59 第12章:全員まとめてだらだら地獄(極楽)
第12章 第4節
王国の中枢、白亜の城内にそびえ立つ壮麗な聖堂の一室。
そこは本来、世界を救うべき英雄たちが作戦を練り、神聖な祈りを捧げるための厳粛な空間であるはずだった。しかし、今のその部屋に満ちていたのは、厳かさのかけらもない、底知れぬ沈黙と、ジワジワと広がる絶望的なまでの冷気だけであった。
長机の真ん中には、冷めきった紅茶の入ったカップがポツンと置かれている。
その周囲には、かつて世界中から賞賛され、数々の難敵を打ち破ってきたはずの「元勇者パーティ」の残されたメンバーたちが、まるで抜け殻のように椅子にもたれかかっていた。
「……で、まだ連絡はないのか?」
重い沈黙を破ったのは、かつて誇り高き剣聖として名を馳せていたレイガーの、かすれた声だった。
彼の顔には、数日間にわたる不眠不休の焦燥と恐怖から、深い隈が刻まれている。自慢の聖剣は手入れされることもなく、部屋の隅に無造作に立てかけられたままホコリをかぶり始めていた。
長机の反対側に座っていた斥候役の男が、青ざめた顔でブルブルと首を横に振った。
「だ、ダメです……! マリア様が『大賢者様を連れ戻し、村の邪法の正体を暴く』と言って単身であの北方の村へ出発されてから、すでに数日以上が経過しているのですが……伝令の鳥も、魔導通信も、一切の応答がありません……!」
「なっ……! またしても……!?」
別の仲間が、絶望に満ちた声を上げて頭を抱えた。
「暗殺者のブラッドが消え、最強の武闘派将軍だったガロアが消え、王国の最高知性である大賢者が消え……そして今度は、我がパーティの要である聖女マリアまでが、あの村に入ったきり忽然と姿を消したというのか……っ!?」
「消えたわけじゃない……!」
レイガーは血走った目を剥き、ガチャンと勢いよく椅子から立ち上がった。
「マリアは! あのマリアはな、王国が誇る最強の聖女だぞ! 女神の加護を受け、邪悪な呪術や精神汚染を浄化の光で一網打尽にするはずの彼女が、まさか一人で返り討ちにあうなど……そんなことがあってたまるか……!」
「じゃあ、どうして連絡がこないんだよ!」
斥候の男が、恐怖に耐え切れずヒステリックに怒鳴り返した。
「お前もわかってるはずだろ!? レオンをあの村に追放したあの日から、この世界のすべてがおかしくなっているんだ! ダンジョンはどこも規格外の難易度になって全滅者が続出してるし、世間の民衆たちは『あれは勇者パーティの身勝手な天罰だ』って陰口を叩き始めてる! このままじゃ、僕たちの名声どころか、命すら危ないんだぞ……っ!」
「うるさいっ……! レオンの奴め……一体あの村でどんな悪魔の邪法を使っているというのだ……!」
レイガーは拳を固く握りしめ、歯ぎしりを鳴らした。
しかし、その怒りの奥底にあるのは、強烈なまでの恐怖だった。自分たちが「足手まといだ」「もうお前の力はいらない」と冷たく見捨て、ろくな食料も与えずに追い出したはずの男が、いまや王国軍をも、魔王軍をも、そしてかつての仲間たちをも次々と無力化し、自分たちの足元を根底から揺るがしている。
「おい、こうなったら……」
斥候の男が、おそるおそる、しかし決定的な提案を口にした。
「もう一度、残った僕たちで、あの村へ討伐隊を組んで乗り込むしかないんじゃないか……? マリアを連れ戻し、レオンを叩きのめして、すべての元凶を断ち切るんだ……!」
その言葉を聞いた瞬間、部屋にいた他のメンバーたちの動きがピタリと止まった。
誰もが顔を見合わせ、そして――誰一人として、立ち上がろうとはしなかった。
「……討伐隊、だと?」
別の仲間が、冷ややかな、しかし現実的な笑みを浮かべた。
「お前、正気か? 相手は暗殺者も、ガロアの重装甲親衛隊100名も、あの頑固な大賢者も、そして聖女マリアすらも一発で沈黙させた怪物だぞ。そんなところに、今のボロボロになった僕たちが突撃して、何ができるっていうんだ……? 犬死にするだけだろ……!」
「だ、だが、このまま何もしなければ、私たちは王国の責任追及で処刑されるか、世間の笑いものになって路頭に迷うぞ……!」
「どっち道、あの村に近づいたら二度と戻ってこられないんだ! だったら、ここから一歩も動かないほうがまだマシだ……!」
議論は平行線をたどった末、最後にはただの言い争いと、お互いを責め立てる醜い泥仕合へと発展した。
かつては「世界を救う伝説の勇者パーティ」として、まばゆい光の中に立ち、民衆の歓声を浴びていた彼らの姿は、いまや見る影もない。お互いの足音や、世間の目を怯えながら、ただ暗い部屋の隅で縮こまっているだけの、崩壊寸前の集団に成り下がっていた。
そして、その口論の最中――。
「……もう、やめにしてよ、そんな言い合い」
部屋の隅で、ずっと膝を抱えてうつむいていた一人のメンバーが、小さく、しかし冷めきった声で呟いた。
それは、かつてパーティの魔法使いとして前衛を支えていた少女だった。彼女は血の気のない顔で、手元の魔導書をパタリと閉じた。
「私、もう限界だわ」
「……え?」
レイガーが呆然と振り返る。
「パーティなんて、もうととっくに機能してないじゃない。レオンを追放したあの日の夜から、私たちの旅は終わっていたのよ。……聖女までいなくなった今、私たちに残されているのは、ただ過去の栄光にしがみついてお互いを傷つけ合う醜い時間だけだわ」
少女は静かに立ち上がり、自分の荷物をまとめて部屋の出口へと歩き出した。
「私、こんなところで腐っていくのはごめんだわ。今日限りで、このパーティを抜かせてもらうから」
「おい! 待てよ! お前まで抜けるというのか!? パーティはどうなるんだよ!」
レイガーが慌てて声を荒らげるが、少女は振り返りもしなかった。
「勝手にすればいいわ。……あ、そうそう、世間では『あの村に行けば、どんな人間でも嫌なことを全部忘れて、美味しいご飯と温泉で極楽の暮らしができるらしいよ』って噂が、もうこっそり広がり始めているわよ」
ガチャリ、と重い木の扉が閉まり、静寂が再び部屋を支配した。
「…………」
誰も、追いかけようとはしなかった。
追いかける気力も、勇気も、もはや彼らの中には一塵も残っていなかった。
暗殺者は消え、魔王軍の最強部隊はサウナに就職し、王国の最高知性は麻雀に明け暮れ、そして聖女マリアは「みかんを剥く係」として永遠のこたつ生活の虜になった。
そしていま、そのすべての元凶となった本家本元の「元勇者パーティ」すらも、メンバーの離脱と絶望によって、内部から音を立てて完全に崩壊し、その機能を完全に停止したのだった。
世界がどれほど混乱し、王都の聖堂でかつての仲間たちが泥沼の絶望に沈んでいることなど、北方の静かな廃村――『温泉こたつ庵』の縁側にいるレオンたちにとって、知ったことではなかった。
「ん、じゃあ東風戦のオーラス行くよー。レオン、そこ、ドラの牌見えてるよ」
「あ、ほんとだ! 危ない危ない、これであがられたら一巻の終わりだったわね!」
「ほれ、剥きたてのみかんじゃ。口を開けい、大賢者様」
「むぐっ……甘い! 相変わらず完璧なスジの取り方じゃい!」
外の冷たい秋風を完全にシャットアウトしたポカポカのこたつのなかで、元勇者、元魔王、元武闘派将軍、元大賢者、そして元聖女という、世界の理をねじ曲げた最強の「だらだらメンバー」たちは、今日も最高にくだらないおしゃべりと美味しいおやつを囲みながら、世界で一番平和で幸せな時間を過ごし続けるのであった。




