48 第10章:王国調査団と大賢者
第10章 第3節
王国が誇る最高峰の知性にして、極めて気難しい頑固老人として知られる「大賢者」は、精鋭の魔導調査団を引き連れ、あたかも悪の巣窟に踏み込むかのような険しい足取りで村の中央へと進み出ていた。
「見ろ……! この村の異様なまでの静けさと、漂う甘い香りを……! 間違いなく、侵入者の神経を麻痺させるための強力な魔導結界が展開されている!」
大賢者は杖を大きく突き上げ、全身の魔力をフル回転させて周囲の空間を警戒した。供の魔導師たちも、手に持った魔導測定器を激しく点滅させながら、ガタガタと震えながらその後に従っている。彼らの脳内は、未知の邪法や恐ろしい罠に対する恐怖と緊張でパンパンに張り詰めていた。
ちょうどその頃、村の縁側では――。
「ん……? なんか、また遠くの方からエラく気合の入った足音が聞こえるけど……」
特製の木製こたつにすっぽりと入り込み、みかんの皮を指先でちぎっていた元勇者レオンが、ふと顔を上げて村の入り口の方を指さした。
隣で同じようにこたつに足をつっこみ、温かい緑茶を啜っていた元魔王ルシアも、面倒くさそうに片目を細めてそちらを見た。
「あー……ほんとだ。なんか、お爺さんがめちゃくちゃ怒った顔して杖を振り回しながらこっちに向かってきてるわよ。しかも、後ろに大勢の物々しい兵士を連れて……。ねえこれ、また面倒くさい人たちじゃない?」
「うわ、本当だ……。せっかく午後のまったりタイムなのに、勘弁してほしいなぁ……」
レオンは心底うんざりした様子で深く溜息をついた。
わざわざ戦うなんて面倒くさいこと、今のレオンの「だらだらライフ」の辞書には一文字も存在しない。どうせまた「魔王の首をよこせ」とか「怪しい邪法を解除しろ」とか、意味不明な言いがかりをつけてくるに違いなかった。
「よし、面倒くさいから、来る前にこたつでお茶でも飲ませて追い返そうぜ」
「賛成。私、面倒な説教とか聞くの耳が腐りそうだから、レオン何とかして」
そうこうしているうちに、大賢者一行はついにレオンたちのいる古民家の縁側の前までドカドカと押しかけてきた。
「そこにいるのは……不当に人間と魔族の秩序を乱し、王国と魔王軍の双方を混乱に陥れている不届き者めだな……っ!!」
大賢者は杖を地面にドンと突き立て、怒りに満ちた鋭い視線をレオンとルシアに突きつけた。その顔は、長年の研究生活で培ったプライドと、「自分がこの不条理な謎をすべて暴いてやる」という気負いから、真っ赤に歪んでいた。
「わっ、すごい剣幕。おじいさん、そんなに怒ると血圧上がるよ」
レオンは全く動じず、湯呑みをフーフーと吹きながらのんびりと声をかけた。
「ふん、口を慎め小僧! 私は王国の最高知性にして大賢者だ! 貴様らがこの村でどのような怪しげな邪法を使い、ガロアの軍勢や暗殺者たちを洗脳し消し去ったのか、そのトリックはすべてお見通しなのだぞ!」
大賢者は自信満々にビシッと指を突きつけた。
「邪法? 洗脳?」
レオンはきょとんとした顔で首を傾げた。
「いや、別にそんな大層なもん作ってないけどなぁ。あそこの小屋にある薪サウナに入って、水風呂に入って、特性ドリンク飲んで豚キムチ丼を食ったら、みんな勝手にスッキリして残っただけだよ」
「なっ……何をふざけたことを……っ!」
大賢者は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「サウナだと? 水風呂だと? そんなふざけた子供だましの方便で、この大賢者の目を欺けると思うな! 直ちにその危険な魔導装置を解除し、全面降伏せよさもなくば――」
「はいはい、わかったわかった」
レオンは面倒くさそうに手をヒラヒラと振った。
「そんなに怒鳴ってたら喉が渇くだろ? まぁ、そう怒らずにさ、ちょっとこっちに来て座りなよ。長旅で足も疲れてるでしょ」
「なに……? わたしにこの怪しげな場所に座れと……? ふざけるな、私は貴様らの罠などには――」
「まあまあ、そう言わずに」
レオンがふっと笑い、こたつの脇にあった「ある物」をポンと軽く叩いた。
「実は俺、最近新しいボードゲームを開発したんだよ。ルールは簡単で、ただこたつに入ってポテトチップスをつまみながら、お互いに手札のカードで陣取り合戦をするだけの、めちゃくちゃくだらないゲームなんだけどさ。これが意外と頭を使うというか、ムキになっちゃうんだよね」
レオンが差し出したのは、木製の精巧なボードと、色とりどりの牌、そしてブラッドが揚げたばかりのカリッカリの特製「神級ポテトチップス(コンソメ風味)」が山盛りに盛られたお皿だった。
ふわりと漂ってきた、香ばしいポテトチップスの匂いと、こたつから漏れ出る極上の温かさが、大賢者の鼻腔と足元をふわりと直撃した。
「……ほう?」
大賢者は、怒りの表情を浮かべたまま、そのボードゲームの盤面をチラリと見た。
彼は根っからの研究者気質であり、未知の仕組みや論理的なパズル、知的遊戯には目がない性質だった。目の前にある木製のボードは、彼の知るいかなる魔導具とも異なる、非常に洗練された精巧な幾何学模様のマス目で構成されていた。
「……なんだこの盤面は。このマスの配置は、古代の魔方陣の理論に似ているが……しかし、魔力の回路が見当たらん。ただの……娯楽用具、だと?」
「そう、ただの暇つぶしのボードゲーム。どう? ちょっとルールを教えてあげるから、勝負してみない? もしあんたが勝ったら、この村の秘密を何でも教えてあげるよ。逆に俺が勝ったら、そこで一緒にみかんでも食べて大人しくしててよ」
レオンのあまりにも自然で、かつ一切の殺気を感じさせないマイペースな誘い方に、大賢者の戦闘態勢は完全に空振りに終わった。
彼は数秒間、険しい顔で悩んでいたが、やがて「ふん……!」と鼻を鳴らした。
「よろしい……! 貴様がどのような知性の低い子供だましの遊戯を用意したのか知らんが、私のこの卓越した頭脳の前には、どんな論理的パズルも数秒で解き明かしてみせるわ! そこまで言うなら、そのボードゲームとやらのルール、聞かせてもらおう!」
大賢者は杖を脇に放り出し、怒りを忘れた探究心とプライドに突き動かされるまま、ドスンとこたつの縁に腰を下ろした。供の魔導師たちが「あ、大賢者様! そんな危ないところに……!」と青ざめて声をかけたが、大賢者は「黙って見守っていれ!」と一喝し、すでに目の前のボードに釘付けになっていた。
こうして、王国の最高知性である大賢者は、レオンの仕掛けた「こたつ&ボードゲーム」という名の最も強力で、最も逃れられない知的沼の淵へと、自ら足を踏み入れてしまったのであった。




