41 第9章:魔王軍の崩壊と、新常連ガロア
第9章 第1節
秋の夕暮れが完全に夜の闇へと変わり、満天の星空が名もなき廃村――いまや「究極の極楽サウナ特区」と化したこの聖域を優しく包み込んでいた。
村の入り口に新設された『本格薪サウナ&極上水風呂処』の特設お食事処には、サウナ上がりの特性ドリンクと激ウマスタミナサ飯(神級豚キムチ丼)を胃袋に収め、完全に「完ち(かんち)」を果たした魔王軍一の武闘派将軍ガロアと、その重装甲親衛隊100名の姿があった。
彼らの顔には、かつて魔界の血生臭い戦場で敵を威圧していたような殺気や冷酷さは微塵もない。あるのは、すべての煩悩から解放された者だけが持つ、仏のような慈悲深い笑顔と、心からの充足感であった。
「ふあぁぁぁ……。豚キムチ丼の最後の一粒まで、実に完璧な味わいだった……。サウナ後のあの油分とピリ辛が、疲弊した五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことよな」
ガロアは満足げに大きなお腹をポンと叩き、特製の木製チェアにもたれかかった。
「まったくでございます、将軍」
副官もまた、空になった巨大ジョッキを名残惜しそうに眺めながら、うっとりとした表情で頷いた。
「我々はこれまで、魔王城の冷たい石畳の上で、血の滲むような過酷な訓練に明け暮れ、いつ終わるとも知れない侵略戦争に身を捧げてきました。しかし、あのサウナの熱と水風呂の冷たさ、そしてこのサ飯を知ってしまった今……元の生活には、一秒たりとも戻れる気がしません」
「うむ。実にな」
ガロアは深く頷き、真剣な眼差しで周囲の部下たちを見回した。
「だがな、副官。我々はそもそも、前魔王ルシア様を討伐し、その首を新魔王軍へ持ち帰るという重大な任務を帯びてこの村へやってきた身だ。このままここに居座り続けるとなれば、本国のクーデター派幹部どもや、新魔王軍の連中に何と言われるか……」
ガロアのその言葉に、それまで和やかな空気に包まれていた親衛隊の100名の兵士たちの間に、ピリリとした緊張が走った……かのように見えたが、次の瞬間、誰もが盛大にフニャッと肩の力を抜いた。
「え? 将軍、今さら何を言っているのですか?」
一人の屈強な親衛隊員が、あきれたような、しかしどこか晴れやかな顔で笑った。
「新魔王軍ですか? あの血みどろで常に誰かの足の引っ張り合いをしている殺伐とした組織に、今さら戻りたいバカがこの中に一人でもいると思いますか?」
「いないいない!」
「絶対に戻りたくない!」
「あんな地獄のような環境より、ここで毎日サウナに入って特性ドリンクを飲んでいる方が、人生の幸福度が億倍高いです!」
兵士たちが口々にそう叫び、ガロアもまた「そうだな……!」と深く頷いた。
「我々が求めていたのは、魔王軍の栄光でも、領土の拡大でもなかったのだ。私たちの魂が真に求めていた場所は、このレオン殿が作り上げたサウナ小屋と、水風呂と、そしてこの極上の外気浴スペースだったのだよ……!」
ガロアは立ち上がると、その巨体を真っ直ぐに正し、新魔王軍の本城がある方角――遠い闇の彼方へと静かに視線を向けた。
「よろしい。ならば、ここで決断を下そう」
ガロアの野太い声が、夜風に乗って響き渡る。
「我々、魔王軍重装甲親衛隊100名は――本日この時をもって、新魔王軍を正式に脱退する!!」
「「「おおーーっ!!」」」
「そして! この村の住民となり、レオン様およびルシア様の下で、一生涯このサウナ施設の維持と管理に身を捧げるのだ!」
ガロアは力強く拳を握りしめ、自分の今後の役割を高らかに宣言した。
「副官! お前は明日から『最高責任サウナハット管理大臣』に就任しろ! サウナハットの洗濯と、常にふかふかの状態を保つことがお前の新たな任務だ!」
「はっ! 喜んで! 全身全霊を込めて極上のサウナハットを管理いたします!」
「そして、残りの者たちは全員『サウナ薪割り部隊』だ! 毎日、神級の白樺の木を美しく割り続け、ストーブの温度を常に完璧な90度に保つ影の功労者となれ!」
「「「かしこまりましたぁぁぁーーーっ!!」」」
100名の屈強な元・魔王軍精鋭戦士たちは、一糸乱れぬ動きでガロアに向かって敬礼ならぬ「サウナお辞儀」をきめ、新魔王軍からの華麗なる「脱退および就職宣言」を完了させたのだった。
彼らはもう、戦うための軍隊ではない。
世界で最も意識が高く、かつ最も自堕落で幸せな「サウナ専門スタッフ集団」へと生まれ変わったのである。
◇◆◇
同じ頃。
少し離れた古民家の縁側では、いつものように特製こたつにすっぽりと入りながら、そのやり取りの一部始終をぼんやりと聞いていたレオンとルシアが、ぽつりと感想を漏らしていた。
「……なんか、向こうの入り口でめちゃくちゃ大々的に転職宣言してるけど……いいのかね、あんなに元気に魔王軍を辞めちゃって」
レオンがミカンの皮を指先でちぎりながら苦笑いする。
「いいんじゃない? 別に私たちは困らないし」
ルシアはこたつの上にポンと足を投げ出し、すっかりリラックスした様子で緑茶を啜った。
「それにほら、サウナの薪割りって地味に重労働だし、ブラッド一人手伝わせるのも申し訳なかったからさ。あんなに気合の入ったマッチョな魔族たちがタダで100人も薪割り係になってくれるなら、人手不足が一気に解消して大助かりよ」
「まあ、確かに。サウナの温度管理も完璧になりそうだしな」
レオンは納得したようにうなずくと、こたつの温もりに再び全身を預けた。
「ねえレオン、明日もいい天気みたいだし、サウナ上がりにあの新しくできたガロアたちの薪割り場を眺めながら、外気浴スペースで昼寝しようか」
「いいねぇ。最高のリゾート休日になりそうだわ」
世界を揺るがすはずだった新魔王軍の精鋭部隊は、レオンの生み出したサウナと水風呂の快楽の前に、跡形もなく「極楽のスタッフ」へと吸収されてしまった。
争いは消え去り、あるのはただ、心地よい薪の燃える音と、極上のとみのりに満ちた平和な夜だけであった。




