甲を纏った二人の若き魔族の将官――新魔王軍の過激派クーデターリーダーたちが、机をガチャンと激しく叩きながら、部下の魔族兵たちを怒鳴り散らしていた。
クーデターリーダーのひとりである角の生えた屈強な魔族・バザルトは、顔面を青ざめさせながら、手元の報告書をわなわなと震わせていた。
「我が軍最強の武闘派将軍であり、新魔王軍の精神的支柱であったガロア様が、精鋭の親衛隊100名を率いて『かつての前魔王ルシアを討ち取る』と出陣したきり、一切の連絡が途絶えた……!」
バザルトの隣で、相棒の呪術師系リーダー・グレイも頭を抱えて絶叫した。
「それだけじゃないぞ! ガロア様を探すために派遣した第一陣の偵察部隊も、第二陣の精鋭部隊も、あの北方の人間界の廃村に近づいた瞬間、全員が行方不明になっているのだ! 一体、あの村にはどんな恐ろしい『新魔王軍打倒のための超絶呪術兵器』が隠されているというのだ……!」
新魔王軍の若手幹部たちは、ガロアたちの失踪を「人間界の組織的な陰謀」あるいは「旧魔王派の残党による恐ろしい邪法の罠」だと完全に見誤っていた。
彼らは数ヶ月前、前魔王ルシアを「時代遅れの怠け者」としてクーデターで追放し、自分たちの手で世界を再び恐怖に陥れようと息巻いていた。しかし、いざ蓋を開けてみれば、肝心の最高戦力であるガロアが消息を絶ち、残された若手幹部たちは日々の軍務のプレッシャーと、ガロア不在による求心力の低下に耐えかねて、内部崩壊寸前にまで追い込まれていたのだ。
「このままでは、新魔王軍の威信が丸つぶれだ……!」
バザルトは歯をギリギリと鳴らした。
「我々がガロア様を失い、このままモタモタしていれば、王国軍に足元を見られるだけでなく、軍内部の兵士たちからも見捨てられてしまう! クーデターを起こして新しい魔界を作った意味がなくなってしまうんだ!」
「しかしバザルト、どうする気だ? あの村に近づいた者は、人間であれ魔族であれ、誰もが二度と戻ってこないというぞ……! まさに『魔の巣窟』だ!」
グレイが恐怖に震えながら声を落とした。
「知るか! 引くも地獄、進むも地獄なら……我が手で精鋭の全軍を率いてあの村へ突撃し、そのすべての秘密を暴力で木端微塵に破壊し尽くしてやるわ!」
バザルトは血走った目を剥き、巨大な魔導大剣を床にドスンと突き立てた。
「ガロア様をたぶらかし、新魔王軍の秩序をここまで乱した全ての元凶――人間どもの村に潜む『謎の首謀者』め! 我ら若きクーデターリーダーの怒りの鉄槌を受けてみるがいいわーーっ!!」
王都で絶望に暮れる元・剣聖レイガーと、魔界で勘違いの怒りに燃える新魔王軍のクーデターリーダー・バザルト。
奇しくも、人間の英雄崩れと魔界の若き過激派という「かつての敵同士」が、それぞれの理由でレオンたちのいる北方の村への敵愾心を燃やし、奇妙なシンクロニシティを描きながら、静かに、そして強烈なフラグを立てまくりながら動き出そうとしていた。
もちろん、そんな彼らの熱い復讐心や勘違いの焦燥など、北方の『温泉こたつ庵』で今日も今日とてサウナとミカンに興じるレオンたちの耳に届くはずもなかった。
平和なだらだら特区の向こう側で、世界は勝手に、そして盛大に空回りの嵐を巻き起こそうとしていたのである。




