53 第11章:引きこもり大賢者と聖女の焦り
第11章 第3節
王国の中枢から単身、決死の覚悟を胸に北方へと旅立った元勇者パーティの聖女マリア。
彼女の脳内は、「悪の巣窟と化した魔の村」「洗脳された大賢者」「恐ろしい精神汚染の邪法を操るかつての追放者レオン」といった、ダークファンタジーの王道を行く最悪の想像で完全に埋め尽くされていた。
道中、彼女は何度も「やっぱり引き返したほうがいいのではないか」「私一人で何ができるというのか」と恐怖に足をすくまれそうになりながらも、歪んだプライドと保身の炎をかろうじて燃料にして、どうにかその「魔の廃村」の入り口へとたどり着いた。
「はぁ……はぁ……、ついに、着いてしまった……!」
マリアはゼーゼーと荒い息を吐きながら、両手で聖杖をしっかりと握りしめ、いつでも高位の神聖結界を展開できるように身構えた。彼女の額には冷や汗がにじみ、美しい金髪のポニーテールも緊張で少し乱れている。
しかし、彼女が命を賭して踏み込んだはずのその村の第一印象は、彼女の予想を根本から、そして暴力的に裏切るものだった。
「……ん? あれ……?」
マリアはパチパチと目を瞬かせ、目の前に広がる光景を二度見、三度見した。
そこにあったのは、血の匂い漂う荒野でもなければ、禍々しい魔導陣が渦巻く暗黒の要塞でもなかった。
どこか懐かしい木造の古民家が並び、周辺からは香ばしい出汁の匂いと、甘く爽やかな白樺のアロマが混じり合った心地よい湯気がふわりと漂っている。
さらに、村の入り口の特設スペースでは、信じられない光景が繰り広げられていた。
「おりゃあぁぁぁーーーっ!! パカーン!!」
見事な手際で神級の白樺の丸太を綺麗に真っ二つに割り続けている、筋骨隆々の巨漢の男。
その顔には不気味な洗脳の影など一切なく、むしろ「今日も最高の薪割りができて、俺は生きている!」とでも言いたげな、太陽のように眩しい満面の笑みが浮かんでいた。さらに、その頭にはなぜかフカフカの「サウナハット」が誇らしげに乗っかっている。
「ちょっ……ちょっと待って……? あの男は……!」
マリアは絶句し、思わず杖を取り落としそうになった。
間違いない。彼女がかつて王国の資料や魔王軍の指名手配書で何度も目にした、新魔王軍最強の武闘派将軍――ガロアその人だった。
「なんで……なんであのガロアが、こんなところで満面の笑みで薪割りなんてしているのよ……!? 襲撃されるどころか、完全に村の便利使いの従業員みたいになってるじゃない……!」
混乱の極みに達したマリアが、ガタガタと震えながらさらに村の奥へと足を進めると、そこにはさらにトドメを刺されるような、開いた口が塞がらない光景が待ち受けていた。
村の中心にある古民家の縁側。
そこには、王国が誇る最高峰の知性であり、数日前に「邪法の調査」へと赴いたはずの最高権威――大賢者の姿があった。
しかし、大賢者は調査団の指揮をとっているどころか、特製の木製こたつにすっぽりと下半身を突っ込み、片手でブラッド特製の「神級ポテトチップス(コンソメ風味)」をつまみながら、目の前にある精巧なボードゲームの盤面を凝視していた。
「ふふふ……甘いな、ルシア君。そこでその牌を切るということは、私の待ち牌を完全に看過している証拠だ!」
「えー、マジで? じゃあ私、ここでリーチいっちゃおうかなー」
「なんだと……!? また私の計算を狂わせる気か……! 面白い、受けて立とう!」
大賢者は、かつての気難しく近寄りがたい頑固老人の面影を完全に脱ぎ捨て、子供のように目を輝かせながら、元魔王ルシアと楽しそうに麻雀風ボードゲームに熱中していたのだ。その脇には、キンキンに冷えた特性ドリンクのジョッキが置かれ、時折ごくりと美味しそうに喉を鳴らしている。
「大賢者様ぁぁぁーーーっ!!?」
マリアは耐え切れず、ついに悲鳴のような絶叫を上げて縁側へと駆け寄った。
その声に驚き、大賢者とルシア、そして少し離れた場所でまったりとお茶を飲んでいた元勇者レオンの視線が一斉にマリアへと向けられた。
「ん……? 誰だね、朝っぱらから大声を出して。今、東一局のめちゃくちゃ大事な局面なんだから静かにしたまえ」
大賢者は、ポテトチップスをつまんだまま、邪魔者を見るような鬱陶しそうな目でマリアをチラリと一瞥した。
「だ、大賢者様っ! 目を覚ましてください! 私です、聖女マリアです! あなたまであの邪悪な村の魔の手にかかり、完全に洗脳されてこんな奇怪な遊戯に興じている場合ではありません! さぁ、早く王都へ戻りましょう! 私の神聖魔法でその邪悪な洗脳を今すぐ解いて差し上げますから……っ!」
マリアは必死の形相で聖杖を突き出し、浄化の奇跡の光を放とうとした。
しかし、大賢者は呆れたように深々と溜息をつき、手をパタパタと振った。
「洗脳だと? 誰がそんな古臭いオカルト話を信じるか。馬鹿を言うな小僧、いや小娘。私は今ね、この村でしか味わえない『全自動麻雀卓風ボードゲームの確率的優位性と、サウナが脳に与える魔導的影響に関する極めて重要な学術的研究』の真っ最中なのだ! 邪魔をするな、勝負の邪魔だ!」
「がくっ……!」
マリアはその予想外すぎる返答に、膝から崩れ落ちそうになった。
「しょ、しょうぶ……じゃなくて、調査団の長が何を言ってるんですか……! 暗殺者も、ガロア将軍も、あなたまで……どうしてこの村の人たちは、誰も彼もがそんなにのんびりして、敵意のかけらもないんですか……! ここは一体、どうなっているのよ……っ!」
マリアが半狂乱になって叫ぶと、こたつの端でほうじ茶を啜っていたレオンが、面倒くさそうにポリポリと頭をかきながら立ち上がった。
「いや、だからさ……別に誰も無理やり連れ込んできたわけじゃないって。みんな勝手に来て、サウナ入って、水風呂浸かって、特性ドリンク飲んで、麻雀やって勝手に骨抜きになってるだけだからさ」
レオンは優しく微笑みながら、マリアに一皿差し出した。
「ほら、マリアも長旅で疲れたろ? まずはここの名物の『神級ポテトチップス』でも食べて、こたつに入って落ち着きなよ。あったかいお茶もあるからさ」
「だ、誰がそんな罠にかかるものですか……っ! 私を甘く見ないで……!」
マリアは恐怖と混乱で涙目になりながらも、聖女としての最後のプライドにしがみつき、ブルブルと震えながらその場に踏みとどまっていた。
最強の武闘派将軍は薪を割り、王国の最高知性はこたつでポテチを食べながら麻雀に興じ、かつての追放者はのんびりと茶を啜る――。
世界の理から完全に外れた「究極の平和なだらだら地獄」の真ん中に放り出された聖女マリアの運命は、果たしてどうなってしまうのか。




