03 第1章:クビになった勇者と、クーデターに遭った魔王
第1章 第3節
王都の大広間で勇者パーティーを追い出されたレオンは、もらった手切れ金の革袋をぽんぽんと掌で叩きながら、軽やかな足取りで王都の城門をあとにした。
「あー……せいせいした」
心の底からの本音が漏れ出る。
思い返せば、勇者として祭り上げられてからの日々は過酷そのものだった。聖女マリアからは「民の模範となりなさい」「清く正しく凛々しくありなさい」と毎日のように説教され、剣聖レイガーからは「勇者なら俺より先に魔物を一撃で倒してみせろ」と理不尽な対抗心を燃やされ、毎日朝から晩までダンジョン攻略と広報活動に追われていたのだ。
だが、今のレオンは自由だ。肩書もなければ、世界を救う義務もない。背負っていた「勇者」という名の重苦しい看板は、きれいに投げ捨てることができた。
王都を離れたレオンは、街道をあてもなく歩いた。大きな街や活気のある港町へ向かう手もあったが、そういう場所には大抵、勇者時代のレオンを知る人間や、冒険者ギルドのスカウト、あるいは「勇者様!」と群がってくるミーハーな群衆がいる。そんなものに捕まったら、せっかく手に入れた自由が台無しである。
「誰も俺を知らなくて、人がめったに来なくて、静かで、余計な仕事をしなくて済む場所……」
レオンは街道を外れ、森を抜け、険しい山道をいくつも越えていった。地図の端にも載っていないような未開の地を、ひたすら気ままに進んでいく。
歩くこと数日。険しい峠道を越えた先で、レオンの視界がパッと開けた。
そこは、山々に囲まれた小さな盆地だった。
しかし、「村」と呼ぶにはあまりにも荒れ果てていた。かつては人が住んでいたのだろうが、今や住人の姿は一人としてない。木造の民家は屋根が落ちかけ、壁には大きな亀裂が入っている。畑だったと思われる場所は雑草が伸び放題になり、荒涼とした原っぱと化していた。水路は干上がり、石垣は崩れ、風が吹くたびに壊れかけた風車がギィギィと悲しげな音を立てている。
普通の人間であれば「こんな不毛で荒れ果てた廃村、住めたものじゃない」と顔を顰めて立ち去るような場所だった。
しかし、レオンの眼差しは違った。その荒廃した風景を見渡した瞬間、彼の瞳はまるで宝箱を見つけた子供のようにキラキラと輝き始めたのだ。
「……す、素晴らしい……!」
レオンは感極まったように声を漏らし、大きく深呼吸をした。
澄んだ山の空気と、どこか懐かしい土の匂い。聞こえてくるのは風の音と、遠くの森で鳴く鳥の声だけ。
「人がいない! 誰も俺を『勇者様』って呼ばない! 頼み事もしてこない! ギルドの依頼票もない! 聖女の説教も、剣聖の自慢話も聞こえない……! まさに完璧な理想郷じゃないか!」
レオンにとって、村が荒れ果てていることなど些細な問題だった。
屋根が壊れていようが、雨風をしのげる程度の屋根と壁があれば十分。畑が荒れていようが、食べる分だけ何か適当に作ればいいし、最悪はこの広大な敷地で寝転がっているだけで幸せなのだ。
「よし、決めた。俺は今日から、ここで死ぬまでだらだら暮らすぞ!」
高らかに「だらだら宣言」を掲げたレオンは、村の中でも一番大きそうで、比較的倒壊の危険が少なさそうな一軒の古民家へと向かった。
家の中に入ると、床には分厚い埃が積もり、蜘蛛の巣が張っていた。だが、構造自体はしっかりとした立派な木造建築だ。広々とした居間には立派な縁側があり、そこからは南向きの庭が一望できるようになっている。
「いいな、この縁側。日当たりが最高だ。ここに寝そべってみかんでも食べたら、絶対に気持ちいいぞ……」
レオンは長年連れ添ったボロボロの銅の剣を無造作に部屋の隅へ投げ捨てた。ガチャリと鈍い音が響く。かつて数々の魔物を退けてきた伝説(になり損ねた)武器だが、今のレオンにとってはただの「肩が凝る重り」でしかない。
続いて、重い皮の鎧を脱ぎ捨て、動きやすい粗末な布服一枚になった。肩を回すと、ポキポキと心地よい音が鳴る。
「あぁ~……体が軽い。武器も鎧も持たないのって、こんなに楽だったんだな……」
レオンはまだ埃っぽいままの縁側に、どさりと仰向けに寝転がった。
ぽかぽかと暖かい太陽の光が、彼の全身を包み込む。空を見上げれば、澄み切った青空に白い雲がゆっくりと流れていた。王都にいた頃は、空を見上げる余裕すら無かったのだ。
(そういえば……あいつら、俺のことを『派手な技が使えない使えない奴』って捨てたんだっけ)
寝転がりながら、レオンは自分の手のひらを見つめた。
レオンには、派手な大魔法も、山を断ち切るような斬撃も使えない。だが、彼には自分でもあまり意識していない固有のパッシブスキルがあった。
『最高環境創出』――。
それは、彼が「リラックスしたい」「だらだらしたい」と強く願えば願うほど、周囲の環境が自動的に彼の理想とする「快適な空間」へと変化していくという、無自覚かつ極めて規格外な環境補正スキルだった。
本人はただ「居心地を良くしたいな」と思っているだけなのだが、彼がその場所に定住し、だらけ始めると、土地の霊脈や自然のエネルギーがレオンの欲望に同調し、環境そのものを書き換えてしまうのだ。
当然、レオン自身はそのことに全く気づいていない。
「まあいいや。あいつらが俺をいらないって言ったんだし、俺もあいつらなんてどうでもいい。これからは自分のためだけに時間を使うんだ」
レオンはうーんと大きく伸びをすると、両手を頭の後ろで組み、パチリと目を閉じた。
「明日は……そうだな。井戸掃除でもして、あとはずっと寝よう。明後日も寝よう。来週も、来年も……ずっとだらだら過ごすんだ」
心地よい風が縁側を吹き抜けていく。壊れかけた村の静けさの中で、レオンは数年ぶりとなる、一切のストレスもない深い深い眠りへと落ちていった。
こうして、かつて世界を救うと期待された勇者は、人里離れた廃村で「世界一不真面目で、世界一幸せな無職生活」をスタートさせたのである。




