36 第8章:ととのう魔族たち
第8章 第1節
元勇者レオンに導かれるがまま、魔王軍一の武闘派将軍ガロアは、全裸に小さなタオル一枚という身軽すぎる姿で、新しく完成した『本格薪サウナ』の扉を押し開けた。
がちゃり、と木製の扉が閉まると同時に、ガロアの全身を激しい熱の波が包み込んだ。
「ふむ……!」
ガロアは微動だにせず、腕を組んで仁王立ちになった。
室内の温度計は、きっちり90度を指している。レオンのパッシブスキル『最高環境創出』によって完璧に調整された空間は、熱すぎることも冷たすぎることもなく、肌にまとわりつくような嫌な湿気もない。代わりに、農民たちが寄付してくれた最高品質の白樺の薪から発せられる芳醇でウッディなアロマの香りが、室内に満ち満ちていた。
「どうだい? 熱すぎないか?」
後から入ってきたレオンが、一番下の段のベンチにのんびりと腰を下ろしながら尋ねる。
「ふん……!」
ガロアは鼻を鳴らし、わざとらしく太い腕を組んでみせた。
「これくらいの熱気、我が魔界の溶岩地帯に比べれば涼しい風のようなものよ! 魔王軍の将軍たる者が、この程度の空間で音を上げるとでも思ったか! みるがいい、この微動だにしない――」
威勢よくそう言い放ったガロアだったが、言葉の途中でピタリと動きを止めた。
すぅーーーっ……と、ガロアが大きく息を吸い込んだ瞬間、白樺のアロマを含んだ90度の熱気が、彼の鼻腔を通って肺の奥深くまで染み渡り、全身の血管を駆け巡ったのだ。
「……っ!?」
ガロアの背筋に、ピリリとした電気のような衝撃が走った。
これまで彼は、魔界の過酷な戦場で数々の致命傷を負い、幾多の激戦を潜り抜けてきた。痛みには誰よりも耐性があるという自負があった。しかし、このサウナがもたらす熱の刺激は、これまでの「傷の痛み」や「戦闘の苦痛」とはまったく質が異なっていた。
それは、体表の皮膚からじわじわと侵入し、筋肉のコリや、日々のクーデターや軍務のストレスで凝り固まった神経の芯に直接働きかけてくるような、不思議な「熱の圧力」だった。
「な、なんだこれは……?」
ガロアの額から、タラリと一筋の大粒の汗が流れ落ちた。
それを皮切りに、彼の鍛え上げられた赤黒い筋肉の表面から、まるで蛇口が壊れたかのように、噴き出すような大量の汗が滝のように溢れ出し始めた。
「ほら、どんどん汗が出てきたろ? サウナってのは、汗と一緒に体の中の悪い毒素やモヤモヤを全部外に追い出すシステムだからさ。無理して我慢しないで、上の方の段に座るともっと熱いよ」
レオンが親切に上の段を指さした。
「ば、馬鹿を言うな……! 我はあえて一番熱がこもる最上段で、この空間に勝利してやろうではないか……!」
ガロアは自らの威厳と魔王軍の誇りを保つため、あえて一番上の段のベンチにどっかりと腰を下ろした。
――ズズン……ッ!
最上段は、下段に比べてさらに熱気が濃厚だった。
天井付近にたまっていた90度の熱の塊が、ガロアの頭頂部から背中全体を包み込む。
「ぐっ……!?」
ガロアの体が、思わずビクリと震えた。
熱い。とにかく熱い。皮膚の表面がヒリヒリとするほどの熱波が全身を叩く。しかし、不思議なことに、熱いのに呼吸が苦しくない。白樺の香りが鼻腔をくすぐり、心臓の鼓動がドクンドクンと力強く全身の血流を加速させていく。
(な、なんだ……? 体の芯がカッカと燃え盛るような、この心地よい苦しみは……!)
ガロアは歯をくいしばり、じっと耐えた。
彼はこれまで、勝利の栄光や、敵を打ち倒したときの快感を求めて生きてきた。痛みは敵に与えるものであり、自分が耐えるべきものは「苦難」でしかなかった。
しかし、このサウナの中における「熱さに耐える苦しみ」は、不思議と不快ではなかった。
むしろ、汗を流せば流すほど、頭の中に渦巻いていた「新魔王軍をまとめ上げなければならないというプレッシャー」や「前魔王を討伐しなければならないという殺意」といった余計な思考が、次々と汗と一緒に蒸発し、消え去っていくような感覚があった。
「ふう……」
ガロアの口から、先ほどの威勢の良い威圧感とは似ても似つかない、あまりにも気の抜けた長い溜息が漏れ出た。
「どうだい、少しはリラックスできた?」
レオンがタオルで額を拭いながら声をかける。
ガロアは返事をしようとしたが、喉が熱気で少しカラカラになっており、うまく声が出なかった。代わりに、ただ無言でダラダラと汗を流しながら、ぼんやりとストーブの上で真っ赤に熱されたサウナストーンを見つめる。
(くっ……! 我としたことが、この人間の作った謎の小部屋の快適さに、少しだけ心が揺らいでいるだと……!? いや、まだだ……まだ負けたわけではない……!)
心の中で必死に言い訳をしながらも、ガロアの肉体はすでに、90度の極上アロマサウナがもたらす「未知のととのいへの入口」へと、確実に引きずり込まれ始めていたのだった。




