37 第8章:ととのう魔族たち
第8章 第2節
『本格薪サウナ』の中で、90度の極上アロマ熱波に全身を焼き尽くされ、これまでの人生で味わったことのない大量の汗と心地よい倦怠感に包まれていた魔王軍一の武闘派将軍ガロア。
彼の脳内では、「誇り高き魔王軍将軍の威厳をいかに保つか」というプライドと、「このままこの温かい部屋でただぼんやりしていたい」という強烈なだらだら欲求が、激しくせめぎ合っていた。
そこへ、サウナの扉をガラリと開き、元勇者レオンが爽やかな笑顔で顔を外に覗かせた。
「おっ、ガロアくん、いい感じに汗だくじゃないか。そろそろいい頃合いだし、外に出ようか」
「ふむ……!」
ガロアは重い体をどうにか持ち上げ、「まだまだ余の肉体には余裕だが、そろそろ付き合ってやってもいい」と言いたげな顔を作りながら、サウナ室の外へと足を踏み出した。
サウナ小屋のすぐ外。
そこには、レオンの掘り当てた神級井戸水がこれでもかと贅沢にかけ流されている、青く澄み切った野外の『水風呂』が待ち受けていた。
水面からは、ひんやりとした心地よい冷気がゆらゆらと立ち上り、周囲の澄んだ空気と相まって、見るからに肌触りの良さそうな透明感を放っている。
「ふうっ……! 外の空気はまた一段と涼しいな……って、ん?」
ガロアが息を整えながら周囲を見渡すと、そこには信じられない光景が広がっていた。
少し前まで「村を焼き払い、人間どもを皆殺しにする!」と血気盛んに息巻いていたはずの、あの重装甲親衛隊の100名の精鋭魔族たち。
彼らは今や、全員が黒曜石の鎧をすっかり脱ぎ捨て、パンツ一枚(あるいは小さなタオル一枚)の無防備な姿で、水風呂の周囲にぞろぞろと群がっていたのだ。
「おい……お前たち、一体何をしているんだ……!」
ガロアが威厳のある声で叱咤しようとしたが、部下たちの様子はどこかおかず、誰も彼もがトロンとした蕩けた目をしていた。
「あ、将軍……! これがですね……サウナから出てきた人間どもが『水風呂に入ると人生観が変わる』とか何とか言っていたので……試しに覗いてみたのですが……」
親衛隊の副官が、震える手でその青く輝く水面を指さした。
「この水、信じられないほど冷たいのに、肌に触れるとまったくトゲトゲしくないのです。まるで母の胎内に包まれているかのような……いや、それ以上の、得体の知れない魔力が宿っているのです……!」
「なんだと? たかが水風呂ごときが……」
ガロアが眉をひそめた時、レオンがニコニコしながら声をかけてきた。
「そうそう、サウナに入った後の水風呂こそが、この施設の真骨頂なんだよ。しっかりサウナで体を熱々に温めてから入ることで、血管がキュッと引き締まって脳みそがシャキッとするんだ。さあ、みんなも遠慮しないで入ってみてよ」
「ほ、本当に入るのか……? しかし、この真冬に近い時期にこんな冷たい水へ飛び込んだら、いくら我ら魔族の頑丈な肉体といえども、心臓が止まるのではないか……」
ガロアが戸惑いの色を隠せずにいると、親衛隊の一人の若手兵士が「ええい、ままよ!」と勢いをつけて水風呂の中に足を滑り込ませた。
「――っひゃあああああああっ……!?!?」
兵士の全身がビクンと激しく跳ね上がった。
水温はおよそ15度前後。サウナで90度まで熱せられた肌に、このキンキンに冷えた天然名水が一気に触れた瞬間、彼の肉体の全毛穴が驚愕の悲鳴を上げた。
しかし、その次の瞬間――。
「……っ!? う、嘘だろ……これ……!?」
兵士の顔から、先ほどまでの怯えや緊張の色が完全に消え去り、代わりに文字通りの「至福の笑み」が浮かび上がった。
「冷たい……! 冷たいのに、痛くない……! いや、冷たさが心地よすぎて、全身の血が一気に頭のてっぺんから足のつま先まで駆け巡っていく……! なんという爽快感だ……! 頭の中が真っ白になって、日々の任務のストレスや焦燥感がすべて洗い流されていくぅぅぅーーーっ!!」
「な、なんだと……!?」
その様子を見ていた他の親衛隊員たちが、どよめき立った。
「おい、本当に大丈夫なのか!?」
「私も行くぞ……!」
次々と、親衛隊の屈強な魔族たちが、ガロアの制止も聞かずにドブン、ドブンと次々に水風呂へと飛び込んでいった。
「ひゃぁぁぁ……っ!」
「たまらん……! この冷たさが、さっきまでの熱さと混ざり合って……! あああ……!」
阿鼻叫喚の……いや、完全に極楽の歓声があちこちから上がり、100名の厳めしい魔族たちが、まるで子供のように水風呂の中でキャッキャと戯れ始めたのである。
「さあ、ガロアくんも。せっかく来たんだから、頭のてっぺんまでしっかり浸かってみてよ。最高の『ととのい』が待ってるからさ」
レオンが優しくガロアの背中をポンと押した。
「ぬっ……! しかし、余は魔王軍の将軍……頭まで水に浸かるなどという無様な姿を……!」
言いかけたガロアだったが、部下たちのあまりにも気持ちよさそうな、この世のものとは思えないほどリラックスした顔を見てしまうと、自分のなかにあった「やせ我慢の壁」が音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
(くっ……! 部下たちがこれほど見事に骨抜きにされているのに、将軍である余だけが陸の上で腕を組んで突っ立っているなど、逆に威厳がないのではないか……!? よろしい! ここはあえて余自らが生死を彷徨うかのような冷水の試練を受け止め、その圧倒的な精神力で耐え抜いてみせよう……!!)
ガロアは深い覚悟を決めると、大きく息を吸い込み、ザブンと自らの巨体を一歩も引かずに水風呂へと踏み入れた。
「――っっっっっっしゃあぁぁぁぁぁぁっっっっ!!???」
水に浸かった瞬間、ガロアの全身の毛穴という毛穴が完全に全開した。
サウナで限界まで熱せられていた皮膚の表面が、キンキンに冷えた神級の天然名水によって一気に急速冷却される。
「冷た――いや、違う……! 冷たい通り越して、なんだこの心地よい痺れは……!」
「将軍! 頭までです! 頭までしっかり浸かるのです!」
すでに水の中でプカプカと浮かんでいた副官が、うっとりとした目で声をかけた。
「た、頭まで……!? ば、馬鹿な、そんなことをしたら意識が――」
「いいからいいから、騙されたと思ってやってみなよ」
レオンが笑いながら促す。
ガロアは意を決し、うおおおおおと咆哮を上げながら、その巨体の頭のてっぺんまで、完全に水風呂の中へと沈み込んだ。
ザブーーーーン……!!
水中に全身が没した瞬間。
世界からすべての音が消え去った。
頭の中を激しく駆け巡っていた「新魔王軍の未来への不安」「クーデターのプレッシャー」「前魔王を討伐しなければならないという殺意」のすべてが、冷水の圧倒的な包容力によって、一瞬にして氷解し、宇宙の彼方へと消し飛んでいった。
心臓の鼓動は力強く、しかし穏やかになり、頭の芯がキーンと冴え渡る。
(あ……ああ……我が魂が……肉体から解き放たれていく…………!)
ガロアは水面からガバッと顔を上げると、激しく息を吐き出しながら、夜空を見上げて両手を広げた。
「な……なんという……なんという圧倒的な解放感だ……!! 我は今……生まれ変わったぞぉぉぉーーーっ!!」
魔王軍一の武闘派将軍ガロアは、こうしてレオンの指導のもと、水風呂の魔力によって完全に「ととのう」ための準備を完了させたのであった。




