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05 第1章:クビになった勇者と、クーデターに遭った魔王

第1章 第5節


縁側でぐっすりと眠りこけていたところを、突如として禍々しい爪を掲げた美少女――元魔王ルシアに襲撃されたレオン。


常人であれば、冷や汗を流して飛び起き、武器を抜いて臨戦態勢に入るところだ。しかし、激務に満ちた勇者パーティーでの生活から解放され、心身ともに「だらだらモード」の極みに達していたレオンは、目の前に殺人鬼(に見える魔王)が立っているという異常事態に対しても、驚くほど動じなかった。


レオンはゴシゴシと眠たそうに目をこすり、ゆっくりと上半身を起こす。


「ふあぁ……。なんだよ、朝から大声出して。女の子がそんな怖い顔してちゃ、お嫁に行けないぞ」

「お、お嫁に……っ!? なんだとこの男! 私を誰だと思っているんだ! 私は魔王ルシア様だぞ! 今まさに貴様のその首を跳ね飛ばそうとしていたところなんだからな!」


ルシアは爪を突き立てたまま、怒りと困惑が入り混じった表情で叫んだ。

しかし、レオンはその言葉を右から左へ聞き流し、あくびを一つ噛み殺すと、傍らに置いてあった小さな七輪と鉄瓶に目をやった。


「魔王様ねえ……へえ、最近のコスプレは本格的だな。で、お姉さん、そんなに血気盛んにツメを立てて、疲れないのか? 見てみなよ、その目の下にうっすらクマができてんじゃん。寝不足だろ」


「くっ……!」

図星を突かれたルシアは、わずかにたじろいだ。

魔王城でのストレスフルな日々と、その後の長旅による飢えと疲労は、彼女の精神を確実にすり減らしていた。先ほどから全身が重く、足元もふらついていたのは事実である。だが、それを目の前の冴えない男に看破されたことが、妙に悔しかった。


「うるさい! 私の体調の心配なんてしなくていいんだよ! それより覚悟しなさい、今度こそこの一撃で――」


「まあまあ、そんなに殺気立たずにさ。お茶でも飲めよ」

レオンは面倒くさそうに手をヒラヒラと振ると、七輪にかけてあった鉄瓶から、湯気が立ち上る湯を湯呑みにトクトコと注ぎ入れた。


そこにあったのは、高級な茶葉でもなければ、魔界の秘薬でもない。近くの山でレオンが適当に摘んできた野草を乾燥させた、名もないただの「白湯」だった。

しかし、レオンがその湯呑みを差し出した瞬間、奇妙な現象が起きた。


レオンの持つ『最高環境創出』のパッシブスキルが、彼の「この殺伐とした空気をどうにかして和ませたい、面倒な戦闘を回避してさっさと茶を飲みたい」という強烈な怠惰の意志に反応したのだ。


鉄瓶の湯は、ただの白湯から、世界の物理法則を無視したレベルの「究極の極上リラクゼーション・ハーブティー」へと瞬間的に変質していた。

湯呑みから立ち上る湯気は、見る者の戦闘本能や敵意を溶かしていくような、甘く香ばしい、懐かしい香りを放ち始める。


「……なっ!?」

ルシアの鼻腔にその香りが届いた瞬間、彼女の全身に走っていた殺気がピタリと止まった。


「なんだ、この匂いは……? すごく……すごく、心が落ち着く……? いや、違う、これは私の魔力を強制的に鎮静化させるような……っ!」


「いいから、熱いうちに飲みなって。ほら」

レオンは無造作に、その湯呑みをルシアの目の前につき出した。


ルシアは警戒した。目の前の男は得体が知れない。もしかしたら、これは神経毒か何かかもしれない。魔王としての誇りと理性が、「そんな怪しいものを飲むな!」と脳内で警報を鳴らし続けていた。


だが――。

あまりにも香りが良すぎる。あまりにも、今の干からびた彼女の心と体に優しそうすぎるのだ。


(くっ……! ここで飲んだら魔王のプライドが完全に折れる……! でも、この極限の空腹と疲労の中、この良い匂いを無視するのは、生物としての本能が許さない……!)


葛藤すること数秒。

ついに理性の糸がプツリと切れたルシアは、「一口だけ……一口だけだからね!」と自分に言い聞かせ、震える手で湯呑みを受け取った。


そして、恐る恐る、その透明な液体をほんの一口だけ口に含んだ。


瞬間――。

ルシアの脳内で、雷が鳴り響いたような衝撃が走った。


「っ……!? な、なにこれ……!?」


それは、これまで味わったことのない「究極の癒やし」だった。

口に含んだ瞬間、とろけるような温かさが喉を通って全身の隅々まで染み渡っていく。長旅の疲れで凝り固まっていた筋肉が、まるで雪解け水のようにフニャフニャとほぐれていく。魔王城の若手幹部たちから浴びせられた罵声や、世界征服という重圧でボロボロになっていた精神のトゲが、すべてきれいに洗い流されていくような感覚だった。


「あぁ……すぅ……ふぅ…………」


ルシアの瞳から、それまで宿っていた鋭い光が完全に消え去った。

彼女の体から文字通り「気力」という気力がすーーっと抜け落ちていき、ピンと張っていた背中がぐにゃりと曲がる。


「だめだ……これ……すっごく、あったかい……。もう、何も考えたくない……。世界征服とか、ガルドルとか、どうでもいい……」


ルシアは持っていた湯呑みを両手で大切に包み込んだまま、膝から崩れ落ちるように、縁側の床にその場へペタリと座り込んでしまった。


先ほどまでの威勢はどこへやら、銀髪の美少女はすっかり骨抜きにされ、瞳をトロトロとさせながら、うっとりと宙を見つめている。


「ふふ、言ったろ? 温かいお茶でも飲めば、そんなトゲトゲした気持ちも消えるんだよ」

レオンは満足そうにうなずくと、自分ももう一つの湯呑みを手に取り、ずずーっと音を立てて白湯をすすった。


「ぷはぁ……うまい。やっぱり、縁側で飲むお茶が一番だな」


「ねえ……おじさん……じゃなくて、レオン……」

ルシアはトロけた声で、レオンの袖をトントンと引っ張った。


「なに?」

「このお茶……もっとちょうだい。あと、私、ここから一歩も動かないから……。ここでずっと、このお茶を飲んでていい?」


「ああ、いいよ。茶葉ならそこらへんにいくらでもあるし、勝手に寛いでていいからさ」

「やったぁ……。もう魔王とか辞める……。私、この村の縁側の住人になる……」


こうして、人類の脅威となるはずだった元魔王ルシアは、レオンが淹れた一杯の白湯の魔力(と、だらだらパワー)の前に、わずか数秒で完全陥落。

戦うどころか、すっかり「縁側の住人」と化した彼女は、そのままレオンの横でコテンと横になり、スヤスヤと平和な寝息を立て始めるのだった。


荒れ果てたはずの廃村の縁側は、ここに世界で最も平和で、最も怠惰な「無職デュオ」を生み出すことになったのである。

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