50 第10章:王国調査団と大賢者
第10章 第5節
王国が誇る最高峰の知性にして、極めて気難しい頑固老人として知られていた大賢者。
彼は、王国を震撼させている「謎の失踪事件」の真相を暴き、怪しげな邪法を木端微塵に論破してやると息巻いて、精鋭の魔導調査団を引き連れ、レオンとルシアが暮らす古民家の縁側へと乗り込んだ。
しかし、戦う気満々だった大賢者の前に差し出されたのは、危険な魔導装置でも恐ろしい精神干渉結界でもなく、レオンが退屈しのぎに作り上げた自家製の『全自動麻雀卓風ボードゲーム』と、ブラッドが揚げたばかりの山盛りの『神級ポテトチップス』であった。
最初こそ「くだらん子供だましの遊戯に付き合っている暇など――」と鼻を鳴らしていた大賢者だったが、ひとたび牌を握り、ポテトチップスを口にした瞬間から、その卓越した研究者魂と底知れぬ負けず嫌いの血が猛烈に沸騰してしまった。
「くっ……! また私の当たり牌をスルーされただと……!? なぜだ、なぜ私の完璧な確率計算と手牌読みがこうも次々と外れるのだ……っ!」
ガシャン、と大賢者は勢いよく牌を卓上に並べ直した。
すでに夕暮れ時の茜色は完全に過ぎ去り、空には無数の星が瞬く深夜の深い闇が訪れていた。しかし、古民家の縁側に設えられたこたつの周囲だけは、温かな灯りと、終わらない勝負に熱狂する者たちの異様な熱気で、真昼のように明るく照り輝いていた。
「おじいさん、強気な割に結構放銃してるよねー。そろそろ私のドラ爆発に気をつたほうがいいんじゃない?」
こたつの反対側で、ルシアがポテトチップスをパリッと噛み砕きながら、余裕の笑みを浮かべて手牌をシャッフルした。
「ふん、たまたま運が偏っているだけのことに過ぎん! 次こそは、私の長年の魔導論理に基づいた完全無欠の防御と反撃のフォーメーションが炸裂するわ!」
大賢者は、長くて白い髭を逆立て、充血した目をさらに血走らせながら、次の牌をガシッと掴み取った。
その傍らでは、大賢者の供として同行した精鋭の魔導調査団の若手魔導師や兵士たちが、信じられない光景を目の当たりにして完全に呆然と立ち尽くしていた。
「あ、あの……大賢者様……?」
首席魔導師が、冷や汗をダラダラと流しながらおそるおそる声をかける。
「我々は……その……村の邪法を調査し、ガロア部隊失踪の謎を解き明かすためにここまでやってきたのでは……? なぜ、その……敵のど真ん中で、夜を徹してボードゲームに興じておられるのですか……?」
魔導師のその正論に、大賢者はビクリと肩を震わせたが、すぐに「ば、馬鹿者!」と大声で怒鳴り返した。
「黙っていれ! 今私は、この遊戯の裏に隠された『確率の魔導的法則性および心理戦の極限』を学術的に徹底検証している最中なのだ! これも立派な調査の一環である! お前たちはそこでおとなしくお茶でも啜って見学していろ!」
「検証って……もう何十半もやってますよ……? すでに日付も変わって、完全に朝が近づいてますけど……」
兵士の一人が力なく呟いたが、もはや大賢者の耳には一切届いていなかった。
レオンはといえば、こたつの隅にほっこりと体を預け、ほうじ茶の湯呑みを片手にまったりと戦況を見守っていた。
「いやぁ、まさかここまで熱中してくれるとはねぇ。おじいさん、体力あるなぁ」
「ほんとよ。私なんてそろそろ眠くなってきたのに、このお爺さん、次の局が始まるたびに『もう一局だ! 私はまだ本気を出していない!』って言って全然終わらせてくれないんだもん」
ルシアがあくびを噛み殺しながら愚痴をこぼす。
しかし、大賢者の闘志は衰えるどころか、ますます燃え盛っていた。
彼の脳内では、負け続けた悔しさと、このボードゲームの奥深すぎる戦略性が化学反応を起こし、もはや「王国の威信」も「ガロア部隊の謎」も、宇宙の彼方へと吹き飛んでいた。残されているのは、目の前にある牌の並びと、レオンとルシアからどうやってトップをもぎ取るかという執念だけであった。
「よし……! この手牌なら……いける……!」
大賢者はゴクリと唾を飲み込み、震える指先で山から一枚の牌を引き抜いた。
その瞬間、彼の顔色がパァァッと明るく輝いた。
「き、来た……! これぞ我が長年の研究の成果……! これぞ究極の逆転手……!」
大賢者は、その引いた牌を勢いよく卓上に叩きつけた。
「――ロン!! 満貫、一気通貫、ドラ3だぁぁぁーーーっ!!」
静まり返った深夜の村に、大賢者の狂喜乱舞の絶叫が轟き渡った。
彼は両手をガッツポーズの形に突き上げ、まるで世界を救った英雄のような誇らしげな笑みを浮かべた。
「ふはははははっ! 見たか小僧! ついに私を捉えたぞ! これで私の完全勝利だ! ははは!」
「うわ、マジか。見事にあがられたねぇ」
レオンは自分の手牌をパタリと倒し、苦笑いを浮かべた。
「お見事、おじいさん。徹夜の執念が実ったって感じだね」
「ふん! 当たり前だ! この大賢者の頭脳に不可能な文字はないわ!」
大賢者は鼻を高くし、ふんぞりかえった。しかし、その顔には心地よい疲労感と、これまでにないほどの晴れやかな達成感が満ちていた。
やがて、東の空がゆっくりと白み始め、遠くの山々から朝の澄んだ光が差し込んできた。
夜通し続いたボードゲームの勝負は、大賢者の執念の大勝利によって幕を閉じたのである。
「さぁて、夜も明けたことだし……」
レオンが伸びをしながら立ち上がった。
「せっかくここまで朝まで付き合ってくれたんだからさ、おじいさん、一晩がんばったご褒美に、うちの自慢の『朝ウナ』と『キンキンに冷えた水風呂』、そして大盛りの『豚キムチ丼』をごちそうするよ。もちろん、特性ドリンク付きでね」
「ほう……?」
大賢者は聞き慣れない単語に眉をひそめた。
「サウナだと? 水風呂だと? ……ふん、それが貴様らの言っていた『怪しい邪法の罠』だな? よろしい、その危険な装置とやらの正体、この私が身をもって体験し、すべて論理的に暴いてやろうではないか!」
口では相変わらず強がりを言いながらも、大賢者の足取りは、一晩中こたつでポテトチップスを貪り続け、ボードゲームに没頭したせいで、どこか軽やかでワクワク感を隠し切れないものになっていた。
王国から派遣された最強の知性は、こうしてガロア部隊の如く、あっさりとレオンたちの「極楽の生活リズム」へと取り込まれていくのだった。




