44 第9章:魔王軍の崩壊と、新常連ガロア
第9章 第4節
新魔王軍の本拠地である漆黒の城内において、ガロア部隊の音信不通事件は瞬く間に全軍へと広がり、底知れぬ恐怖と疑心暗鬼を生み出していた。
「最強のガロア将軍たちが、人間の村に仕掛けられた恐ろしい邪法や精神破壊の罠によって消し去られた」という幹部たちの誇大な憶測は、あっという間に兵士たちの耳に届き、城内は文字通りのパニック状態に陥っていた。
しかし、真実は幹部たちが恐れるような「邪悪な魔導トラップ」などでは一切ない。ただ単にガロアたちがレオンのサウナと水風呂で「ととのい」、毎日特性ドリンクと豚キムチ丼を食べて極楽のスタッフに転職しただけなのだが、残された本隊の魔族たちにとって、その現実はあまりにも想像の斜め上を行きすぎていて想像すら及ばなかった。
そして、ガロア部隊の失踪以上に新魔王軍の足元を揺るがしていた、もう一つの――そしてより致命的な「本当の災厄」が、城のあちこちで静かに、しかし確実に進行していた。
それこそが、前魔王ルシアが追放されたことによる最大の弊害、すなわち『ルシアの厄災抑止デバフ(全戦意蒸発オーラ)の完全消滅』であった。
かつて、ルシアが魔王として玉座に君臨していた頃、彼女は特段に何か難しい政治を行っていたわけではない。ただひたすらにこたつでダラダラし、ミカンを剥き、たまに面倒くさそうに溜息をつきながら過ごしていただけである。
しかし、彼女が常に放ち続けていた固有パッシブスキル『全戦意蒸発』の莫大な波動は、魔界全土の血気盛んな魔族たちの脳内に渦巻く過剰な殺気、暴走しがちな闘争心、そして危険な禁呪の暴走衝動を、まるで見えない重石のようにしっかりと抑え込んでいたのだった。
その「絶対的なブレーキ」が失われたいま、新魔王軍の兵士や若手魔導師たちの体内では、抑え込まれていた暴力性と魔力が野放図に暴れ回り始めていた。
「おい、見たか……! ガロア様たちの部隊が消えたあの村には、人間どもが仕掛けた恐ろしい精神汚染の邪法があるらしいぞ!」
「怖すぎる……! 我々もいつあんな罠にかけられるか分からない……! ならば、先手必勝で強力な迎撃魔法や防御結界の訓練をしておかなければ、いつ命を落とすか分からんぞ!」
城の訓練場に集まった若手の魔導師たちは、恐怖と焦燥感に駆られ、普段は絶対に扱わないような危険な高位古代魔法の詠唱を始めていた。
「我が血肉に眠る闇の炎よ! 敵を焼き尽くす究極の業火と化せ――『ヘル・インフェルノ・バースト』!!」
若手魔導師が必死の形相で両手を突き出し、膨大な魔力を一点へと集中させた。
しかし、ルシアという「厄災の抑止力」が失われた世界では、魔族たちの感情のバランスは完全に崩壊している。恐怖や焦燥感といった不安定な精神状態で高位魔法を放とうとした瞬間、その魔力は制御を失い、凄まじい勢いで暴走を始めた。
「なっ……!? 魔力がコントロールできない……! お、おい、これ、出力がデカすぎ……ぐぁあああっ!?」
ドゴオォォォーーーン!!
凄まじい爆発音とともに、訓練場の一角が文字通りの跡形もなく吹き飛んだ。
爆心地から真っ黒な煙がもうもうと立ち上り、周囲で見ていた兵士たちが「敵襲だぁーっ!?」「いや、自爆だぁーっ!」と慌てふためいて逃げ惑う。
「ば、馬鹿な……! なぜ我が最強の炎魔法が、味方の武器庫を直撃して大爆発を起こすのだ……っ!?」
顔面をススまみれにした魔導師が、呆然と燃え盛る武器庫を見つめながらガタガタと震えた。
これだけではない。城の別の場所でも、同様の「自爆事故」が次々と発生していた。
「くそっ、ガロア様の仇を討つためだ! 我が肉体を鋼鉄に変える『魔神鋼化の秘法』を――!」
と意気込んだ別の武闘派の魔族は、緊張のあまり呪文の節回しを盛大に噛み、その結果、全身の皮膚が一時的にカチカチの硬い石のようになって微動だにできなくなり、そのまま直立不動のまま床にバタリと倒れて微動だにしなくなるという謎の自爆を引き起こした。
さらに、城の廊下を歩いていた別の兵士は、「最近、魔王軍の雰囲気がピリピリしてて精神的に休まらないよな……」と余計な不安を口にした瞬間、ルシアの不在によるメンタルデバフの直撃を受け、あまりの無気力感にその場で崩れ落ち、「もう戦うのやめよう……明日から農家に転職しよう……」とブツブツ呟きながら脱走の準備を始め出す始末だった。
城のあちこちで、敵と戦う前に勝手に爆発が起き、魔法が暴走し、兵士たちが勝手に戦意喪失して自滅していく。
「報告いたします……っ!」
情報担当の魔族が、青ざめた顔で再び宰相の執務室へと飛び込んできた。
「なんだ! またガロア部隊についての新情報か!?」
宰相が血走った目で机にすがりつく。
「い、いえ……ガロア様たちの情報ではありません……! 城の第3訓練場で若手魔導師たちが暴走し、自慢の炎魔法を自分たちの足元に直撃させて武器庫を全焼させました! さらに、前線に送る予定だった新型の魔導重砲も、兵士たちの謎のテンションの狂いによって誤作動を起こし、自ら粉々に大破いたしました……!」
「――なっ……! なんだと……!?」
宰相は椅子から転げ落ちそうになり、頭を抱えた。
「敵と一発も交えていないというのに……なぜ我が軍は、内側から勝手に崩壊していくのだ……っ!?」
「じ、実は、城の兵士たちの間でもっぱら噂されているのですが……」
情報担当の魔族は、声を震わせながら恐怖の色をにじませた。
「やはり、あの村にいるという前魔王ルシア様が……我々をジワジワと精神的に追い詰めるために、城全体を対象とした『見えない呪いの遠隔テロ(自爆誘導の邪法)』を仕掛けているに違いありません……! 彼女が城からいなくなった今もなお、その恐ろしい呪いだけが私たちを蝕んでいるのです……!」
もちろん、ルシアはそんな面倒くさい呪いなど一切使っていない。彼女は今この瞬間も、村の古民家のこたつの中で「あー、みかんの筋を取るのめんどくさいわねぇ」とゴロゴロしながら、のんびりと平和な時間を貪っているだけである。
しかし、自分たちの犯した「前魔王の追放」という致命的な失策の重さに気づけないクーデター派の幹部たちにとって、ルシアの存在(あるいは不在)は、もはや恐怖の怪談のようになって彼らの精神を極限まで追い詰めていた。
「おそろしい……! なんという底知れぬ悪意だ……!」
宰相は歯をガチガチと鳴らしながら、震える手で頭を抱え込んだ。
「このままでは、敵の軍勢に攻め滅ぼされる前に、我が新魔王軍は自爆とパニックによって完全消滅してしまう……っ! いったいどうすればいいのだ……!?」
誰もその問いに答えることはできなかった。
ルシアの『全戦意蒸発』という真の安定剤を失った新魔王軍は、自らの過剰な殺気と勘違いの恐怖に押し潰され、自壊への道を止めることのできない暴走特急と化していたのだった。




