45 第9章:魔王軍の崩壊と、新常連ガロア
第9章 第5節
王国のはずれにある名もなき廃村。
かつては荒れ果て、誰も見向きもしなかったその廃村は、今や世界で最も平和で、最も贅沢なリゾート特区『温泉こたつ庵』へと完全に生まれ変わっていた。
村の入り口にある『本格薪サウナ&極上水風呂処』では、新魔王軍から華麗なる転職を果たした元・重装甲親衛隊の100名が、ガロア将軍(現・サウナマスター兼総括雑務係)の統率のもと、朝から一糸乱れぬ手際で神級の白樺の丸太をパーン、パーンと美しく割り続けている。その傍らでは、最高責任サウナハット管理大臣に就任した副官が、ふかふかに洗い上げられたサウナハットを誇らしげに並べ干していた。
一方、新魔王軍の本拠地では「前魔王ルシアによる恐ろしい精神破壊の遠隔テロ(邪法の呪い)だ!」という完全な勘違いと被害妄想の末に、若手魔導師たちが自らの魔法で武器庫を吹き飛ばし、兵士たちが勝手に自爆事故を連発して自壊への道を突っ走っている。しかし、そんな世界の混乱や緊迫した動向など、この村の住人たちにとっては、遠い星の出来事のようにどうでもいいことだった。
秋の爽やかな午後の日差しが、村の古民家の縁側を優しく黄金色に染め上げている。
心地よい風が吹き抜けるその特等席で、元勇者レオンと、元魔王ルシアは、いつものように特製の木製こたつにすっぽりと上半身(というか下半身も)を預け、文字通りの「完全なる無抵抗の極楽」を満喫していた。
「ふあぁぁぁ……やっぱり、午前中にしっかりサウナで汗を流して、水風呂で締めてからの、この縁側での日向ぼっこは最高だねぇ……」
レオンはこたつの上にペタンと上半身を投げ出し、満足げに天井の青空を見上げた。その横には、キンキンに冷えた麦茶の入ったジョッキが置かれている。
「ほんとそれ。朝からガロアが『ルシア様! 本日の薪割りの進捗、完璧であります!』ってピカピカの笑顔で報告しに来るもだから、なんかもう、私すっかり大物政治家でも気取りたくなっちゃったわ」
ルシアはクッションを抱き締めながら、フカフカのポンチョの袖口をもぞもぞと動かした。
「自分で何も動かなくても、周りの元・最強魔族たちが勝手に働いて、美味しい特性ドリンクと豚キムチ丼を献上してくれる生活……。人間の世界って、時々すごく堕落的で素晴らしい発明をするのね」
「いや、特性ドリンクも豚キムチ丼もサウナも、全部俺がこの村で作った独自文化だからね。人間界の一般的な発明と一緒にしないでくれるかい」
レオンが呆れたような、しかしどこか嬉しそうな笑みを浮かべる。
「はいはい、レオン様は天才ですよー。世界一偉大な、だらだらマスターですよー」
ルシアはふにゃふにゃと笑いながら、こたつの下で足先をレオンのそれに軽くパタパタとぶつけた。
そんな平和で気だるい午後のひととき、縁側の障子の向こうから、カランコロンと心地よい下駄の音が近づいてきた。
現れたのは、サウナハットを綺麗に被り、両手に特製の木箱を抱えた元暗殺者にして料理担当助手のブラッドだった。
「レオン様、ルシア様。午後の休憩タイムに差し入れをお持ちしました」
ブラッドの顔には、かつて裏社会を震え上がらせた暗殺者の面影は微塵もなく、一流ホテルのコンシェルジュのような爽やかで丁寧な笑みが浮かんでいる。
「おっ、ブラッド、待ってました。今日の差し入れは何だい?」
レオンが体をむくりと起こすと、ブラッドは木箱の蓋をパカリと開けた。
そこに入っていたのは――。
キンキンに凍りついた金属製の型から取り出されたばかりの、見るからに濃厚でクリーミーなミルク感たっぷりの『特製湯上がりミルクアイスキャンディー』だった。
レオンのパッシブスキル『最高環境創出』の魔力と、村の神級牧草を食んだ牛から絞った極上のミルクが組み合わさることで、ただのアイスでありながら、一口かじれば脳がとろけるほどのコクと、後味の爽やかな甘みが爆発するという奇跡のスイーツである。
「うわっ……! これ、絶対においしいやつじゃん……!」
ルシアの目が、星のようにキラリと輝いた。
一本ずつ手渡されたそのアイスは、ひんやりと冷気を放ちながら、秋の午後の日差しの下で美しく輝いていた。
「どうぞ。サウナで熱々になった体に、この冷たいミルクアイスを染み込ませることで、ととのいの世界がさらに一段階上のステージへと進化するのです」と、ブラッドが専門家のようなドヤ顔で語る。
「よし……それじゃあ、いただきますか」
レオンとルシアは、それぞれ手に持ったアイスキャンディーを向かい合わせ、カチンと軽く軽く合わせ合図をした。
そして、待ちに待った一口目を、ガブリと大きくかじりついた。
――シャリッ……! とろり……っ!
「――っ……!!」
濃厚なミルクの甘みと冷たさが、サウナ上がりの乾いた舌の細胞を優しく、かつ強烈に包み込んだ。
熱を持った体の中に、ひんやりとした甘い潤いがスルスルと染み渡っていく。口いっぱいに広がる芳醇なバニラの香りと、シャリッとした食感の絶妙なバランスが、脳の奥底の快楽中枢を心地よく刺激した。
レオンはアイスをくわえたまま、うっとりと目を細めて呟いた。
「……なぁ、ルシア」
「ん……?」
「サウナの後のアイスってさ、なんでこんなに美味いんだろうな……」
アイスを舐めながら、レオンが遠い目をする。
ルシアもまた、頬に小さなアイスをつけながら、トロトロの笑顔で激しく頷いた。
「……それなー……」
二人の間に、これ以上ないほど平和で、一切の邪念のない、完全なる同意の空気感がふわりと広がった。
「戦わなくていい」
「働かなくてもいい」
「ただ美味しいご飯を食べて、温泉に入って、サウナで汗を流して、アイスを舐める」
世界がどれだけ混乱し、元勇者パーティが落ちぶれ、新魔王軍が勘違いと自爆によって勝手に自壊していこうとも、この名もなき廃村の縁側にあるこたつとアイスの前では、そんな世界上のあらゆる争いや悩みは、すべて絵空事のようにちっぽけでどうでもいいことに思えた。
「ねえ、レオン」
「ん?」
「私、もう魔王に戻る気なんて1ミリもないからね。一生この村で、あなたと一緒にアイスを食べて暮らす」
「はいはい、ご指名ありがとうございます。どうぞお好きなだけ、一生だらだらしてくださいな」
レオンは苦笑いしながら、自分のアイスの先端を少し溶かさないようにペロリと舐めた。
秋の穏やかな風が、縁側の風鈴をチリンと涼やかに鳴らす。
その音を聞きながら、元勇者と元魔王は、溶けかかるミルクアイスを仲良く並んで舐め続け、世界で最も穏やかで、最も幸福な午後の時間を、いつまでもいつまでも、ただただのんびりと味わい続けるのだった。




