38 第8章:ととのう魔族たち
第8章 第3節
90度の本格薪アロマサウナで全身の毛穴という毛穴から限界まで汗を噴き出させ、その直後にキンキンに冷えた神級の天然名水が湛えられた水風呂へと頭のてっぺんまで飛び込んだ魔王軍一の武闘派将軍ガロア。
そして、彼を先頭とする100名の重装甲親衛隊たち――いまや漆黒の鎧を脱ぎ捨ててただの「身軽な裸の男たち」と化した集団。
彼らは、水風呂から這い上がってきたところで、レオンから新たな指示を受けていた。
「はい、お疲れ様。冷えた体をそのままにしておくと風邪をひくからさ、この新しいポンチョを羽織って、そこのインフィニティチェアに深く腰掛けてごらん」
レオンが指さした先には、サウナ小屋の横に新しく設置された、極上の木製リクライニングチェアがずらりと並ぶ広々とした「外気浴スペース」があった。
その背もたれは心地よく後ろに倒れ、まるで雲の上に寝転がっているかのような極上の角度に調整されている。さらに、ブラッドが用意してくれた、肌触りの良いふんわりとした特製の厚手ポンチョを羽織ると、濡れた体に秋の心地よいそよ風がふわりと吹き抜けていく仕組みになっていた。
「ぽんちょ……? この奇妙な衣服を羽織れと……?」
ガロアは戸惑いながらも、レオンに言われるがまま、ふかふかで温かみのあるポンチョをその巨体にすっぽりと被った。頭には、サウナハットまでしっかりと被せられている。
その姿は、かつて魔王軍の最前線を恐怖のどん底に陥れた冷酷非道の武闘派将軍とは似ても似つかない、ただの「おしゃれなサウナ満喫おじさん」そのものだった。
「さあ、深く腰掛けて、目を閉じて、ただ風の音と自分の脈動に身を任せてみてごらん。最高の『ととのい』がやってくるからさ」
レオンにそう促されるまま、ガロアはインフィニティチェアにドスンと全身を預け、背もたれを限界まで倒した。
ギィィ……と心地よい音を立てて、椅子がフラットな姿勢へと移行する。
ガロアの視界から現実の景色が消え、広大な秋の青空と、ゆっくりと流れる白い雲だけが飛び込んできた。
目を閉じる。
――ドクン。
――ドクン。
自分の心臓の音が、まるで耳元で直接響いているかのように力強く聞こえる。
サウナで限界まで拡張された血管が、水風呂の冷気で急激に収縮し、そして今、外気浴の温かな解放感の中で一斉に拡張していく。全身の隅々をめぐる血液が、まるで熱い奔流となって細胞の一つ一つに新鮮な酸素と栄養を届け、心地よい痺れと温かさを運んできているのがハッキリと分かる。
「これは……いったい……?」
ガロアの脳裏に、かつて経験したことのない奇妙な感覚が渦巻き始めた。
体は信じられないほど軽い。羽のようにふわふわと宙に浮いているような、圧倒的な浮遊感。
それとは対照的に、頭の芯はかつてないほどに冴え渡り、世界がどこまでもクリアに、美しく感じられる。
日々のクーデターのプレッシャー、新魔王軍をまとめ上げなければならないという焦燥感、前魔王の首を取らなければならないという血生臭い使命感――そんなものたちは、先ほどのサウナの汗と一緒にすべて蒸発し、水風呂の冷気にかき消され、いまや宇宙の塵ほどの価値もない「どうでもいいこと」のよう思えて仕方がなかった。
あるのは、ただ「今、この瞬間の風が、肌を撫でて通り過ぎていく心地よさ」だけ。
(なんなのだ……この感覚は……! 痛みでもない、恐怖でもない、勝利の栄光ですらない……! この魂が溶けていくような、世界と完全に一体化するような、得体の知れない快楽は……ッ!!)
ガロアの全身の産毛が逆立ち、背筋をゾワゾワと鳥肌が駆け抜けた。
彼の肉体のすべての細胞が歓喜の声を上げ、脳の奥底からドパミンとエンドルフィンが洪水のように溢れ出し、意識の海を心地よく満たしていく。
「あ……あああ……っ……!!」
ガロアの口から、もはや言葉にならないうめき声が漏れた。
その両手はインフィニティチェアの肘掛けをガッチリと掴んでいたが、その力は怒りや緊張によるものではなく、あまりの快感に身悶えするあまり、思わず掴まずにはいられなかったからだった。
その様子は、周囲にいた親衛隊の100名の魔族たちも全く同じだった。
「ふあぁぁぁぁぁ……っ……!」
「雲の上に……俺は今、雲の上に寝転がっているぞ……!」
「もう戦うのやめだ……俺は故郷の母ちゃんに、このサウナの素晴らしさを手紙で伝えるんだ……」
あちこちのインフィニティチェアから、屈強な魔族たちが次々と骨抜きになり、とろけた声を上げて腑抜けになっていく。
ガロアは限界まで見開いた目をさらにパチパチとさせながら、大きく息を吸い込んだ。
頭の中で、何かがパカーンと音を立てて弾けた。
すべてのモヤモヤが晴れ渡り、世界の真理に到達したかのような、圧倒的な脳内革命。
ガロアはガバッと上半身を起こすと、両手を天に向かって突き出し、全身全霊の咆哮を夜空へ向かって轟かせた。
「……と、ととのったぁぁぁーーーっ!?!?」
その絶叫は、秋の夕暮れの山々にこだまし、遠くの森の鳥たちが一斉に飛び立つほどの凄まじい響きを持っていた。
しかし、その声に殺気や脅威の色は微塵もなく、ただ「人類の到達し得ない至高の快楽」を悟った者の、狂喜乱舞の雄叫びであった。
「そうだね、いいトトノイっぷりじゃないか」
少し離れた場所で、お茶を啜りながらその様子を見守っていたレオンが、満足そうにフッと微笑んだ。
魔王軍一の武闘派将軍ガロアは、こうして「村の侵略」という本来の目的を完全に忘れ去り、本格薪サウナと水風呂の暴力的なまでの快楽の前に、文字通りの意味で「完全降伏」を果たしてしまったのだった。




