57 第12章:全員まとめてだらだら地獄(極楽)
第12章 第2節
王国から単身、決死の覚悟を胸に北方へと旅立ち、魔の廃村へとたどり着いた元勇者パーティの聖女マリア。
彼女は当初、この村を「恐ろしい邪法が渦巻く悪の巣窟」「洗脳された大賢者が囚われている闇の要塞」だと固く信じ込み、聖杖を握りしめて震えていた。
しかし、蓋を開けてみれば、新魔王軍最強の武闘派将軍だったガロアは満面の笑みで薪を割り、王国の最高知性である大賢者はこたつに入って自動麻雀卓風ボードゲームとポテチに熱中し、すっかり骨抜きにされていた。そしてトドメとばかりに、元魔王ルシアから差し出された「神級焼きイモ」に発酵バターをぽとりと落とした禁断の背徳スイーツの前に、彼女の理性は音を立てて崩壊し、頬にイモの欠片をつけたまま美味しいと絶叫する事態になっていた。
すっかり戦意を喪失し、気づけばレオンたちのいる古民家の縁側――その特等席であるこたつのなかに、マリアはすっぽりと上半身(というか下半身も)を預けていた。足元からは、レオンのパッシブスキル『最高環境創出』の魔力によって完璧に調整されたポカポカとした理想的な暖気がじんわりと全身を巡り、外の冷え切った秋の空気が嘘のような極楽浄土の空間を作り出している。
これこそが、魔界の強者も王国の最高知性も、そして聖女のプライドすらも一網打尽にしてきた、人類史上最強にして最悪の魔導具――「こたつ」の魔力であった。
マリアはこたつの布団を胸元まで引き上げ、うっとりと目を細めながら、日々の過酷なプレッシャーと重責に押し潰されかけていた自身の本音をポツポツと吐き出した。
「毎日毎日、完璧な聖女を演じ続けるのが、どれほど怖くて、どれほど孤独だったか、あなたたちには分からないでしょう……?」
その告白は、彼女がこれまで頑なに隠し続けてきた、誰にも言えない心の澱そのものだった。世界のハードモード化という理不尽な重圧と、かつての追放劇の隠蔽、そして「聖女でい続けなければならない」という強迫観念が、彼女の精神を少しずつ、しかし確実に摩耗させていたのだ。
静まり返った縁側に、遠くから薪割りの「パカーン」という乾いた音が、心地よいリズムで響いていた。
誰もが言葉を失っていた。かつてレオンをパーティから追いだし、「あなたのような足手まといはもう必要ないのよ」と冷たく言い放った張本人であるマリアが、いまやその追放者の作ったこたつにすっぽり入り込み、ボロボロと本音をこぼして泣いている。因果応報といえばそれまでだが、その姿はあまりにも人間臭く、哀愁に満ちていた。
ルシアは持っていたみかんをそっと置き、少しだけ複雑そうな、しかしどこか憐れむような目でマリアを見つめた。大賢者も、鼻をフンと鳴らし、眼鏡の位置を直しながら「組織の看板や世間の目を気にして生きるなど、研究者にとって最大の時間の無駄というものだ」とぶっきらぼうに核心を突いた。
そんな中、レオンは急かすことも責め立てることもせず、ただ静かに、自分の湯呑みからお茶をもう一口すすると、こたつの端を優しくポンと叩いた。
「まあ、そう肩肘張るなってことさ」
「レオン……」
「俺だって、昔は勇者パーティの荷物持ちとして毎日こき使われてさ。魔王を倒すためだ、世界を救うためだって言われて、自分の時間も休む暇もほとんどなくて、ある日突然『お前はもう役立たずだからいらない』って追放されたんだからね」
レオンは苦笑いを浮かべ、どこか遠い目をしながら続けた。
「当時はそりゃあムカついたし、絶望もしたさ。でもさ、こうして村に出てきて、自分でサウナを作って、こたつに入って、美味しいご飯を食べてみたら気づいたんだよ。……人間,、無理して世界を救う必要なんかないし、誰かに認められなきゃ生きられないわけでもないってね」
レオンのその言葉は、不思議なほどの説得力と温かさを持って、マリアの胸の奥底にスルスルと染み込んでいった。
「世界がハードモードになろうが、王国の偉い人たちが怒鳴り散らそうが、今のあんたに関係あるかい? 王城に戻ってまた窮屈なドレスを着て、偽りの笑顔を振りまく生活に戻りたいか?」
「……も、戻りたくない……!」
マリアはこたつの布団に顔をうずめたまま、か細い、しかしはっきとした声で首を横に振った。
「あんな息の詰まる場所……もう二度と戻りたくない……! 毎日プレッシャーに怯えながら生きるくらいなら、ここでずっと、美味しい焼きイモを食べながらこたつに入っていたい……っ!」
そのマリアの必死で、しかしどこか甘えたような返答を聞き、レオンはふっと悪戯っぽく、しかし底抜けに優しい笑みを浮かべた。
そして、彼女の耳元へと顔を近づけると、まるで悪魔のような、しかし世界で一番甘い囁きを落としたのだった。
「――嫌なら辞めれば? ここならみかん食ってるだけで誰も怒らないよ」
「…………は?」
マリアはピクリと肩を震わせ、こたつの布団からおそるおそる顔を上げただ。
その綺麗な青い瞳が、信じられないものを見るようにパチパチと瞬く。
「や、辞めるって……何を……?」
「決まってるだろ。王国の聖女って職業さ」
レオンは涼しい顔で肩をすくめた。
「そんなに毎日怒られて、プレッシャーに押しつぶされて、自分の人生をすり減らしてるくらいなら、いっそ全部放り出しちまえよ。王国がどうなろう知ったこっちゃないし、魔王軍が勝手に自爆して自壊していくならなおさら平和なもんだ。ここには、あんたを『聖女』として縛り付けるやつなんて一人もいない。いるのは、サウナに入って、美味しいご飯を食べて、だらだら麻雀やってる連中だけだ」
レオンのその言葉は、マリアにとってあまりにも衝撃的だった。
彼女が生まれてからずっと教え込まれ、背負い続け、一歩でも外せば不敬だ、罰当たりだと責め立てられてきた「聖女としての義務」を、あまりにも軽やかに、あまりにも自然に「嫌なら辞めればいい」と言ってのけたからだ。
「そんな……そんなことできるわけ……! 聖女を辞めたら、私、いったいどうやって生きていけばいいのよ……! 世間になんて言われるか……!」
「世間がどうこう言うなら、俺が作ったこの村の住人になればいいさ。ここでは誰も、あんたの肩書や過去になんて興味ないね。ガロアだって元は新魔王軍の最強将軍だし、大賢者は王国の頑固老人だけど、今はみんなただの『サウナ仲間』で『ボードゲームの対戦相手』だ。誰がどんな過去持ってようが、今ここで美味い飯を食って笑ってれば、それで十分じゃないか」
レオンはそう言って、こたつの上にあったみかんを一つ手に取り、キュッと皮を剥いてマリアの手にポンと乗せた。
「ほら、嫌ならもう明日から王都に戻る必要なんてない。ここでゴロゴロして、ブラッドに頼んで特製のオムライスでも作ってもらおうぜ。誰もあんたを怒ったりしないし、説教もしない。保証するよ」
「……誰も、怒らない……?」
マリアの手の中で、剥きたてのみかんの爽やかな柑橘の香りがふわりと広がった。
王城にいた頃の彼女なら、こんな時間にみかんの皮を剥いてのんびりしているだけで、厳格な神殿長から「お前は神聖な職務を怠っているのか!」と激しく叱責されていたはずだった。毎日が監視の目で満ち、少しのミスも許されないプレッシャーの連続だった。
しかし、この村はどうだ。
元魔王はこたつでゴロゴロし、王国の最高知性は夜通し麻雀に明け暮れ、かつての敵対勢力の将軍は楽しそうに薪を割っている。誰もが自分のペースで生き、誰も他人の生き方に干渉せず、ただ目の前にある穏やかな日常を楽しんでいる。
「……そんなの……そんなの、ズルすぎる……」
マリアの目から、再び大粒の涙がポロリとこぼれ落ちた。
しかし、それは先ほどまでの絶望や悔しさの涙ではない。何年もの間、彼女の心を縛り付けていた分厚い鎖が、音を立ててスルスルと解きほぐされていくような、あまりにも圧倒的な安堵と解放感からくる涙だった。
「ズルくたっていいさ。人生、たまにはサボったってバチは当たらないよ」
レオンは優しく微笑み、マリアの頭をポンと軽く撫でた。
「……ううっ……、うわぁぁぁぁぁぁん……っ!!」
ついに、マリアは我慢しきれなくなり、こたつの布団に顔をうずめたまま、子供のように声を上げて大泣きした。
これまでの重圧、孤独、恐怖、そしてレオンの言葉に込められたあまりにも温かい救いの手が、彼女の心の防壁を完全に溶かしてしまったのだ。
隣で見ていたルシアは、少し困ったような、しかしどこか温かい笑みを浮かべながら、泣きじゃくるマリアの背中をトントンと軽く叩いた。
「ほら、泣きたいだけ泣きなさいよ。人間の女の子が涙を流すのなんて、この村では一番ありふれた日常なんだから。……あ、でも、泣き終わったらちゃんとみかん食べなさいよ、乾燥しちゃうから」
大賢者も、ふんと鼻を鳴らしながらも、手元にあったお茶の湯呑みをマリアの方へとスライドさせ、ぶっきらぼうに言った。
「まったく、泣く暇があるなら麻雀の牌の切り方を覚えんか。お前が泣き止む頃合いを見計らって、次の東風戦のメンバーに加えてやってもいいぞい」
マリアはその温かい言葉たちに包まれながら、こたつの温かさにすっぽりと体を委ねた。
「……うん……私、決めた……」
マリアは涙を拭い、真っ赤に腫れた目をこすりながら、しかしこれまでにないほどスッキリとした晴れやかな笑顔で顔を上げた。
「もう二度と、あんな窮屈な王都になんて帰らない……! 私、今日から王国の聖女を完全に廃業して、この村の『専属みかん剥き係』になる……! だから、レオン……私を追い出さないでよね……!」
「はいはい、喜んでご指名ありがとうございます。どうぞお好きなだけ、一生だらだらしてくださいな」
レオンは苦笑しながら、自分のお茶の湯呑みをマリアのそれに軽く合わせた。
カチン、と心地よい陶器の音が響く。
王国の聖女として世界を背負っていたはずの少女は、こうしてレオンの放った悪魔的(かつ最高に甘い)囁きに完全に乗っかる形で、すべての重責を華麗に投げ捨て、この世界で最も平和で最も幸せな「だらだら特区」の正式な住人へと生まれ変わったのだった。
外では、相変わらず秋の心地よい風が吹き抜け、ガロアの楽しげな薪割りの音がリズミカルに響いている。
世界がどれほどハードモードになろうとも、この古民家の縁側とこたつの間だけは、永遠に変わらない極楽の温もりに包まれて、ゆるやかで最高に贅沢な時間を刻み続けていくのであった。




