56 第12章:全員まとめてだらだら地獄(極楽)
第12章 第1節
王国から単身、決死の覚悟を胸に北方へと旅立ち、魔の廃村へとたどり着いた元勇者パーティの聖女マリア。
彼女は当初、この村を「恐ろしい邪法が渦巻く悪の巣窟」「洗脳された大賢者が囚われている闇の要塞」だと固く信じ込み、聖杖を握りしめて震えていた。
しかし、蓋を開けてみれば、新魔王軍最強の武闘派将軍だったガロアは満面の笑みで薪を割り、王国の最高知性である大賢者はこたつに入って自動麻雀卓風ボードゲームとポテチに熱中し、すっかり骨抜きにされていた。そしてトドメとばかりに、元魔王ルシアから差し出された「神級焼きイモ」に発酵バターをぽとりと落とした禁断の背徳スイーツの前に、彼女の理性は音を立てて崩壊し、頬にイモの欠片をつけたまま美味しいと絶叫する事態になっていた。
すっかり戦意を喪失し、気づけばレオンたちのいる古民家の縁側――その特等席であるこたつのなかに、マリアはすっぽりと上半身(というか下半身も)を預けていた。
「んふぅ……なんだこれ……。なにこの、全身がとろけるような圧倒的な包容力と温かさは……」
マリアはこたつの布団のフカフカした感触に頬をスリスリと擦り付けながら、まるで極上の温泉にでも浸かっているかのようなトロトロの声で呟いた。
足元からは、レオンのパッシブスキル『最高環境創出』の魔力によって完璧に調整されたポカポカとした理想的な暖気がじんわりと全身を巡り、外の冷え切った秋の空気が嘘のような極楽浄土の空間を作り出している。
これこそが、魔界の強者も王国の最高知性も、そして聖女のプライドすらも一網打尽にしてきた、人類史上最強にして最悪の魔導具――「こたつ」の魔力であった。
「でしょ? 一度その中に足を踏み入れたら、もう二度と外の世界には戻れなくなる。それが『こたつ』という名の魔の巣穴さ」
レオンはほうじ茶の湯呑みをフーフーと吹きながら、呆れたような、しかしどこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「魔の巣穴って……本当にその通りじゃない……!」
マリアはこたつの布団を胸元まで引き上げ、うっとりと目を細めた。
「私、今までこんなに暖かいものに入ったことがなかった……。王城の自室だって、冬場は暖炉をつけても足元が冷え込むし、いつも分厚いローブを着込んでガチガチに身構えて寝ていたというのに……。このこたつの中は、まるで世界中の優しさと温もりがすべて凝縮されて、私一人を包み込んでくれているみたい……」
マリアはそう言うと、持っていたお茶の湯呑みをコトンと机に置き、ふと、遠い目をして天井の青空を見上げた。
その表情には、先ほどまでの威張り散らした聖女としての面影はなく、日々の過酷なプレッシャーと重責に押し潰されかけていた、一人の疲弊した少女の素顔が浮かんでいた。
「ねえ、レオン……」
「ん?」
「私ね……聖女としての仕事って、本当はもうずっと、限界だったのよ……」
その唐突で、しかしあまりにも赤裸々な本音の告白に、こたつの中で麻雀の牌をいじっていた大賢者や、隣でみかんの皮をむいていたルシアの手がピタリと止まった。
マリアは膝を抱え込むようにして、ポツポツと語り始めた。
「あなたが出て行ったあと、王国の神殿や教会は連日のように大騒ぎだったのよ。『世界のダンジョンが急に難しくなったのは聖女の祈りが足りないからだ』『もっと国民の前に立って神聖な奇跡を示し、民衆の不安を和らげろ』って、毎日毎日、朝から晩までお偉いさんたちに囲まれて説教されて……」
マリアの声が、少しだけ震え始めた。
「新しい迷宮の攻略に行けば、いつ命を落とすか分からない恐怖と戦いながら、傷ついた兵士たちの治療をして、夜になれば『明日はもっと清らかな聖歌を歌え』『民衆の前で完璧な笑顔を作れ』って……。少しでも疲れた顔を見せると、『聖女の威厳が損なわれる』って冷たく言われて……」
マリアは両手で顔を覆い、こたつのフチに額をこつんと預けた。
「私、本当はそんなに強くて気高い人間なんかじゃないのよ……。ただの普通の女の子なのに……。毎日毎日、完璧な聖女を演じ続けるのが、どれほど怖くて、どれほど孤独だったか、あなたたちには分からないでしょう……?」
その告白は、彼女がこれまで頑なに隠し続けてきた、誰にも言えない心の澱そのものだった。
世界のハードモード化という理不尽な重圧と、かつての追放劇の隠蔽、そして「聖女でい続けなければならない」という強迫観念が、彼女の精神を少しずつ、しかし確実に摩耗させていたのだ。
静まり返った縁側に、遠くから薪割りの「パカーン」という乾いた音が、心地よいリズムで響いていた。
誰もが言葉を失っていた。
かつてレオンをパーティから追い出し、「あなたのような足手まといはもう必要ないのよ」と冷たく言い放った張本人であるマリアが、いまやその追放者の作ったこたつにすっぽり入り込み、ボロボロと本音をこぼして泣いている。因果応報といえばそれまでだが、その姿はあまりにも人間臭く、哀愁に満ちていた。
ルシアは持っていたみかんをそっと置き、少しだけ複雑そうな、しかしどこか憐れむような目でマリアを見つめた。
「ふーん……。人間界って大変なのねぇ。魔王軍なんて、嫌になったらすぐサボって城を飛び出せばよかったんだから、それに比べると窮屈な生き方だこと」
大賢者はといえば、鼻をフンと鳴らし、眼鏡の位置を直しながら言った。
「まったくじゃな。組織の看板や世間の目を気にして生きるなど、研究者にとって最大の時間の無駄というものだ。第一、自分の心身の健康よりも他人の評価を優先する生き方など、論理的に破綻しておるわい」
大賢者なりの非常にぶっきらぼうで、しかし核心を突いた言葉に、マリアは肩をビクリと震わせた。
そんな中、レオンは急かすことも責め立てることもせず、ただ静かに、自分の湯呑みからお茶をもう一口すすると、こたつの端を優しくポンと叩いた。




